諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

いわき市・車中泊の旅。【鹿狼山神社編】その3

2019年01月24日 13時07分48秒 | 旅行
続きです。

頂上付近になってきた。ここから横に登る感じになる。まだまだ距離がある。確かに道が細くなり横に滑ったら危ない。結構、怖い。

まだまだ有るのだろうか。鹿狼山神社が頂上で無かった場合、参拝後に頂上を目指そうか。

否、目的は鹿狼山神社参拝。そこまで登ったら帰りは6時になるかも知れない。真っ暗になる筈。それは危ない。残念だが止めておこう。無理をすると私の人生ろくな事が無いし。

大きな田舎のバス停車場みたいな小屋が見えてきた。登山客の休憩場の様だ。はぁー助かった。ここで暫く休もう。

休憩所には二人の男性が山談義をしていた。共に60代後半。この世代の方は山登りが好きな人が多いのだなぁー。

私の父親も70歳前後の時、登山のサークルに入っていた。メンバーは100人位いるみたいだった。

父親は自衛隊出身。新聞配達もしていた。体力に自信を持っていたみたいだが、毎回、ヘロヘロになって戻って来た。

「80歳の方でも大丈夫な山だよ」と言われて登ったらしいが、父親だけ周りのメンバーに手助けされて身体を支えられ何とか登ったらしい。確かに80歳の方もいたが、かくしゃくとして登っていたとか。山登りが好きな人の体力は凄いな。

否、違う。私が太り過ぎているのだ。私の身長は165cm。適正な体重は57キロ前後。つまり26キロ太り過ぎ。これでは山は登れない。こんなに身体が重ければ登れたものではない。

考えてみたら山好きにデブはいない。太っていたら山は登れない。身削ぎをしないと山は登れないのだ。

休息所では二人の男性が「冬山はこの位の山が丁度良いですね。夏は安達太良山に登っているんですよ。やっぱり山はいいですねぇー」と談義している。私は疲労困憊で矢吹ジョーの様に白く燃え尽きた状態で下を向いて座っている。人がいなければ倒れこみたいくらい疲れている。

寒くなってきた。シャツが湿って冷たい。フリースのジャケットを着る。そして疲れが取れるのを待つ。

休息所の前には鳥居が建っている。ここが鹿狼山神社で間違いない。

実はカメラの充電池が切れたので使えなくなっていた。仕方ない、スマホで鳥居の写真を撮り、鳥居に礼をして階段を登る。大山祇神を祀る鹿狼山神社の社に跪き参拝する。

側に小さな社が有る。足尾神社だ。こちらに御手長様が祀られているのだな。

こちらも丁重に参拝。側に鹿狼山の頂上の石碑がある。そうだろ。神は山の頂上に鎮座する者。頂上でなくてはならない。

360度風景を見渡す。少々霞が出ているが絶景かな、絶景かな。周囲の田舎風景は心が休まる。松川浦も見える。晴れていれば金華山も見えるみたいだ。

分かった。御手長様の意味が分かった。ここに来れば分かる。何故、妖怪・手長足長の伝説が各地に出来たのか。


続く。



コメント (2)
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