毎日、妻と二人暮らしの生活だが、欲張って肉体的にも精神的にも望むことはあるが、そのようなことに拘っても仕方ないと思えば、 「介護される」 と 「介護する」 者が相反する磁石のような二人の関係を除けば、私たちは世間並みには 「幸せ」 な暮らしかもしれない。上を望めば切りが無い、そんな現状で満足すべきなのだろう
だが敢えて言えば私たちの生活には 「笑う」 という、どんな良薬より勝る意思表示が欠けている
「笑い」 はそう簡単に私たちにはやって来ない。時には介護の仕事に苛立って声を上げるのが多い私だから余計に私たちから笑いは遠ざかっているのが現状だ
笑いにも大笑い、中(笑いそして小(笑いがあると思っているが、その小笑いさえ一回も無い日もあるのは何とも寂しいことだ
私自信は笑いには大いに興味があって、チャンスがあれば 「落語研究会」 などにも参加して一回でもいいから座布団に座って万座のお客様に笑いを送りたいと夢見ている
そんな私たちだが、今朝は二人して多いに笑いの渦の中に入った
それは朝6時過ぎに放映されたNHKの番組 「毘沙門まつり・全国泣き相撲大会」 を見た時のことだった
この大会は花巻市 (岩手県) の成島三熊野神社に古くから伝わるユニークな神事 「泣き相撲」 を全国大会として実施。全国各地から生後6ヶ月から1歳6ヶ月の豆力士が大勢集まり、親方の 「ヨッヨッ!」 という掛け声に、泣いたり笑ったり微笑ましい取り組みを繰り広げるが、泣いたほうが負けのユニークな行事らしい
さて、この大会は豆力士が主役だが、この番組がドキュメンタル的に取り上げたのが 「三つ子ちゃんの泣き相撲」 だった
この 「三つ子ちゃん」 は生まれた時は三人合わせても三千グラムにも満たない体重だったから二カ月間は保育器暮らしをしたとのことだった。一人を育てるのも大変だが、三人も育てるご両親も並みの苦労では無かったことだろう
そして今は元気に成長した姿からはそれだけも私も妻も笑いを頂ける 「三つ子ちゃん」 の姿だった
さて勝敗の結果は忘れてしまったが、全ての取り組みが終わってからは観客のリクエストがあって三人だけの 「泣き相撲」 が行われた。その時の三人の姿を見ていると何とも 「愛らしい」 「可愛いらしい」 が溢れる元気な姿だった
この神事、幼子が社会に始めてお目見えする大事な一歩かもしれない
それにしても手拭で鉢巻し、法被(を着た豆力士たちを見ていると純粋さそのもので、その姿に私も妻も暫し笑いを隠すことができなかった。久しぶりに二人で笑ったのは珍しいことだった
このような神事、一度は見て 「豆力士たち」 に声援をおくりたいものです
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