諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

いわき市・車中泊の旅。【北好間字下屋敷の山林編】その2

2019年01月12日 01時47分39秒 | 旅行
続きです。

それにしても私の家の山林はどこに行ったのだろう。どこにあるのだろう。ナビで連れて来られた土地には家が建っている。勝手に建てたのか。そうではないだろ。築40年以上は経っている筈。しょうがない、いわき市の法務局で調べて來るか。

法務局では確かにその番地は私の家の物になっていました。でも驚いたのは地積が減っている。何でだ。

最初は9728㎡。次に5742㎡に減った。最後は7468㎡に戻っている。何でなんだ。

係りの人に聞いたら「気にする事は無いです」と。気にするよ、どうしてなの。

その訳は測量する毎の誤差。或いは測量のミスだとか。嘘だろ。そんなに誤差が出るものなのか。最初は2947坪だったのに1740坪に減って、最後に測量したら2263坪に戻ったって事かい。いい加減過ぎるだろ、それって。

まぁー、私の人生はこう言うの何時もの事だけど何か損した気分。それにあの土地を開拓するのにどれだけの金がかかるのか見当もつかない。名義も母親の物になっているし。

母方の祖父が杉の木を植えたらしいけど、それを売って開拓する費用になるのかな。それよりもその杉の木が売れる様になるのに後何年かかるのだろう。

それよりも誰も剪定していない筈。そんな杉の木、売れるのか。持っていても何にもならないのでは。

それに私の家の山林は閼伽井嶽常福寺への参道。否、車止めの場所には石碑の大山祇神社が鎮座しているらしい。大山祇神は亦の名を和多志神。鬼渡神の根本の神。相変わらず因縁の鬼渡神に関わる土地。そんな場所に家なんて建てて良いのだろうか。

実は私の亡くなった従兄の父親(25年前に亡くなっている)は、閼伽井嶽や水石山で木こりみたいな仕事をしていた。もう少し考えが練られたら語るつもりだが、そのせいで祟りを受けている可能性がある。私もそうなるのではないか。

そう言えば犬を連れた二人の女性は参道を下って来た。それは大山祇神社の参拝の帰りか。参拝をすれば祟られずに済むかも知れない。

でも、その車止めの場所の木には注連縄が張っているいるとか。やはりこの地は霊場。大山祇神を調伏する為に常福寺が建立されたのかも。それほどの霊場なのかも。

車止めから登ると太子堂弘法水に到着する。この水から閼伽井嶽と名付けられたと言われる。

もう一つ説がある。「閼伽井」は「赤猪」で、昔この地で巨大な赤い猪が暴れまわり村人を苦しめていた。そこに岩城国造の建許呂命が現れ、弓矢で赤猪を撃って退治したとの話が伝わっている。

その物語は何を意味するのか。

赤猪と言うと記紀に出てきますね。大国主が美しい八上姫に好かれたことに嫉妬した八十神の大国主の兄達が、大国主に「崖から赤い猪を落とすから捕まえろ」と叫び、真に受けた大国主は体を張って捕まえようとしたら、赤く熱せられた岩だった。それで大国主は火傷して死んだ。

この大国主を殺した八十神は閼伽井嶽で考えると大山祇神になるのでしょうか。

猪を眷属とするのは大物主。そして大歳神とも考えられる。賽の神でもある。だったらやっぱり大山祇神となる。全ては境界線の神。やっぱり鬼渡神。参拝し続けろと言う事なのだろうか。

ここに住むようになるかは分からないが、私の墓を建てるのには良いのかも知れない。霊場だし。

誰も来ない暗い山林に隠れるように私の墓の石碑が在る。その下に私の骨を埋める。誰にも知られずに眠る。それが私には合っているのかも。

それでいいかも。

石碑には「永迷網彦命」とても名乗ろうかな。


ではでは。

コメント (6)
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