諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「鎌倉殿の13人」のラスボスは、北条泰時だと思う。その4

2022年10月15日 23時25分57秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画
続きます。

うーん、若しやと思って調べ直したら、北条政範は本当に畠山重保に殺された可能性も出てきた。どうしよう、この記事。

まぁーいいや。今回はその説を無視して続けます。

北条義時は畠山重忠が無実であると考えていた。北条時政の虚偽であることを疑っていたのは間違いないと思います。「畠山重忠が謀反を起こす筈はない」と時政に反論しているので。

しかし、父の命令には逆らえない。牧の方にも討つように強く押された。鎌倉殿である源実朝の畠山重忠討伐令も出ている。

以上で北条義時へは罪は問われない。一応は反対した。全て時政のせいに出来る。

「鎌倉で謀反」が伝達され、数騎(6騎とか)で駆け付けた畠山重保を打ち取った。もう後戻りは出来ない。

畠山重忠の軍勢は130騎だったと聞きます。その人数と対峙した時点で、畠山重忠は謀反の意思はないのが分かる。謀反が出来る人数ではない。北条義時に善意があるなら戦を避けた筈です。

畠山重忠は武蔵国に逃げる事もできた。兄弟を呼び戻して大人数での戦ができる。しかし、息子・重保が殺されたと知り戦いを決行。討ち死にとなった。生よりも死を選んだ。

そして義時は「重忠に謀反の意思はなかった。謀反の話は偽りでしたね」と時政に問い質す。時政は無言。これで時政の失墜は決定した。

しかし、北条家としては当主の時政の首を刎ねる訳にはいかない。誰かが北条家の罪の責任を取らなければ、鎌倉の御家人達に示しがつかん。

それで北条義時は、この罪を時政の亡くなった娘の婿である稲毛重成が時政に畠山重忠の謀反を讒言したとして稲毛重成を一族ごと滅ぼしたと考えます。

稲毛重成は畠山重忠の従兄弟でもある。北条氏を恨んでいる可能性もある。

しかも稲毛重成は妻の供養を兼ねて相模川に橋を架けたが、その落成供養に参列した源頼朝は帰る際に落馬して命を落としている。

縁起が悪い人物と見られている。責任を押し付けて殺すにはちょうど良い人物。それで一族ごと処刑したのでしょう。一応、時政が命令を下したことになっていますが。

これで北条時政は名ばかりの執権となり、鎌倉の御家人からは総すかん状態に。政は北条政子と北条義時が担う事になる。それを良しとしない時政。

源実朝に鎌倉殿の地位を受け渡すように脅した。娘婿の平賀朝雅を次の鎌倉殿にして、執権の立場を政子、義時から取り戻す為に。

私、思うのですが、源実朝は中々の知恵者だと思います。本来は北条氏の最も信頼できる親戚筋である足利義兼の娘を実朝の正室とへと考えられていたが、源実朝は断固拒否してます。12歳でです。

これは北条氏からの脱却を真剣に考えていた。だから公卿である坊門信清の娘を正室に迎えた。天皇家に近づく為です。後鳥羽上皇も源実朝なら鎌倉幕府を思い通りにできる。そう考えていたのではないでしょうか。

それを北条時政、政子、義時も察知していた。中でも時政は実朝が公卿の娘を正室にしたため息子の正範を失った。源実朝に対し恨みを感じていたと思われます。


続く。






コメント (3)
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