諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

投資顧問会社コスモ・リサーチ社長殺害事件(1988年)の犯人が死刑執行された。その4

2019年01月09日 14時13分15秒 | ニュース
続きです。

私はこう言った一連の事件の流れは知りませんでした。殺されたとだけしか。犯人が捕まっていたのも分からなかった。

それがそれが既に捕まっていて、昨年の12月に河村・末森両被告の死刑が執行された。もしかしたら平成最後の死刑になるのかも。これって感慨深いです。私が社会人となって最初に尊敬した見学さんが殺されたのですから。

それにしても事件発生から30年で死刑執行された。オウムの死刑囚よりも生かされていた。何故なんだ。何で30年も刑が執行されなかったのだ。

調べてみたら主犯の河村啓三は二冊ほど書籍を刑務所から出版していて、その著書が死刑廃止の為の大道寺幸子第一回表現展優秀作品に選ばれたみたいです。だから国は刑の執行に躊躇していたのかも知れんですね。

私もその本を読んでみたいとamazonで探したら、数千円から1万円を超える値段になっている。うーん、そんな金払えないよ。

彼の著書のタイトルは「生きる」と「こんな僕でも生きてていいの」。生きてて良い訳無いだろ。1億円で人を二人も殺したのに。

amazonのレビューを読んでみたら、「自分の生い立ちのせいにしている。親からきちんと教育されなかった。自分に都合の良い解釈をしている。被害者二人への感情は通り一辺倒。」等々書かれていました。

彼と養子縁組をした方もいるそうですが、文章が優れていると言う訳で賞に選ばれたのではなく、死刑反対の勢力により30年も死刑が執行されなかった。そうとしか私は思えません。

1億円を強奪するために二人の人間を殺した。実行犯の二人は死刑執行された。犯行に協力した元暴力団組長は無期懲役になった。1億円にこれほどまでに価値はあるのか。

今年、豊洲の初競りで「すしざんまい」の社長が278キロの大間の鮪を3億3360万円で落札しましたが、1億円で見学さんら二人の命が奪われた。犯人の二人も死刑。そして協力者は無期懲役。

人の命より鮪の方が価値があるのか。なんかやり切れませんね。大間の鮪にも笑われている感じがして。

日本の平和は死刑制度によって成り立っています。人を殺して服役して反省したら罪は許される。反省すれば許される。そんなのは聖人ぶった人間のエゴだと思います。

人を殺したのなら命を持って償う。それが日本の伝統。そうしなければ死んだ者も、その遺族も浮かばれない。神に懺悔すれば許されるカトリックと日本は違う。それが純然たる日本だと思います。

河村、末森は死刑判決から30年も生きた。それは苦しみも有ったでしょうが、してやったりの気持ちをあったのではないか。生きる為に出来るだけの対応はしたと。

そこに刑の執行を伸ばす事に意義を見付けていたとしたら、見学さん達の死が浮かばれない。見学さんが無念過ぎます。

見学さんなら1億円程度は大した金額ではない。その大した金額ではない1億円に見学さんは殺された。何か空しい。

1億円で犯人も人生を棒に振った。本当に馬鹿な奴らだ。

そして先日、ゾゾタウンの社長が100人に100万円、計1億円を大盤振る舞いしましたが、そのお金に群がる人を見て、お金の恐ろしさをまざまざと感じました。この中には金で人を殺す者が少なからず含まれている感じがして。

そんな私も「それにつけても金の欲しさよ」なのですけど・・・・・・。


ではでは。







コメント
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