サブカルチャーマシンガン

自分だけの「好き」を貫く為のブログ。

退屈なのは君が退屈な人間だから。/アクタージュ 第49話「阿良也と巌」 感想(週刊少年ジャンプ2019年8号)

2019-01-21 | アクタージュ
                              
                              昔の阿良也。










巌さんの言う事は真実だと思う。
今自分がつまらなかったり退屈だったりするのは、
そもそも自分自身がつまらなかったり退屈な人間だからなんですよね
阿良也の冷めた目線、世の中を見下している視線、そして、本気になれない精神性・・・
そのすべてがただ単に「彼自身」に跳ね返って来てるだけ、とも言える
そして、
「自分以外の何物か」に成れる役者というのは、
なるほど阿良也にとってはある意味天職のようにも思える。。という点で
とっても秀逸なエピソードだったと思います。







しかし、
このセリフは深いですよね・・・
「深い」とか言っちゃうのはナシかもしれませんが、
それでも敢えて「深い」って言いたい
今自分自身が「つまんね」とかそういう感情を世の中や誰かや物事に抱いたのだとしたら、
それはある意味「本気になれない自分自身がつまらない」という事実の証明なんですよ
それは巌さんの言う通り「馬鹿にしている」という感情もどこかであるのだと思う
阿良也はきっと何に対しても「どーせこんなもん」って思ってたりしてたんでしょうけど、
巌さんは芝居を通して「そうじゃない。」って事を伝えたりしたかったんでしょう

例えば、
以前彼がやった狩人の芝居だってそう
あれだって生きて飯を食らう。っていう事にすら(本当は)ドラマが宿っている~というリアルの教示でもあった
誰かに成ることで、成り切る事で、この世の“本当”を役を通じて知って行く・・・
阿良也みたいなタイプはきっとそれが必要だったんでしょうね。
っていうのは、
個人的な解釈ですけど。







巌さんは、
よくある「親みたいな存在~」という言葉ではなく、
本当の意味で「親」だったんでしょうね
この世の楽しさも、
この世の奥深さも、
この世の悲しみも、
この世のつらさも、
この世の“本当”も・・・
ある意味、この世の全てを教えてもらったと言っても過言ではない人物だからこそ、
ステージの上で感情が暴走してしまったんでしょう
それは過去の冷めきった表情とはまったく異なるものでした

巌さんによって見い出された阿良也、
そんな巌さんが渇望するアリサ、
そして類まれなるオーラで阿良也を包むアリサ・・・
次週、どういう風に阿良也が変わって行ったのか、そして、巌さんへの想いの変遷が垣間見られるのが本当に楽しみです
その先には1周年で表紙巻頭カラーがありますように。。と祈っています(笑







恐らく、
巻頭の回に勝負を懸けていて、
だからカムパネルラ(夜凪ちゃん)のアンサーを焦らす構成になっているんでしょうね
正直、今から“彼”がどういう言葉を掛けるのかが凄く楽しみですが・・・笑
溜め込んでる分、思いっ切り感情移入出来るエピソードに仕上がるのを期待しています!
それはそれとして今週もすごく哲学的な内容でめっちゃ面白かったですね。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。