諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「鎌倉殿の13人」のラスボスは、北条泰時だと思う。その10

2022年10月23日 09時10分29秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画
続きです。

私が「鎌倉殿の13人」のラストを描くとしたらどうするか。

三谷幸喜は「源実朝=ゲイ」説で来ましたからね、そう言う事なら私も頭にあったストーリーを思い切って描かせて貰います。

先ず、真夜中の部屋の中、蝋燭の光の中に座す男が一人。その前には源義朝の髑髏と源頼朝の位牌が置かれている。その後ろから老婆が声をかける。

「全てお主の思惑通りに行ったな」。蝋燭の光の中、照らされた老婆は歩き巫女だった。

その歩き巫女の後ろには源頼朝、源頼家、源実朝の亡霊が浮かび上がる。

男は座したまま歩き巫女の問い掛けには答えず、ただ髑髏と位牌を見ているだけ。

その男の顔が蝋燭の光の中に照らし出された。悲しくも僅かに微笑みを見せていた。

その男は北条泰時。それで「鎌倉殿の13人 完」とします。

源氏と平家の戦い。それは平清盛が亡くなり安徳天皇が入水して終わったと思っている人が多いでしようが、続いていたのです。

戦国時代は甲斐源氏の武田氏を滅ぼした平家の血筋の織田信長。その信長の天下を奪った秀吉から取り上げた源氏を称する徳川家康。

その長く続いた徳川幕府を終わらせた平家である大江広元の血筋の毛利氏。

もしかしたら現代も源氏と平家の戦いは続いているのかも知れません。

さて、何故、源頼朝は伊豆に流されたのか。それは坂東平氏に囲まれた土地。源氏にとっては敵地だからです。

平清盛は源氏を倒した後、武家であるのに公家の如く振舞った。武家ではなく貴族にあらんとした。その威光は天皇家を上回った。

それを関東の地で苦々しく思っていた坂東平氏。そこに源氏の御曹司である源頼朝が流されてきた。

坂東平氏にとって源氏は敵である。しかし、同族である平清盛が許せない。我らも権力・権威が欲しい。領地を広げたい。それで源頼朝を神輿に担ぎ上げた。坂東平氏の期待を裏切った平清盛を倒す為に。

っとは言え、源氏は敵なのである。源頼朝の神輿の前に団結した坂東平氏は領地欲しさに、私欲で源頼朝に関係なく源氏の血筋である佐竹氏を襲った。

更には頼朝の名の元に同じ源氏である武田信義を屈服させ、木曽義仲をも滅ぼした。源氏の勢力は削がれ、頼朝に集中した。

そして頼朝の兄弟も危険視して滅ぼされ、頼朝の死後はその息子達も殺された。坂東平氏は源氏を滅ぼした。

結城朝光は源頼朝の御落胤との説がある。頼朝が平家討伐に立ち上がった時、頼朝の乳母だった寒河尼が末子(娘の子との説もあり)とされる14歳の結城朝光を連れてきて、戦に加えてくれと願う。

喜んだ頼朝は朝光を元服させた。朝光の名はその時に頼朝が自身の「朝」と取って名付けた。その後、頼朝は溺愛と言えるほど結城朝光を重用した。

結城朝光は藤原秀郷流の家系だが、後に源氏姓を名乗っている。多分、御落胤説は当たっていると思う。

その結城朝光を滅ぼそうとした男がいた。梶原景時である。朝光は「武士は二君に使えず。自分は頼朝様の死後は出家すべきだった」とこぼした言葉を梶原景時に聞かれ、景時は「結城朝光に謀反の疑いあり」と源頼家に讒言した。

梶原景時は讒言で源頼朝に弟・義経まで殺させている。源頼家も結城朝光が頼朝の御落胤だと知っていたら、自分の地位を脅かす存在だと思う。

その事で結城朝光は三浦義村と相談。義村は66人の鎌倉御家人から梶原景時への連判状を集め頼家に提出。

頼家は66人の御家人を敵に回すことに恐怖し梶原景時の排除を命じ、梶原景時は一族を率いて上洛。その途中で北条時政の兵に討たれた。

それで頼家はバックボーンを失う。飾りの鎌倉殿となった。

その出来事を北条泰時は自分の出来事の様に心に刻んでいたと思います。

私は北条泰時は源頼朝の実子であると考えております。自分も結城朝光の生き方、そして源頼家の人生から、己の生き方を学んだのだろうと思います。。


続く。
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