諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

愛するが故の祟り。 

2013年12月24日 11時51分57秒 | 霊体・恐怖

今回のお題、的確に言い表せているのか少々疑問です。何て言い表して良いのやら難しいですが、まあ聞いてやって下さい。

これは私の叔母、父の妹に起きた出来事です。

私の叔母は何と言いますか「おてもやん」みたいな顔しているのですが、中々もてる人で二人の男に求婚されていました。一人は東北電力の技師。もう一人は資産家の大工です。

周囲の人間は真面目な東北電力の技師との結婚を勧めていましたが、本人は何が良かったのか資産家の大工と結婚しました。

大工の男は少々派手好きで、当時マツダ・サバンナRX3と言うスポーツカーなんぞを乗り回していました。かなり太っていてもてるタイプには全然見えません。叔母がどうして結婚しようと思ったのか疑問です。

技師と結婚すれば転勤しなければならず、地元・いわき市を離れるのが嫌だったのか、財産に目が眩んだのか、太っている男がタイプだったのかは知りませんが、周囲の反対を押し切って結婚した訳です。

大工の男は母一人子一人。父親は既に亡くなっていました。゛

叔母は姑には随分気に入られていました。まずまず円満な生活をしていたようです。

しかし、世の中は諸行無常。同じ事は続きません。結婚後暫くして大工の夫は大腸癌を患い、人工肛門の体になってしまいました。

そうなるともう大工の仕事は続けられません。それでなくても更に太ってしまっており大工の仕事に支障をきたしていたんです。失業せざる終えなくなりました。

福島県は田舎です。学の無い大工では、体の負担が少ない事務職の様な仕事は少ないです。仕方なく叔母がパートで働き、足りない分は財産を切り売りして生活しておりました。

その後月日は過ぎ、姑が病に倒れました。入退院を繰り返していましたが、死期を悟った姑は自宅での死を望んで自宅に戻って来ました。

そしていよいよと言う時に姑は何時死んでもいい様に白い死装束に着替え、叔母を寝所に呼び出しました。

姑は叔母に言いました。

「これまで苦労の掛けっぱなしてすまなかった。あんたが嫁に来てくれて本当に幸せだった。あんたのことが息子より好きだった。本当に有難う。もう心配はいらないよ。アレはオレが連れて行く。幸せに暮らしてくれ」と。

福島では女性も自分の事を「オレ」と呼んでいました。そして「アレ」とは自分の息子を指します。

姑はその三日後亡くなりました。

そして姑が亡くなって三ヵ月後に、息子である叔母の夫が急死したんです。太っていましたが前日までピンピンしていたのに急死したんです。

姑は息子を残して死ぬのは不憫だった。嫁にも息子の事でこれ以上迷惑はかけられないと考えたのだと思います。

そして人工肛門となり働けない息子も不憫だった。だから連れて行ったのだと思います。

私、この歳になって気付きました。死は不幸な事ではないと。だからと言って自殺を勧めている訳ではないですが、生きる事は人によっては辛いものだと思うのです。

自分の一人息子を連れて行った姑は、嫁も息子も愛していたと思います。愛していたからこそ息子を連れて行ったと思うのです。

何か、遣る瀬無い気持ちは残ります。これもまた幸せの形なのかと考えいますが、今の私には正しい解答は出せそうも無いです。

ホント、人の死も人生も難しいですね。

 

ではでは。

 

 

 

コメント
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