いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

政権の経済介入。 intervention to economy by abe political power

2015-10-15 20:01:07 | 日記
 (1)17年4月消費税10%引き上げ時に軽減税率(reduce the tax)を強く主張する連立与党の公明党に配慮して、安倍首相が導入を決断して自民党税調に検討を指示(報道)した。

 すでに財務省が代案として提案していたマイナンバーカードを活用した還付金方式には「やってみたら」(趣旨報道)とそっけなかったといわれる安倍首相だったが、財務省の同制度設計が「(スーパー買いものに)マイナンバーカードを持ってこない人には還付しないだけ」(麻生財務相談趣旨報道)という程度のもので、すこぶる世間の評判が悪いのを受けて決断したようだ。

 (2)軽減税率の導入にあたっては、経理、レジ操作管理やインボイス(明細請求書)発行など事業者側の対応が煩雑で経費負担増も考えられて、経済界からは導入に慎重な姿勢が目立っていた。

 欧米では当たり前の軽減税率の導入ではあるが、そもそも日本の消費税に相当する税率が日本とは比較にならない高率(20~30%台)であり、その高い税収を活用した分厚い社会保障制度の社会構造の違いが基本にはある。

 (3)だからといって生活保護者が250万人以上の記録更新を続けている社会状況、非正規従業員が60%を占める社会構造などをみれば、消費税を引き上げるだけでなく市民生活の食料必需品を中心に軽減税率を導入することは避けられないことだ。

 財務省が還付金方式で試算したように一人当たり年間4千円の軽減のもので生活維持効果があるのか疑問だが、軽減税率導入の制度設計はこれから本格化する。

 (4)20年に赤字(国債発行)に頼らない行財政執行業務を実現する(primary balance)という政府の基本方針のためには消費税10%引き上げによる財源を最大限に確保したい財務省としては当初から軽減税率の導入に消極的(自民党税調も同様)であった。

 欧米とは社会保障制度の高負担の社会構造での基本的な違いがあり一様に比較はできないこともあり、税収減につながる軽減税率の導入には財務省、自民党税調は消極的であったが、そのままでは公明党の協力が得られずに17年4月の消費税10%引き上げにも影響することが考えられて、安倍首相、官邸主導により導入を決めた。
 これを受けて軽減税率導入に消極的だった経団連も容認に転換(報道)している。

 (5)来年夏の参院選を控えて再び経済最優先(GDP600億円目標など)を打ち出した安倍首相は、昨年、今年の「政経労合同会議」による賃上げ要請に続き「官民対話」会合を設置して民間企業に設備投資を促す方針だ。

 最近の各種経済指標データの悪化にともない消費者動向も上昇せずに、景気回復を目指す安倍政権の官邸主導により経済界への働きかけが活発化している。
 
 (6)本来自由で自主的な資本主義経済活動であるが、アベノミクスによる円安株高効果、法人税減税などの政府の経済優先政策の企業業績好調による豊富な資本がそのまま企業に内部留保されて社会に出まわらない傾向に、モノは使いようで、安倍首相が官邸主導で企業活動に協力干渉、働きかけるのは意味のないことでもない。

 軽減税率導入に消極的であった経済界も経団連が容認に転じて、17年4月の消費税10%引き上げ時導入に向けて官民一体の実施検討に入ることになった。

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沖縄決定のジレンマ。 dilemma of okinawa decision

2015-10-14 19:47:38 | 日記
 (1)翁長知事が前知事の辺野古沖埋め立て承認に「瑕疵(かし)」があったとして、昨日これを取り消す決定を発表した。どのような瑕疵があったのかは今のところの報道では定かではないが、政府はこれを不服として所轄の国交省に審査請求と取り消しの一時執行停止の申し立てを行った。

 政府としては前知事の公式な許認可権としての埋め立て承認を受けているとして、「瑕疵はない」という立場で真っ向勝負の様相だ。

 (2)この段階での問題としては、政府が政府機関の国交省に異議申し立てをして政府の意向に反する決定がなされるはずもないから、こんな「やらせ」制度があること自体意味のないことで、専門家からも「防衛局が国交相に救済を期待するのは法の趣旨を逸脱している」(報道)と制度上の問題を指摘している。

 同様の問題は昨年沖縄防衛局による辺野古沖埋め立て工事調査で環境被害があったとして沖縄県側が調査中止の決定をした時にも、政府の異議申し立てを所轄の農水相が認めた「やらせ」判断の経緯もある変な制度だ。

 (3)それで沖縄県側が引きさがるわけもなくて、最後は法廷闘争に持ち込まれる公算は大きい。具体的な訴因としては前知事の決定の瑕疵による「行政取り消し」と政府の「善良な管理者」としての行政権限の継続性信頼の原則立場の保護との比較検証となるが、国民の安全、生命、権利を保障する日米安保条約の優先権が政治的にどう高度に配慮されるのか、これまでも高度な政治的判断については司法は踏み込んだ判断を避けてきたし、日米政府の高度な政治決定に対する司法判断の影響力の大きさは十分検討されることになるだろう。

 さっそく成立したばかりの安保法制の憲法違反の訴えに対しても、地裁はそもそも訴えの効力がないとして門前払い(報道)の判断を示している。これは具体的に同法律が施行されていない段階で具体的な憲法判断を求めた側にも問題はあった。

 (4)だんだんと普天間飛行場の移設先としての辺野古埋め立て工事ばかりがクローズアップされて国と沖縄県との行政対応の違いに焦点が集まっているが、そもそもは沖縄に日本の米軍基地の70%以上が集中して過度の負担を強いていることと、普天間飛行場が市街地に隣接して周辺住民の安全、生命、生活、環境に多大な不安(隣接大学への米軍ヘリ墜落事故など)、悪影響を及ぼしていることの解決をはかることが命題の課題である。

 (5)沖縄は戦後72年に日本に返還されるまで米国(米軍)支配統治下に置かれて、その返還交渉でも国民に知らされない日米政府密約があったことが明らか(米国公文書公開)になっており、沖縄に米軍基地の70%以上が残る原因ともなっている。

 米軍としては支配統治下のままの都合のいい沖縄基地化ではあるが、日本は沖縄返還後は国内国民主権のもとに国民負担の公平で公正な対応を求められるのは当然のことであり政治的ジレンマ(dilemma)があったが、対応を放置してきたのも事実だ。

 (6)翁長知事の辺野古沖埋め立て承認取り消しで、一方で普天間飛行場の使用継続をもたらして周辺住民の危険回避は取り残されることになるジレンマもある。
 普天間飛行場の危険回避を優先して、一旦辺野古へ移設(この時の条件とすべきであるが)しておいて、沖縄全体の米軍基地を含めて県外、国外移設による沖縄の負担軽減策を模索することも考えていいのではないのか。

 (7)普天間飛行場周辺の住民の「覚悟(preparedness)」が「どちら」(まずは危険回避か、あくまで沖縄の悲願追及か)にあるのかだ。

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予算と地位協定軽減論。 reductive theory of estimate and social status of forces agreement

2015-10-13 19:41:06 | 日記
 (1)日本政府は安保法制の成立にともなって集団的自衛権(collective self defense)の行使により海外紛争地域での米軍支援が可能になったとして、その代償としてこれまで日米安保条約で日本の安全保障の役割が一方的に米軍に依存していた関係が改善されたとして、日本における米軍基地の維持費負担(基地労務費、光熱費、訓練移転費など)予算(年間最大3千億円程度)を減額する方向で米国と調整協議する方針だ。当然のように米国は難色(報道)を示している。

 (2)日本は平和憲法による第9条で国際紛争を解決する手段としての戦力を保持せずに交戦権を有しないと規定しているので、有事の際の安全保障対策として米軍に国内基地(70%以上が沖縄に集中)を提供して同基地維持経費を負担した相互協力関係にある。

 米国では次期大統領選共和党のトランプ候補が、日米安保条約では有事の際に米国は日本を助けなければならないが日本は米国を助けることはしない(趣旨)と日米安保条約を一方的な軍事協力関係だとして批判しているが、米国国内での日本の米軍基地の有り様についてはその程度の認識だということだ。

 (3)日本としては紛争地での米軍の役割を協力負担することで米軍の軍事費の負担軽減につながるとして、その代償としての日本国内での米軍基地維持費負担の軽減を提案しているものだが、トランプ発言にみられる米国国内の日米安保「片務性」論からすれば「それ」では何も変わらないという論理なのだろう。

 むしろ日本の財務負担の軽減によって日本の集団的自衛権の行使範囲、役割が米国の意図によって危険に拡大させられる懸念の方が大きくて軍事・費用対効果は考えものである。

 (4)それより手をつけなければならないのは、日本国内の米軍治外法権化を象徴する「日米地位協定」(social status of forces agreement)の見直しだ。
 国内の米軍基地の70%以上が集中する沖縄の主権住民権利を保障するために見直し、改善を強く求めており、日本政府としては仮に集団的自衛権の行使で紛争地域での米軍との軍事相互協力を拡大したいのなら、平時での国民の安全と権利を保障するための「日米地位協定」の見直しを提案して改善すべきだ。

 (5)有事の際の軍事行動規範とは別に平時の際には日本の国内法にもとづいて米軍行動を規制、コンプライアンス(compliance)遵守することは主権国家日本として当然の主張であり、この法理論「片務性」についてこそ早急に見直し、改善を進めなければならない。

 米国においても日本においても、当然の社会正義のパラダイム(paradigm)維持原則論であり、平時におけるコンプライアンス遵守はむずかしいものではない。
 日本が米国の紛争地域での軍事行動の危険を協力負担するのであれば(安保法制のよし悪しの判断は別にして)、少なくとも平時での日本国内での米軍行動は国内法遵守協力を主張して当然だ。

 (6)本日、翁長知事は辺野古移設の承認を取り消した。これで沖縄問題の本当の解決につながるのかはむずかしいところだ。
 

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能力と体力の持続可能なバランス。sustainable balance of ability & physical strength

2015-10-12 19:42:21 | 日記
 (1)今年は10月12日となった「体育の日」は晴天の秋空に恵まれて、当時は10月10日が統計上晴れの確率が高いとして64年東京五輪の開会式が同じような秋晴れの空のもとで開催された。

 20年に二度目の東京五輪の開催が決定しているが、その後の商業主義化のIOC方針にともないメディア都合主導の真夏の暑い五輪開催となって、その20年東京五輪もメイン会場となる新国立競技場建設費問題にエンブレム盗用問題、総予算規模問題とやたらキナ臭い、熱い話題にさらされて、今のさわやかな秋空とは裏腹のうっとうしさに包まれている。

 (2)その体育の日に合わせて新設されたばかりのスポーツ庁が「2014年体力運動能力調査」の実施結果を公表した。75才~79才男女の「体力(physical strength)」が過去最高値を更新する結果となった。
 人生80年時代を迎えて世界でも稀(まれ)な急速な高年令化社会を迎えている日本社会はさらに長寿社会を更新することが確実なデータだ。

 とにかく高年令者の元気さには驚かされる。男女とも(特に女性が比較早いように思えるが)高年令者の歩くスピードが早くて、どんどん追い越されていくのが日常だ。
 もうほとんどまるでブレーキが利かないかのような地上を飛ぶがごとき早さで歩くのに目を見張るものがある。

 (3)75才~79才というと子ども時代の戦争体験者で食糧事情も恵まれていたとは思われないが、穀物、菜食、魚介の日本食中心の意外と日本人としてバランスのとれた食事しかなくてその食事習慣を長く続けてきて、若い時代は近代化もまだで移動にも歩行によることが中心で自然と体幹が鍛えられて日本人に合った基礎体力、骨格が形づくられてきた世代ではないのかと思われる。

 その後に続く戦後生まれの世代は欧米食へのあこがれ、外食主義傾向が強い社会で育って、手軽なファストフード、即席フード中心の食糧事情、環境の中で特に若い時代での栄養バランスを欠いて移動もインフラ近代化整備で自力を使わずに体力、骨格、持続力比較では相当劣ることになるのではないのか。

 (4)欧米食食糧社会、生活様式、形式環境の中で、確かに戦後生まれの日本人の身長、体重などの身体データは発達傾向にはあるが、中身の体力、骨格、持続力となると多分に低下していくことが予測される。

 団塊の世代からがそれに該当するもので現在の超高年令化社会を形づくっており、75才~79才の体力最高記録をそのまま次世代が引き継いで持続してくとは考えられない。

 (5)また高年令者の体力向上、長寿社会の中でパラドックス(paradox)として認知症の増加が社会問題化しており、これからは長い人生を生きる動機づけ(motive power)、目的、目標の設定と取り組む姿勢、必要性が強く求められることになる。

 これからの超高年令化社会、長寿社会は能力と体力のバランスのいい持続可能性(sustainable balance of ability and physical strength)実現が課題となる。

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南京大事件の記憶遺産。 recollective legacy of nanjin big affairs

2015-10-11 19:37:45 | 日記
 (1)戦前の旧日本軍によるアジア侵略植民地支配はそれを正当化する理論は日本の一部にはあっても、事実関係としては歴史事実の汚点として記憶(recollection)されるものだ。

 日本政府も当時村山首相が戦後50年談話としてはじめておわびと反省を表明した。日本政府の立場は戦後の関係国との外交上の賠償責任履行で解決済みとの主張だが、現在も中国、韓国は歴史認識問題として日本への謝罪と責任を強く求めて、外交対立を継続している。

 (2)その中でも「南京大虐殺」事件については、日本と中国とでは大きく歴史認識の違いがみられる。当時の歴史資料が乏しくて事実関係が実際には不透明ではあるが、中国側は犠牲者は「30万人以上」と主張し、日本側(外務省)の公式見解は「非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できないが、『被害者の具体的な人数は諸説あり』正しい数を認定することは困難」(報道)としている。

 犠牲者の数では日本と中国で大きなへだたりがあり、客観的な証拠資料などが存在しない侵略戦争での混迷した非人道的な行為が、それだからこそ政治外交の課題として加害者日本と被害者中国との歴史認識論争問題となっている。

 (3)連合国側により戦後に日本の戦争主導者が裁かれた東京裁判では南京大事件では「20万人以上」(報道)が犠牲者となったといわれており、その東京裁判を受け入れた日本としては目安となる犠牲者数といえるのではないのか。

 数万人、20万人(日本研究者の推計ー報道)だったのか、30万人以上だったのかの真実は今となってはエビデンス(evidence)は実証しようもないが、「諸説ある」(外務省)という非人道行為が日常化していた侵略戦争の中での当時の日本の戦争責任としての南京大事件は、歴史的事実ということだけは明白だ。

 (4)中国はこのたびこの犠牲者30万人以上と主張した「南京大虐殺」をユネスコの世界記憶遺産に申請して登録された。
 日本政府は「中国の一方的な主張」に基づくもので「完全性や真正性に問題がある」(報道)とこれを中国のユネスコ「政治利用」だとして抗議談話を発表した。

 犠牲者の数が残虐性を裏付けるものではあるが、それが数万人であろうと20万人であろうと30万人以上となっても日本の侵略戦争での非人道行為による残虐性には変わりがないのだから、日本としては東京裁判の歴史的経緯受け入れからも致し方のないところだ。

 (5)今になって「完全性や真正性に問題がある」という実証しようもないエビデンスの外務省の主張にも違和感はある。
 ただし現在でも中東シリア、アフリカでの紛争、内戦でより多くの犠牲者を出しており、または日本は広島、長崎の原爆投下で10万人以上の民間人を含む犠牲者を出して今も後遺症に苦しむ人はおり、その中の歴史的ひとつの南京大事件がクローズアップされるのもまた違和感は残る。

 (6)日本も中国も世界がこの地上から戦争犠牲者を出さない強調、協調としての自覚、責任こそが教訓としての全体的、普遍的記憶遺産でなければならない。

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