諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

宗教の怖さ。【オウム真理教扁】 その1

2014年01月22日 09時33分29秒 | 人生

もう随分昔になりますが、26歳で上京し株の業界紙の整理記者をやっていた時の話です。

悩み多き人生を歩んで来まして今も悩んでいる事が数多くありますが、当時も悩んでいました。仕事で。

整理記者とは紙面のレイアウトや見出し等々を担当する仕事ですが、一番苦労するのは記者と制作との板ばさみになると言う事です。

記者は自分の意向を付き通そうと考えていますし、制作は新聞の進行を考える。どちらのクレームを受けるのが整理記者なんです。

しかも会社に楯突いて干された社員がいます。その人は仕事が無いのです。仕方なく校正の真似事するのですが、記事が如何した、見出しが如何した等々、整理記者にイチャモンつけるんですよ。

言われる事は判るのですが、記事のスペース、見出しのスペース、写真のスペース等々、色々しがらみがあり、妥協しながら紙面を作っているのです。

こっちを立てればそっちが立たずで、心身の疲労は尋常じゃなかったです。正直、私、一ヶ月半で体重が86キロから71キロまで落ちました。人間のエゴの醜さが身に染みる仕事でしたね。

それでなくても私が一番若いのです。そして私、ボンヤリした顔しています。私を見ていると皆さん色々言いたくなるみたいなんです。私には向いていない仕事だったとつくづく思いましたわ。

今までも何度か書いていましたが、私の家業は新聞販売でした。務めていた株の業界紙も販売してます。

株の業界紙はまだまだ売れていた時代で、新聞取っていたお客さんも多かったのですが、私の勤めていた株の業界紙は直ぐ購読を辞めるんです。何を言っているのか判らないと言って。

株の業界紙を購読する人は大抵株をやっている老人です。老人にドラスティクな対策とか、フェミニンな対応とか言っても判らないですよ。私だって判りませんでしたしね。

しかも記事の内容は証券会社の提灯記事ばかり。記事広告のつもりなんでしょうけど、証券会社の推奨銘柄ばかり取り上げる。そして記事が出たとたんに大幅に下落するの繰り返し。読者は損ばかりしていたと思います。

私、正直に言います。株で儲けたい、少なくても損をしたくないのなら、他人を信じちゃ駄目です。

信じられるのは金と己だけ。金と自分自身を信じてその会社の経営状態を分析し、底値である事を徹底的に検証し、脂汗を流し流し株価のチャートから目を離さす売り買いするしかないです。

株の新聞見て儲かるのであれば、私が務めていた株の業界紙会が社更生法適用になんかなりません。私も貧乏な筈ありません。そんなに世の中甘くありません。

株もそうですが、何事も真剣に努力しなければ儲かりません。怠け者が故に貧乏な私が言うのだから間違いないです。

ってな事書いてまたまた脱線しちゃいました。仕事での悩みに戻します。

私、いい意味で気安い顔をしています。悪い意味で気弱な顔と言えます。だから色々言って来る人が多いのです。

正直、私、それが元で学生の頃は喧嘩ばかりしてました。殴り合いの喧嘩です。ヤクザな新聞販売業の息子ですからね。火の玉になって喧嘩してました。そうしなければ生残れないと思っていましたし・・・・・・・・。

しかし、社会人となった今、喧嘩していたら生きられません。サラリーマンは特にね。だから「スミマセン、スミマセン、判りました、失礼しました」で耐えてきたのですが、疑問はありました。本当に全て私が劣っているのかです。

正直、何処が悪いのか判りませんでした。私の付けた見出しはよく直されていましたが、直す人は何人もいます。その通り直して、他の人は私にクレームを付けて来る。皆、全然違う事を言うのです。つまり正解が無いと言う事です。

一番良い方法は「うるせぇー、この窓際ども。仕事してる振りしているだけの癖に、何言ってけつかるんだ」と言って恫喝し黙らせる事だと思いますが、社会人でそれを言ってはお終いです。

ホント、悩み多き時代でしたね。

 

つづく。

 

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末期の水と青笹不動尊。 その4

2014年01月20日 00時08分44秒 | 伝説

私、ボケてしまいました。

前回の「末期の水と青笹不動尊。その3」で、「ではでは」とピリオドを打ちました(直しましたけど・・・・)。

そしてノートパソコンを閉じ、ふと考えたら、タイトルの「末期の水」についても、「青笹不動尊」に付いても書いて無いではないですか。うわぁーん。

もー呆れてしまいました。しょうがないので、まだ続けます。どーもスミマセン。

さて、評定河原同様、七北田刑場の場合も米ヶ袋にあったとされる牢屋敷から、七北田刑場まで市中引き回しされる訳です。馬に乗って。長い警棒の様な武器??を持った役人に困れて。

その行列には処刑される罪人の親族も付き添っていたそうです。民衆の好奇の目で見られて引き回されるって辛いでしょうねぇー。付き添う親族の心情もいたたまれないと思いますよ。

そして罪人が途中寄る場所があります。末期の水を飲む為に。その場所が現在の青笹不動尊です。っと言っても本来の場所は100メートル北側に有ったようです。今より手前ですね。

道路の拡張工事で現在の場所に移されたみたいです。

現在の青笹不動尊には井戸がありますが、本来あった場所にも井戸があったのでしょう。

七北田刑場からは1キロ強手前にその井戸はあったと思いますが、人生最後の水をそこで飲んだとすると、これまでの人生が走馬灯のように感じられたと思います。怨念、執念、残念無念、色々念じられたと思います。

そしてその念の強さはいかばかりでしょうか。物凄い念が練られたと思います。そんな念を抱いた罪人が6000人以上いたとしたら・・・・・・。

私が仙台北郵便局が見える地点から変な違和感を感じていましたが、この末期の水の井戸が有ったと思われる地点とほぼ同じ場所です。

私は幽霊を見たことは有りますが、霊感があるとか守護霊が見えるとかの能力が有る訳ではないです。

そんな私でも違和感を感じる。多分、私に限らない筈です。それだけの念がこの通りに残っているのは確かだと感じます。

末期の水を飲めば、否が応でもこれから訪れる処刑を実感せざるおえないでしょう。その思いを抱き馬の背にゆられ1キロ強の道程を行く訳ですから、それは凄まじいものが有ると思います。

うーん、そんな罪人の思いを考えてこの通りを走ったら、私じゃなくても事故を起こしそうです。

七北田刑場の隣は普通の住宅でしたが、こんな場所にはとても私は住めないです。

正直、字念仏の七北田刑場跡の付近に、大成パルコンで造られた中古住宅(敷地は50坪程度)が500万円で売っていて、倉庫として買おうか考えた事がありますが、いやーいや、怖くて怖くて諦めました。

そんな私ですから、この場所には年間500万円、いや1000万円貰っても住みたくないですわ。

ちょっと前、コメントでもご意見頂きましたが、処刑に関しての伊達藩の所業を考えると、伊達武将隊で復興を叫ぶのは複雑な思いがします。都合の悪い過去を消し去って何が伊達武将隊だと思いますね。

何かしらの供養を仙台市主導で毎年やっていただきたいです。これは仙台市の為にもなると思いますので・・・・・。

 

ではでは。

 

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末期の水と青笹不動尊。 その3

2014年01月19日 10時04分43秒 | 伝説

続きます。七北田刑場跡に戻ります。

この七北田刑場跡、八乙女駅の斜め向の高台にあります。

私、一度行って見ました。驚きましたよ、普通の住宅地に普通にあるんですから。100坪も無い敷地に石碑やお地蔵さん等が置かれていますが、何もかも普通にあります。

隣は普通の住宅です。住宅地にただ一箇所の更地にただ置かれている感じです。ここで少なくても6000人以上が処刑されたとは信じられません。それだけ普通の場所にあります。

七北田刑場は主に庶民が処刑されていたみたいです。罪人は主に殺しが多いのですが、不義密通も処刑されていたみたいです。女性だけ。今だったら何万人が処刑されるか検討も付きません。

そして字念仏の八乙女駅の石碑。石碑が立つ前は10年間で20件の死亡事故があったようです。勿論、石碑の前でです。死亡事故が20件ですから、怪我とかだったらその数倍あったでしょうね。そりゃ、石碑は建てるべきです。

幸い石碑建ててからめっきり死亡事故が少なくなったそうです。でも、めでたし、めでたし・・・・・・じゃすまないですよね。

何故それ程事故が起こっていたのか。

伊達藩は処刑した者達の供養を認めなかったそうです。つまり処刑された遺体は墓にも入れなれず、どこかに埋められたと伝わっています。

しかし、何処に埋められたか伝わっていないんですよ。こんな事ってあるのでしょうか。6000人以上の遺体が埋められた場所が判らないなんて信じられませんよ。

いい加減なのか、訳あって隠しているのか判りませんが、これでは処刑された人たちが浮かばれません。

七北田刑場跡に伊達の殿様の奥方様が慰霊塔を立てていますが、こんなもんじゃ全然足りないと思います。

それと広瀬川の評定河原で処刑された人たちも何処に埋めなれたのでしょう。どこかを掘り返せば遺骨がザクザク出てくるのでしょうか。

字念仏の八乙女駅周辺は再開発されましたが、遺骨は出ていません。でも、この周辺は霊道があるそうで、当たり前の様に幽霊が出るそうです。何かしら大々的な供養が必要に思いますね。少なからず無実で処刑された人たちも居ると思いますし・・・・・・・。

話を処刑された遺体に戻しますが、評定河原刑場と七北田刑場の共通点は川です。評定河原刑場が広瀬川で、七北田刑場は七北田川。

もしかして遺体はそれぞれの川に流されたのではないでしょうか。

広瀬川には橋姫の祠があり、瀬織津姫を祀っていた滝澤神社とその瀧である三居澤不動尊がある。そして「広瀬」の名も瀬織津姫との縁を感じます。広瀬大社に瀬織津姫が祀られているとの話もありますしね。

七北田川はその昔は冠川と呼ばれていた。鬼渡神・阿須波神とされる志波彦神が白馬で川を渡っている途中、冠を落とした事から冠川と名付けられている。

そして七北田川には処刑された者の血で赤く染まった伝説が残っています。

どちらもあの世とこの世を行きかう境界線の神。どちらも川の神です。処刑された遺体はあの世に流す形で川に流されたのではないでしょうかねぇー。

それならそれで言い伝えがあってもよいと思うのですが、そんな話は聞きませんし、何とも判りません。

伊達藩は何を考えていたのか、聞いてみたいもんです。それにしても人の死を軽んじていますよね。

そんなところが障りとなり、仙台人の気性を荒くしているのかも知れませんね。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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末期の水と青笹不動尊。 その2

2014年01月17日 20時54分03秒 | 伝説

そして調べてみたら・・・・・・からの続きです。

っとは言っても当時はパソコンも無い時代です。調べる伝手が無い。しょうがないので地図で調べてみました。

地図と言っても私の家、新聞販売業やっていましたからね。詳しい住宅地図が有ったんです。不動産屋が持っているようなやつです。不動産屋が毎年広告出して貰っていた地図の年遅れになったやつを貰っていたんです。それで調べてみました。

先ず最初の発見はタイトルの「青笹不動尊」。仙台北郵便局のほぼ向にありました。

そして八乙女駅の石碑あたりを調べたら・・・・・・。何とその地点の地名、「字念仏」になっている。

そしてそして極めつけは、そこから北側の斜め向に「七北田刑場跡」なる場所がありました。

うーん、この三ヶ所を調べれば答えが出るのではと思いました。思いましたが、当時の私は子供。図書館に行けば調べられるとは思いますが、そこまで頭が回らず、そのままにしていました。

その後月日は過ぎ、ネット時代の到来です。その間、大学出て就職し、東京で働いて仙台に戻り、秘密の商売を開始。

何となく当時の事を思い出してネットでキーワードを検索してみました。その結果は・・・・・・・・。

まあ、呆れた果てた話なのですが、伊達藩ってどうも恐怖政治をひいていたようです。随分と処刑を敢行していたしていた様なんです。

先に書いた「七北田刑場跡」では1690年から明治時代までの180年の間に6000人以上、一説には7600人程度処刑されていたそうです。

それだけでないです。仙台には広瀬川の川べりに評定河原と言う場所があります。仙台市の中心地・片平の近くにです。

何を評定するのかと言うと処刑です。一説によるとここでは5600人処刑されているとの話です。

この評定河原の処刑場ですが、現在、評定河原球場となっています。そしてその付近は芋煮会やバーベキューで賑わっています。

5600人が処刑された場所が野球場って、罰当たりも程がありますよ。野球場造る方も造る方ですが、やる方もやる方です。野球やっている人達、その事知っているのでしょうかねぇー。ハッキリ言って呆れ返ります。何で仙台ってこうなんでしょうかねぇー。

処刑される罪人達は、これまた仙台市の中央に位置する「米が袋」にあった牢屋敷から市中引き回しの上、獄門磔になっていた様です。いや、磔だけではなく斬首等々、多くの処刑法があり罪にあわせて施行していたようです。

ここで伊達藩が行なった処刑数ですが、最大で評定河原で5600人、七北田刑場で7600人とすると、合計13000人以上処刑している計算です。これ、いくら何でも多すぎじゃないでしょうか。

確かに仙台は住みずらい街です。まともな就職口は少ないし、犯罪も多い。車の運転の乱暴さと言ったら、この上ないと思います。以前、アーケード街をトラックでゲームの様に見知らぬ人をひき殺して行った事件がありましたが、あんな感じの運転する人、大勢居ます。

所得が低すぎる為か、気が狂っている感じです。現に狂っている人でも野放しにしている風潮があります。肉親も市も見てみぬ振りです。異常さを感じます。

人が悪いと言ったら仙台生まれの人達に怒られそうですが、「仙台人が通った後は、ペンペン草も生えはせぬ」と昔から他の東北人に言われて続けて来ましたしね。何かしら土地の障りがあるのかも知れません。

仙台で産まれた私の弟の気の荒さを見ても、いわき市産まれの私とは人種が違うとしか思えないです(姿形は似ていますが)。本当に不思議です。

犯罪が多いと書きましたが、私の家、新聞販売業してて何度バイクが盗まれたか判りません。私が今乗っているバイクも盗難にあって、ガソリンタンクに穴を開けられて見つかりました。

ヘルメットなんかバイクに付けたまま離れれば、一瞬でカッターで紐を切られ盗まれます。私なんか買って直ぐの高額なヘルメットを数回盗まれています。

それだけではなく万引きが酷いです。万引きが仙台の産業なのではと思うほど多いのです。

私の秘密の商売でも何度万引きされたことか。特に高校生は集団で万引きします。特に運動部が。

万引きも見つからなければファインプレーと思っているのでしょうか。高校で万引きの方法教えているのではないかと思うほどです。学校の先生もやる気が失せている方ばかりです。多分。

昔からそういう土地故に犯罪が多く、これだけの人々が処刑されてきたのでしょうかねぇー。

正直、複雑です。ここまでしなければ政治が保たれない街なのかと思うと・・・・・・・。

 

つづく。

 

 

 

 

 

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末期の水と青笹不動尊。 その1

2014年01月16日 11時14分27秒 | 伝説

何度も言っていますが、私の家業は新聞販売業でした。

今だったら労働基準法違反だと思うのですが、「お前は出来が悪い」と親に言われ、小学生の低学年から自転車に乗って新聞配達させられていたんです。

その反面、出来が悪いから家庭教師を付けられてました。もう、訳判らん。

私には妹と弟が居るのですが、私だけ手伝わされました。不器用ですし、出来が悪いので。

出来が悪いという事は悲しい事です。親の口癖は「人の3倍努力しろ」でしたしね。人の3倍努力しなければ一人前にならないのなら、何もしない方がマシだと思いましたよ。

私、本当は知的障害があるかもと思ったりしています。人の意見が私には適合しない事が余りにも多いので。

人生ってマニュアルがあるのでしょうかね。あったとしても私にはこなせないと思います。仕方が無いので人様は見て見ぬふりして、自分のペースで自分の実感で歩いていくしかないと考えている次第です(キッパリ)。

さて、今回のお題と全然関係ない話をしてしまいました。私、新聞配達していたこともあり自転車が大好きでした(今はバイクばかり乗ってますけど・・・・・・・・・)。

私は出来が悪いという事で、中学からエスカレーターで大学まで入れる私立の学校に入学。

仙台市の中心部に位置している学校に通っていましたが、車酔いが激しくバスでの通学は困難で、結構遠距離から自転車通学してました。直線で7キロ以上はあったと思います。

自転車はブリジストンのロードマン。ドロップハンドルのスポーツ車です。朝は新聞配達を2時間以上こなし、朝食を取り、競輪選手よろしく時間に追われて通学してました。そのおかげで太腿の太かったこと。自分でも自慢でした。カッチンカッチンでしたし。

でも月日は残酷です。現在は悲しいかな皮肉の嘆になってますけどね(涙)。

まっ、そう言う訳で自転車少年だったのです。今もバイクでツーラツラと当てもなくバイクを走らせていますが、子供の頃はチーロチロと自転車を転がしていました。

自転車に乗って色々な場所に行きましたが、何故かこの地点に来ると寒気がするというか、イライラするというか、嫌ぁーな気分になる場所、いや道がありました。

それは仙台市の台原から八乙女駅にかけてのバイパスです。仙台駅側から走ってきて、仙台北郵便局が見えて来る頃から嫌な気分となり、それは今の地下鉄八乙女駅、いや七北田川を越す辺りまで続きます(実は今もその感じはしています)。

子供でしたからね。何故そう感じるかは判りません。霊感なんかも信じていませんでしたし・・・・。

ただ、八乙女駅の前は何故か交通事故が多発している場所で、大きな石碑が立っており、事故で亡くなった人の名前が数多く書き連ねていました。

八乙女駅の上空は高圧線が走っています。私は多分、高圧線の電磁波が自動車の機器に何らかの作用し、その影響で事故が多発しているのではと推察してました。子供心に。

そして月日は過ぎ、従兄弟の事故死で「呪い・祟り」と言うものを調べずにはおえない気持ちとなりまして、その通りも何らかの呪いや祟りが作用しているのではないかと考えました。

そして調べてみたら・・・・・・・・・・・・・・・・、

 

つづく。

 

 

 

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