続きです。
神を見てみたい。実感してみたい。如何すれば良いか。取りあえず神社に行こうと思いました。夜に、丑三つ時に。
丑三つ時って午前1時30分から午前3時頃でしょうか。この時間帯ならもしかしたら神の姿は見れなくても、何らかの神のメッセージを得られるのではないかと考えました。そして神を見るまで、神を実感するまで神社を回り続けようと堅く決意しました。
しかし、どの神社を参拝しに行ったら良いのかねぇー。まさか最初から上級コースの貴船神社に行って丑の刻参りの人にでも会ったら、目も当てられませんからね。
丑の刻参りは他人にその現場を見られたら貴船神の祟りを受け死ぬそうです。祟りで貴船神に殺されない為には、自分の姿を見た者を殺すしか方法がありません。
五寸釘で藁人形を御神木に打っていた白装束の女の人が「見たなぁ~」と言いながら、頭に鉄輪と蝋燭三本立てて髪を振り乱し襲ってきたら、そりゃ恐ろしいですよ。
こりゃダメです。流石に貴船神社へは最初から行くべきではないですね。
最初は何事も初心者コースにすべきです。そこでピンと来たのが某征夷大将軍を祀った神社です。勿論、仙台にあり私の家からも近いです。
実は私の血筋にその征夷大将軍の秘書兼、ボディーガード兼、軍師??兼だった男がいました。私の血筋の宗家です。
私の血筋ですから神に嫌われた因果な人生をおくったのですが、立派に生き抜いた素晴らしい人物です。私の心の師でもあります。
宗家は惚れ惚れするほどの美男子で文武両道。義勇に生きた男です。曲がった事が嫌いで出世にも禄にも興味が無かったようです。
豊臣秀吉から「比類無き勇者」と称えられ、豊臣姓まで送られても全然驕らなかった様です。勿論、調子に乗って豊臣姓など名乗っていたら滅んでいたかも知れません。そんなこと宗家は呪われた家系故知っていたと思いますね。
確か童門冬二さんが「参謀は名を秘す」と題する本を書いていますが、、名を知られない事は敵を作らない事になります。生き残るには目立たない事が一番です。
多分、宗家は先祖の失敗から深く学習し、でしゃばらない実直すぎる性格になったのかも知れません。だからこそ徳川幕府の終焉までお家が続いたのだと思います。
そして我が血筋は代々熊野神社神職を兼ねた武家の生まれです。宗家も神道にも精通しています。
実際、その仕えていた戦国武将を神道の知識を駆使して無理やり神に祭り上げた人物の一人でも有ります。だから私も安心感があります。
また宗家はその戦国武将を祀る総本山の神社建設の現場監督もしてます。最初に回ろうと決めたその神社は仙台支店みたいなもので、祀られている神様も私を優遇してくれるだろうと考えたのです。
しかも仙台のその地に某征夷大将軍と共にやって来ています。彼らが一休みした地にその神社が建立されています。何らかの保護が期待できます。
それに夜でも街の明かりが煌びやかな場所に鎮座している神社です。深夜でも結構明るい。そんなにオドロオドロシイ雰囲気ではないです。
小手調べと言ったら大変不謹慎ではありますが一番最初に参拝するのなら理想的だと思いまして、この神社からのスタートを決意しました。
私の商売は午前0時で終了。それから深夜までやっているスーパーで半額になった食品なんぞ買いながら週刊誌の立ち読みで時間を潰し、午前1時過ぎに目的の神社に到着。「よぉーし、よぉーし」と気合を入れ、神社の石段を登り始めました。
私の親の家業は新聞販売業でした。私は小学校から新聞配達をしてます。労働基準法違反ですが働いていました。新聞配達のプロです。まっ、それはどうでも良いのですが、私には新聞配達で掴んだ奥義があります。階段を疲れず登る奥義です。
それは特撮ヒーローになりきり敵と戦っているつもりで興奮しながら足元を見て、小刻みに手足を動かし階段を登るんです。そうすると意外や意外疲れも少なく、身も軽くなり軽々と石段を登れる様になります。嘘だと思ったら試してみてください。
つづく。