続きます。
「鎌倉殿の13人」。このタイトルからこの大河ドラマの主人公は、鎌倉殿である源頼家、源実朝の政権をサポートする側近御家人の13人となります。
大河ドラマでは北条義時が主人公ですが、史実で考えると今までの経緯に対処してきた者、先導・計画した者、そして登場人物を動かした者。それを考えると一人しか思い浮かびません。
その者の名は大江広元です。私は大江広元が鎌倉殿や北条家、そして全ての騒動に関与した13人のリーダー。大ボスだったと思っています。
大江広元が京から鎌倉に下って来てから、鎌倉御家人の激動が始まったのがその証拠です。
大江広元には目立った多くの領地は無い。兵も少ない。しかし、役職は鎌倉殿に続きダントツの2位です。
人格も優れている。兵力も領地も少ないから警戒されない。嫉妬も逆恨みもされない。
圧倒的な知識がある。的確に次の展開が読める。だから全ての御家人から畏敬を集めていた。頼朝も義時も先ずは大江広元に相談する。
大江広元にとっては源頼朝や北条政子、北条義時などはただの手駒だったのではないか。私はそう思っています。
彼が何よりも優れているのは軍師としての才能です。
「大江広元が稀代の大軍師だ」と言うと笑う歴史通もいると思いますが、名の知られている軍師の最後はどうなりましたか。
中国の諸葛亮孔明、黒田勘兵衛、島左近、真田信繁、山本勘助、太原雪斎、源義経等々、皆最後は失敗しているじゃないですか。
竹中半兵衛だって35歳で病死している。秀吉の役に立つ前に亡くなった。仕方ないとしてもそれでは最良の軍師とは言えない。
家康の軍師である本多正信も息子の正純の代で失墜した。良い息子を育てられない。それも軍師として失格だと思います。
軍師たるものは最後の最後で勝ち、そして生き延びる。それが軍師です。
「軍師は名を秘す」と言う言葉がありますが、敵の軍師の名前が分かった時点で、その軍師の負けは必至。名が知られない軍師こそが最良の軍師です。
その点、大江広元は文官として知られていたが、軍師としては目されていない。軍師としての手柄は欲しがらない。御家人に手柄としてくれてやる。
文官として目立たなく行動しているが、全ての案は大江広元が発案している。
尼将軍と言われてましたが、田舎者で学のない北条政子に政は無理。北条義時も同様。源頼朝なぞ子供時代に伊豆に流された。師と呼べる者などいない。政も軍事も学んでない。だから初戦は簡単に負けた。
だからこそ私は「鎌倉殿の13人」の影の大ボスは、大江広元だと確信しています。
続く。