「ドラえもん のび太の宇宙漂流記」を見ました。
今作は記念すべき映画第20作目!EDでは「季節がいく時節」と共に過去19作品を1枚の絵で振り返ることが出来ます。このEDが当時からかーなーり好きでした。
舞台は宇宙。緑溢れる理想の星を求めて漂流する、星を無くした人々の集まり「銀河漂流船団」。その調査団である宇宙少年騎士団のうち、リアン、ゴロゴロ、ログ、フレイヤの4人が地球を訪れたことから物語が始まります。
ドラえもんの道具で遊んでいたのび太たち。しかしジャイアンとスネ夫はゲームから出られなくなってしまい、のび太のママはそのゲームをプラモの空き箱だと勘違いしゴミ捨て場に。それをフレイヤが拾って宇宙船に持ち込んでしまったため、のび太たちはジャイアンたちを救うべく、後を追って宇宙へ・・・
という流れなんですが、「ドラビアンナイト」における絵本焼却といい、ママも地味にピンチを作り出すのに一役買ってますよね・・・まぁ、「部屋を綺麗にしないと大変なことになる」という教訓も込められているのかもしれませんが。大変のレベルが桁違いですけどね(汗。
そんなわけで凄く久しぶりにこの映画を見たのですが、テンポがめちゃくちゃ良くて、あれよあれよという間に黒幕であるアンゴルモアを倒すまでに至っていたので驚きました。やや駆け足気味のようにも感じますが、粗いわけではないので普通に楽しく見られました。
のんびりと宇宙を旅している時間は殆ど無く、友達を救い、リアンたちを救い、銀河漂流船団の危機を救う。今回はピンチに次ぐピンチでした。
中でも途中で立ち寄った星における、金属の糸や金属を腐食させる液を出す巨大なクモに襲撃されるシーンは、今見ても衝撃的なシーンです。
頼みの綱であった「どこでもドア」で帰ろうとするものの、地球からあまりにも離れすぎていたため使えないという大ピンチ!この設定はこの作品より以前に出ていましたが、当時はそれを知らず、どこでもドアで帰れなかった時の衝撃といったら無かったですね・・・
あとは、幻惑の星で蠢く木々たちや、漫画版?の「ログが自分の予備バッテリーを使って船を動かす」というシーンなどにもハラハラさせられました。
公開年が1999年ということもあって、「ノストラダムスの大予言」に出てくる「アンゴルモア」が敵として描かれています。
リアンの父たちを洗脳して反逆軍を結成し、地球征服を目論んだモアを、ドラえもんは「みんなの心の中に潜む悪の塊」と推測しています。理想の星を求めてさまよい疲れた人々が生み出した「征服してでも理想の星に住んでやる!」という悪意の塊・・・なんですかね。あるいは、銀河漂流船団の人々に限らず、手段を問わず自分の求めるものを得ようとする、宇宙の人々の悪意の塊なのか・・・
そんな敵を前に、映画20作目ということで張り切っているのか、のび太がいつも以上に勇敢で冴えまくっています。
「ハメルンチャルメラ」の音が小さければビッグライトで「ハメルンチャルメラ」そのものを大きくすれば良いと、ドラえもんより先に気づいたばかりか、終盤では「ひらりマント」「ビッグライト」「フエルミラー」のコンボを提案。漫画版では最初の一手を提案し、後はドラえもんが閃くという流れでしたが、個人的には断然映画の方が好きです。
「幻惑の星」でしずかちゃんが捕らわれた際も、誰よりも先にしずかちゃんを助けに行こうと動いてますし、この映画ののび太は本当に頼りになりますね。
また、ゲストキャラクターであるリアンたち宇宙少年騎士団の面々も、歴代のゲストキャラクターの中でもかなり気に入っています。「宇宙少年騎士団」という名前もカッコいいですし、制服も素敵だし、幼いながらも「宇宙少年騎士団」の名に恥じないよう、立派に宇宙を旅して調査していますし・・・やはり、同年代の子供たちが活躍している様を見るというのは、子供心に何か憧れや尊敬を抱かせるものなのかなと感じました。
そして評議会のマズーラさんもこれまたやけに記憶残るキャラでした。後半になってから登場する人なんですけども、名前も覚えていましたし、印象に残ってたなぁ・・・
ラストは再び宇宙を旅する銀河漂流船団のシーンで締めくくられます。のび太たちの冒険は終わったものの、リアンたちが理想の星を求める旅が終わったわけではないという意味が込められているように感じます。映画の終わりが物語そのものの終わりではない、という感じがして好きです。
また、銀河漂流船団そのもののデザインも好きなんですよ。元となる宇宙船に様々な宇宙船が随所にくっついていて、1つの大きな船になっているあの感じが大好きです。
映画も20作目を迎え、もうそろそろ世代交代の時期がやってきます。
今作は記念すべき映画第20作目!EDでは「季節がいく時節」と共に過去19作品を1枚の絵で振り返ることが出来ます。このEDが当時からかーなーり好きでした。
舞台は宇宙。緑溢れる理想の星を求めて漂流する、星を無くした人々の集まり「銀河漂流船団」。その調査団である宇宙少年騎士団のうち、リアン、ゴロゴロ、ログ、フレイヤの4人が地球を訪れたことから物語が始まります。
ドラえもんの道具で遊んでいたのび太たち。しかしジャイアンとスネ夫はゲームから出られなくなってしまい、のび太のママはそのゲームをプラモの空き箱だと勘違いしゴミ捨て場に。それをフレイヤが拾って宇宙船に持ち込んでしまったため、のび太たちはジャイアンたちを救うべく、後を追って宇宙へ・・・
という流れなんですが、「ドラビアンナイト」における絵本焼却といい、ママも地味にピンチを作り出すのに一役買ってますよね・・・まぁ、「部屋を綺麗にしないと大変なことになる」という教訓も込められているのかもしれませんが。大変のレベルが桁違いですけどね(汗。
そんなわけで凄く久しぶりにこの映画を見たのですが、テンポがめちゃくちゃ良くて、あれよあれよという間に黒幕であるアンゴルモアを倒すまでに至っていたので驚きました。やや駆け足気味のようにも感じますが、粗いわけではないので普通に楽しく見られました。
のんびりと宇宙を旅している時間は殆ど無く、友達を救い、リアンたちを救い、銀河漂流船団の危機を救う。今回はピンチに次ぐピンチでした。
中でも途中で立ち寄った星における、金属の糸や金属を腐食させる液を出す巨大なクモに襲撃されるシーンは、今見ても衝撃的なシーンです。
頼みの綱であった「どこでもドア」で帰ろうとするものの、地球からあまりにも離れすぎていたため使えないという大ピンチ!この設定はこの作品より以前に出ていましたが、当時はそれを知らず、どこでもドアで帰れなかった時の衝撃といったら無かったですね・・・
あとは、幻惑の星で蠢く木々たちや、漫画版?の「ログが自分の予備バッテリーを使って船を動かす」というシーンなどにもハラハラさせられました。
公開年が1999年ということもあって、「ノストラダムスの大予言」に出てくる「アンゴルモア」が敵として描かれています。
リアンの父たちを洗脳して反逆軍を結成し、地球征服を目論んだモアを、ドラえもんは「みんなの心の中に潜む悪の塊」と推測しています。理想の星を求めてさまよい疲れた人々が生み出した「征服してでも理想の星に住んでやる!」という悪意の塊・・・なんですかね。あるいは、銀河漂流船団の人々に限らず、手段を問わず自分の求めるものを得ようとする、宇宙の人々の悪意の塊なのか・・・
そんな敵を前に、映画20作目ということで張り切っているのか、のび太がいつも以上に勇敢で冴えまくっています。
「ハメルンチャルメラ」の音が小さければビッグライトで「ハメルンチャルメラ」そのものを大きくすれば良いと、ドラえもんより先に気づいたばかりか、終盤では「ひらりマント」「ビッグライト」「フエルミラー」のコンボを提案。漫画版では最初の一手を提案し、後はドラえもんが閃くという流れでしたが、個人的には断然映画の方が好きです。
「幻惑の星」でしずかちゃんが捕らわれた際も、誰よりも先にしずかちゃんを助けに行こうと動いてますし、この映画ののび太は本当に頼りになりますね。
また、ゲストキャラクターであるリアンたち宇宙少年騎士団の面々も、歴代のゲストキャラクターの中でもかなり気に入っています。「宇宙少年騎士団」という名前もカッコいいですし、制服も素敵だし、幼いながらも「宇宙少年騎士団」の名に恥じないよう、立派に宇宙を旅して調査していますし・・・やはり、同年代の子供たちが活躍している様を見るというのは、子供心に何か憧れや尊敬を抱かせるものなのかなと感じました。
そして評議会のマズーラさんもこれまたやけに記憶残るキャラでした。後半になってから登場する人なんですけども、名前も覚えていましたし、印象に残ってたなぁ・・・
ラストは再び宇宙を旅する銀河漂流船団のシーンで締めくくられます。のび太たちの冒険は終わったものの、リアンたちが理想の星を求める旅が終わったわけではないという意味が込められているように感じます。映画の終わりが物語そのものの終わりではない、という感じがして好きです。
また、銀河漂流船団そのもののデザインも好きなんですよ。元となる宇宙船に様々な宇宙船が随所にくっついていて、1つの大きな船になっているあの感じが大好きです。
映画も20作目を迎え、もうそろそろ世代交代の時期がやってきます。