私、「いわき市」出身と言いながら、5.6歳で仙台に引っ越ししたもんで、あんまり「いわき市」の事を知らんのです。そして思っていた。何時かは「勿来の関」に行きたいと。
よし、「道の駅 よつくら港」で起床。ナビを設定。目指すは勿来の関。いざ行かん。
途中、子供の頃から参拝している「沼ノ内弁才天」へ。ここには2011年正月に車中泊の旅で来ていますが、その約2ヵ月後の震災でとんでもないことになりました。道には皹が入ったり、沼へ突き出た舞台が潰れたり。
その後、新しい舞台に変えられましたが残念です。古いままで残って欲しかった。
それに人気が無くなりましたね。正月なのに人気が少ない。昔は出店が出て訳の分からない物を売っていたのに。
原因は大鰻がいなくなったからだと思います。子供の頃、50円でに藁紐に鰊の干物が付いたヤツを買い沼面スレスレに落とすと、手首くらいの太さの大鰻がパクついてきました。
それが感動なんですよ。面白いのなんの。あっ、神様の使いだからそんな事言うとバチが当たりそうですが、あれは良かった。
今は大きな錦鯉や亀はいますが、大鰻は姿を消しました。多分、弁天川を伝って海に逃げちゃったのかなぁー。あの大鰻達が居なくなると眷属も居なくなった感じがします。だから人気が無くなったのかなぁー。
でも、海から近いのに津波は来なかった。霊験を感じる。何時もの様にしっかりと参拝。ここに来ないと「いわき市」に帰って来た感じがしない。私の好きなお寺です。やっぱり徳一法師に関わるお寺は心が落ち着く。
さてと、次は本命の勿来の関へ。ここから40分足らずですが到着しました。でもナビでは目的地を示しているけど、ここなのかな。
騎馬武者の銅像がある。変な屋根付きの鳥居みたいのがある。これなのかな。否、こんなのではない筈。駐車場も無いし。
アリオンを道端に止めて屋根鳥居??の前に。騎馬武者像は八幡太郎義家。源義家です。どうも安部氏を追っかけて来て、ここで和歌を詠んだみたいです。
うぅぅーーん。源氏か。私はこの人の子孫を討った家系。そしてもしかしたら降参して討たれた家系かも知れない。分からないけど私とは敵になっちゃうのだろう。うぅぅぅーーーん。
屋根鳥居をくぐる。ところどころに石碑がある。見てみると和歌が彫られてある。これっ、昔の歌人が勿来の関を詠んだ和歌だ。それが幾つもある。私は勿来の関が見たいのに。
歌碑の群を過ぎたら武家屋敷みたいな家が。覗いてみる。着物が展示してある。うーん、全然興味なし。勿来の関はどこにあるのだ。
また歩いてアリオンの元に。うーん、もしかしたら、この屋根付きの鳥居みたいなのが勿来の関なんじゃ。
考えてみれば当時の関が今も残っているとは考えにくい。しょうがないから勿来の関としてこれを造ったのでないか。うーん。
ここは私の短い人生でまた来る事も無いなと思いながら、次の行き先を考える。
そうだ、温泉に入ろう。
ここからだと湯本温泉だ。確か町営??の「みゆきの湯」と「さこばの湯」が230円で入れた筈。
噂によると「さこばの湯」は大変熱いらしい。身体中猫舌の私では湯に浸かれないのではないか。だったら「みゆきの湯」だ。でも駐車場は無かった筈。どうしようか。
スマホの地図で調べたら約2キロ手前にスーパーがある。ここに駐車して歩いて「みゆきの湯」へ行こう。お詫びに帰って来たらここで食料を買えばいいや。
そう思って歩く。結構遠い。着いた。休みだった。今日は2日。普通やっているだろ。どうすっぺ。しょうがない。また1キロ以上歩いて「さこばの湯」に行こう。
そして到着。何だ、ここは駐車場あるじゃんか。何だべなぁー、クルマでくれば良かった。帰りは大変だぞ、こりゃ。
そして「さこばの湯」に。驚いた、とんでもなく混んでいる。「みゆきの湯」が休みだったから、こっちに来た人が多いみたい。まるで刑務所の浴場状態。湯船も思ったより小さいし。こんなの嫌だなぁー。
酷かった。風呂は一人で入るに限る。風呂から出てロッカーに行くと私のショルダーバックのバックルが下のロッカーの戸に入って鍵が閉められ取れない。踏んだり蹴ったりだ。相変わらず上手く行かない人生だ。
外へ出たら真っ暗。道が分からない。スーパーの名前が分からないからナビも使えない。これは困った。
取りあえず湯本駅に向かおう。歩く。湯本駅へと歩く。でもだんだんと寂しい場所になってきた。こっちでいいのか。
白いエスティマが止まっている。助手席の女の人に湯本駅を尋ねる。逆方向でした。そうだよ。これが私の人生だよ。
えーえ、帰りは寒い中、4キロ位歩いてアリオンを駐車したスーパーに到着。パンなんぞを買って「道の駅 よつくら港」に戻りましたとさ。
ではでは。
よし、「道の駅 よつくら港」で起床。ナビを設定。目指すは勿来の関。いざ行かん。
途中、子供の頃から参拝している「沼ノ内弁才天」へ。ここには2011年正月に車中泊の旅で来ていますが、その約2ヵ月後の震災でとんでもないことになりました。道には皹が入ったり、沼へ突き出た舞台が潰れたり。
その後、新しい舞台に変えられましたが残念です。古いままで残って欲しかった。
それに人気が無くなりましたね。正月なのに人気が少ない。昔は出店が出て訳の分からない物を売っていたのに。
原因は大鰻がいなくなったからだと思います。子供の頃、50円でに藁紐に鰊の干物が付いたヤツを買い沼面スレスレに落とすと、手首くらいの太さの大鰻がパクついてきました。
それが感動なんですよ。面白いのなんの。あっ、神様の使いだからそんな事言うとバチが当たりそうですが、あれは良かった。
今は大きな錦鯉や亀はいますが、大鰻は姿を消しました。多分、弁天川を伝って海に逃げちゃったのかなぁー。あの大鰻達が居なくなると眷属も居なくなった感じがします。だから人気が無くなったのかなぁー。
でも、海から近いのに津波は来なかった。霊験を感じる。何時もの様にしっかりと参拝。ここに来ないと「いわき市」に帰って来た感じがしない。私の好きなお寺です。やっぱり徳一法師に関わるお寺は心が落ち着く。
さてと、次は本命の勿来の関へ。ここから40分足らずですが到着しました。でもナビでは目的地を示しているけど、ここなのかな。
騎馬武者の銅像がある。変な屋根付きの鳥居みたいのがある。これなのかな。否、こんなのではない筈。駐車場も無いし。
アリオンを道端に止めて屋根鳥居??の前に。騎馬武者像は八幡太郎義家。源義家です。どうも安部氏を追っかけて来て、ここで和歌を詠んだみたいです。
うぅぅーーん。源氏か。私はこの人の子孫を討った家系。そしてもしかしたら降参して討たれた家系かも知れない。分からないけど私とは敵になっちゃうのだろう。うぅぅぅーーーん。
屋根鳥居をくぐる。ところどころに石碑がある。見てみると和歌が彫られてある。これっ、昔の歌人が勿来の関を詠んだ和歌だ。それが幾つもある。私は勿来の関が見たいのに。
歌碑の群を過ぎたら武家屋敷みたいな家が。覗いてみる。着物が展示してある。うーん、全然興味なし。勿来の関はどこにあるのだ。
また歩いてアリオンの元に。うーん、もしかしたら、この屋根付きの鳥居みたいなのが勿来の関なんじゃ。
考えてみれば当時の関が今も残っているとは考えにくい。しょうがないから勿来の関としてこれを造ったのでないか。うーん。
ここは私の短い人生でまた来る事も無いなと思いながら、次の行き先を考える。
そうだ、温泉に入ろう。
ここからだと湯本温泉だ。確か町営??の「みゆきの湯」と「さこばの湯」が230円で入れた筈。
噂によると「さこばの湯」は大変熱いらしい。身体中猫舌の私では湯に浸かれないのではないか。だったら「みゆきの湯」だ。でも駐車場は無かった筈。どうしようか。
スマホの地図で調べたら約2キロ手前にスーパーがある。ここに駐車して歩いて「みゆきの湯」へ行こう。お詫びに帰って来たらここで食料を買えばいいや。
そう思って歩く。結構遠い。着いた。休みだった。今日は2日。普通やっているだろ。どうすっぺ。しょうがない。また1キロ以上歩いて「さこばの湯」に行こう。
そして到着。何だ、ここは駐車場あるじゃんか。何だべなぁー、クルマでくれば良かった。帰りは大変だぞ、こりゃ。
そして「さこばの湯」に。驚いた、とんでもなく混んでいる。「みゆきの湯」が休みだったから、こっちに来た人が多いみたい。まるで刑務所の浴場状態。湯船も思ったより小さいし。こんなの嫌だなぁー。
酷かった。風呂は一人で入るに限る。風呂から出てロッカーに行くと私のショルダーバックのバックルが下のロッカーの戸に入って鍵が閉められ取れない。踏んだり蹴ったりだ。相変わらず上手く行かない人生だ。
外へ出たら真っ暗。道が分からない。スーパーの名前が分からないからナビも使えない。これは困った。
取りあえず湯本駅に向かおう。歩く。湯本駅へと歩く。でもだんだんと寂しい場所になってきた。こっちでいいのか。
白いエスティマが止まっている。助手席の女の人に湯本駅を尋ねる。逆方向でした。そうだよ。これが私の人生だよ。
えーえ、帰りは寒い中、4キロ位歩いてアリオンを駐車したスーパーに到着。パンなんぞを買って「道の駅 よつくら港」に戻りましたとさ。
ではでは。