諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

妖怪・手長と瀬織津姫。 その7

2014年01月15日 09時39分06秒 | 瀬織津姫

もうチョット続きます。

さて、男女の性器の神様と言うと道祖神が思い浮かべます。

石碑に彫られた仲良の良さそうな男女が村の出入り口に鎮座しているケースもありますが、そのものズバリのものが置かれていたりもします。まあ、生々しいので小さな社に入れられている場合が多くなっていますが、「どうだっ」って感じですかね。

道祖神と言うと東北では割と当たり前の様に数多く置かれていますが、特に大き目の神社の境内に鎮座している場合が多いです。それだけ大切な存在なのだと思います。

道祖神は一般的には猿田彦命とされています。勿論、猿田彦命は男の性器の神様です。まあ、説明は不要だとは思いますが、あの長い鼻が男性の性器を表してますわね。

そうなると女の性器の道祖神はアメノウズメ命となるでしょう。猿田彦命とは夫婦ですから。まあ、アメノウズメ命が猿田彦命の可能性も有りますが・・・・・(何れ語ります)。

アメノウズメ命は天岩戸にお隠れになった天照大神を出す為にホト、つまり性器を露にして踊っています。つまりアメノウズメ命も性器がキーワードです。女性の性器の神となります。女性の道祖神で間違いないと思います。

男女の性器が御神体の神はまだ居ます。豊受大神です。男女の性器を合わせて豊受大神です。私は道祖神と豊受大神は繋がっていると考えています。

私、以前「豊受大神の御神体」で暈し暈し簡単に書きました(性器を出すのは生々しいし、簡単には書けないので・・・・)。

「御神体などどうでも良いのでは」等々、知ったかぶりの記事と取られ、コメントで苦言を呈されてしまいましたが、豊受大神に対してはそう簡単に説明し辛い点が多すぎます。本質はもっともっと考えが練り上がったらと考えています。

私は神道の本質は豊受大神が握っていると確信しているのですが、それを説明するのはまだまだ力不足です。その点、誤解を与えてしまったのは遺憾です(遺憾という言葉使う点でもイカンですけど・・・・)。すみませんでした。

っという事で壱岐島の天手長男神社に戻ります。天忍穂耳尊に続いて注目は配神の天手力男とアメノウズメ命です。天手力男命もアメノウズメ命も天岩戸から天照大神を出す為尽力した神です。

私、天手力男命は猿田彦命と考えます。そして天手力男命の「手」の字が気になります。手長足長の一族だと思えるのです。

そして仲哀天皇も祀られていますが、気になりますねぇー。これも長くなりそうですので、またの機会に書きます。そろそろ終わりたいので・・・・・・・。

さて、神功皇后は瀬織津姫を憑依させていたと書きましたが、神社システムの役割の一つは怨霊を祭り上げて守護神にする事です。極論すれは神功皇后と瀬織津姫は敵対していたと考えられます。憑依していたとしても元々は敵だったと思います。

その証拠に天手長比売神社近隣に八幡神社があるのですが、天手長比売神と八幡神は土地を争って対立したとの伝説があります。同様な例は全国にもあります。

つまり八幡神にとって強敵だった瀬織津姫を守護神として祀り上げ、そのシンボルとして御手長を掲げた。そして必勝を祈願して、瀬織津姫の縁の地である壱岐島に立ち寄ったのだと思います。

壱岐島は月読命の島であり、手長足長の島です。少なくても瀬織津姫は関連がある筈です。多分、源流は同じと思います。

以上、長々とシドロモドロになりながら書いてきました。長々と稚拙な文章で判りづらかったと思いますが、ニュアンス的にご理解頂ければ有り難いです。

もっとも天手長比売神社も天手長男神社も、神功皇后が掲げていた御手長を祀ったことから鎮座されたとの伝説もあります。私の話は断言ではなく仮説です。その点、ご了承の程、お願いしますね。

 

ではでは。

 

 

 

 

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妖怪・手長と瀬織津姫。 その6

2014年01月13日 00時02分39秒 | 瀬織津姫

上の写真、本文には関係ないです。ちょっといじっていたら取れなくなってしまったので、そのままにしときます。すんませんね。

 

さて、「天忍穂耳尊は、ニギハヤヒ尊、更には大国主ではないのか。」からでしたね。

天忍穂耳尊に付いては、奥州一ノ宮・塩竃神社を絡めればその姿が見えてくると思うのですが、これを書いちゃうともうサドンデスになりそうです。

今回のお題は「妖怪・手長と瀬織津姫」ですので、天忍穂耳尊と塩竃神との関連はまたの機会に掘り下げます。壱岐島に戻ります。

天手長比売神社の祀神は、タク幡千千姫尊、稚日女尊、コノハナサクヤ姫、豊玉姫命、玉依姫命です。ここで次に注目したいのは稚日女尊です。

スサノオ尊は天照大神とのウケヒで天照大神に勝利し、「そーら見たことか」と喜んで色々と乱暴を働いた訳です(天忍穂耳尊の正式名称??である正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊の名は、天照大神が男子を産んだ事で、女子を産んだスサノオ尊の方が心の清さを証明し、天照大神に勝った事から付けられた)。

そして稚日女尊が高天原の斎服殿で機織物を織っていたら、勝って暴れたスサノオ尊が剥がした馬の皮を斎服殿に投げた。稚日女尊はそのショックでホトを機織の棒??で突いて自害したとなっています。

っと言う事は稚日女尊も織姫である訳です。そして剥いだ馬の皮と、ホトを刺して稚日女尊の意味は・・・・・・・・。

これ、案外知られていないと思うのですが、縄文人の繊維技術は渡来した弥生人よりも上だった様です。坂上田村麻呂の蝦夷討伐の時代でも繊維の技術は蝦夷の方が上でした。

また、南部駒で知られている様に、奥州は名馬の産地でもあります。

蝦夷と言うとオシラサマが思い浮かびます。オシラサマはお蚕様です。つまり絹織物の神です。

そして蝦夷はオシラサマとして家に桑の木で出来た男女の人形を飾ります。その人形の中には馬の顔をしたのも有ります。

オシラサマの物語は福島県では「継母が娘をいびり殺す話」ですが、岩手県では「馬と娘の悲恋物語」となっています。

その内容は「馬を愛した娘は、馬と夫婦になった。それを知った娘の父親は馬を木に吊り下げて殺した。それを知った娘は、吊り下げた馬に縋り付いて泣く。その姿を見た父親は更に逆上して馬の首を刎ねる。娘は刎ねられた馬の首と共に空に上りオシラサマとなる。その後、オシラサマは両親の夢枕に立ち桑の木で蚕を飼う養蚕の方法を教えた」と言う事です。

私は馬と養蚕は古くからの東北の産業なので、誰かがその様な物語を作ったのだろうと思っていました。

しかし、福島のオシラサマは熊野権現のストーリーと酷似してますし、岩手のオシラサマは馬の皮を見てショックでホトを刺し自害した稚日女尊のストーリーと似ていると思うのです。

つまり稚日女尊はスサノオ尊に馬である夫を殺され、自害したのではないでしょうか。

ここでのキーワードはホトです。ホトは女性の性器です。何故、性器を突いて自害したのか・・・・・。

オシラサマの夫は馬とされていますが、馬は古来から男性の性器の象徴とされています。つまり馬の皮と稚日女尊は、男女の性器の神を表していると考えます。

男女の性器をアイヌ語の古語て表すと、男の性器は「クナト」。女の性器は「アラハバキ」となります。

自分の性器を突いて死んだと言う事は、稚日女尊はアラハバキ神である事を暗に示している。そして久那斗大神とアラハバキ大神はスサノオ尊によって殺されたと考えられます。

そして瀬織津姫はアラハバキ神の説がありますから、手長とタク幡千千姫尊、そして瀬織津姫と稚日女尊、アラハバキ神が繋がります。

「稚日女尊」を直訳すると「幼い太陽の女神」の意味合いになります。そしてスサノオ尊によって稚日女尊は死んだ。スサノオ尊はウケヒで天照大神に勝った。

つまりこれは、稚日女尊は最初の天照大神。天岩戸に入る前の本来の国津神としての天照大神だと考えます。つまり天岩戸に入ったと言う事は死んだ事を示している。

スサノオ尊によって天照大神は殺されたと考えられるのではないでしょうか。

 

つづく。

 

 

 

 

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妖怪・手長と瀬織津姫。 その5

2014年01月11日 02時14分16秒 | 瀬織津姫

うーん、練が不十分で書き出したので、文章がグダグダになってまいりました(何時もの事ですけど・・・・)。チョット行ったり来たりしてしまうと思います。すみませんね。

さてタク幡千千姫尊と天忍穂耳尊についてです。二神はそれぞれ天手長比売神社と天手長男神社に祀られている。それは二神が夫婦であり、手長のグループであると考えらます。

天忍穂耳尊は本来天孫降臨する筈の神でした。天照大神に降臨し、葦原中つ国(日本)を統治すべき神と言われいた訳ですから。

しかし、天忍穂耳尊は天浮橋から葦原中つ国を覗き、魑魅魍魎が跋扈しているのにビックリ。その騒がしさに躊躇し、降臨の権利を息子のニニギノ命に譲っています。これは或る意味、国譲りをしたと言えます。

ここで国譲りした神をあげて見ます。

先ずは大国主がタテミカヅチに「否、佐」と迫られ国譲り。

伊勢の地では阿部志彦に国譲りを迫られ、神風を起こして諏訪に移動した伊勢津彦。

以前に天孫降臨していたのに神武天皇に迫られ停戦。停戦の命令を聞かなかった部下??のナガスネ彦を息子に殺させたニギハヤヒ尊。

以上、三神が代表的です。これらの神々は敵に迫られて国譲りしたのに、天忍穂耳尊は定まらずいる葦原中つ国に降臨するのを拒否し、自分から降臨の権利を息子・ニニギノ命に譲った。これは流石に疑問を感じますね。

特に疑問なのが、天忍穂耳尊とニギハヤヒ尊との関連です。

偽書かどうかは判りませんが、先代旧事本記ではニギハヤヒ尊は天忍穂耳尊の息子で、ニニギノ命の兄とされていますからね。

神々の世代は末子相続だった為、兄のニギハヤヒ命が天孫降臨せずニニギノ命が下ったのは、理屈ではあります。

でもニギハヤヒ尊を信仰した、或いはニギハヤヒ尊の部下だったナガスネ彦が神武天皇と戦っていた訳です。

ニギハヤヒ尊は先に来た天津神でありながら、後から来た天津神に国を譲った。これ、天忍穂耳尊とかぶると思います。

天忍穂耳尊は躊躇して降臨しなかった。そして同じ天孫族なのに神武天皇に服し、ナガスネ彦を息子に殺させたニギハヤヒ尊。二神は似ていると思います。神格を貶めて書かれているところが特に・・・・・・・・。

私、思うのです。もしかしたら天忍穂耳尊とニギハヤヒ尊は同神じゃないかと。まさかとの思いもありますが、ナガスネ彦も同神じゃないかとも思えるのです。

そして大国主とも関連している。もしかしてもしかしたら大国主とも同神ではないかと・・・・・・・・・・・・。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

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妖怪・手長と瀬織津姫。 その4

2014年01月10日 03時37分47秒 | 瀬織津姫

今度こそ本当に「壱岐島に寄ったのです」からの続です。

っと言いながら、その前に神功皇后が三韓征伐の為に乗り込んだ船に掲げた旗に付いて記します。これも大事なキーワードですからね。

さて、その旗ですが、白と赤の生地に星、太陽、月のマークがあしらわれていたと言われています。「星、太陽、月」、これ三光信仰と考えて良いと思います。

「青麻神社と瀬織津姫」でも書いたのですが、宮城県岩切に鎮座する総本山の青麻神社は天御中主、天照大神、月読命を祀る三光信仰の社です。私は確信している訳じゃないですが、深田某氏の著作から瀬織津姫が非公式に祀られているとされている神社です。

そして神功皇后が掲げた三光信仰の旗の名称は、その名も「御手長」。これは「三光信仰=手長への信仰」と考えられると思います。

そしてそして神功皇后は壱岐島に寄って三韓征伐の必勝を祈願した神社がある。またまたその名も「天手長比売神社」です。

天手長比売神社の主祭神は「タク幡千千姫尊」。配神は稚日女尊、木花開耶姫命、豊玉姫命、玉依姫命。配神の四神は瀬織津姫との関連が指摘されています。

でも注目は大変美しいとされる機織の女神「タク幡千千姫尊」です。

私、思うのですよ。妖怪・手長、そして瀬織津姫の記紀での名前はこのタク幡千千姫尊ではないかと。

理由の一つとして田んぼを挟んだ近隣に鎮座する天手長男神社です。

元々、両神社に挟まれた田んぼには川が流れていた。つまり川を挟んで両神社が鎮座していた。それは七夕の織姫と彦星を指標して配置されていたからと言われてます。

瀬織津姫は織姫のモデルとの説も有ります。そしてタク幡千千姫尊も織姫として天手長比売神社に祀られている。瀬織津姫には「織」字が付くし、タク幡千千姫尊も織姫を表した名前です。共通点が多いのです。

天手長男神社の主祭神は「天忍穂耳尊」。配神は天手力男命、アメノウズメ命、仁徳天皇、仲哀天皇、日本武命、そして比売大神。それと天手長比売神社に祀られている神々が合祀されています。

実は700~800年前の蒙古襲来の時、天手長比売神社は蒙古軍により破壊。それで祀神を天手長男神社に移したそうです。

天手長比売神社の社は破壊された以来、再建はされてないようですが、慰霊碑??はあるようです(何分見た事ないもので・・・・・)。

さてタク幡千千姫尊は高皇産霊神の子、または孫とも言われています。そして天忍穂耳尊は天照大神の息子ですね。

天忍穂耳尊は天照大神とスサノオ命とのウケヒによって産まれてす。父親はスサノオ命なのかも知れませんが、そこんとこの神様の事情は私には判りません。色々想像はしてますけど、この件はまたの機会に考えたいと思います。

 

つづく。

 

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妖怪・手長と瀬織津姫。 その3

2014年01月09日 01時03分27秒 | 瀬織津姫

壱岐島に寄ったからの続きです。

その前に神功皇后の本名??について、ちょっと語っておきます。っと言ってもどれが本名かはしりませんが、大帯姫(オオタラシヒメ)、香椎聖母大菩薩、息長帯姫命(オキナガタラシヒメノミコト)、気長足姫尊(同)等々呼ばれています。

ちょっと脱線しますが、香椎聖母大菩薩でチョット思ったのですが、香椎由宇と言う女優さんがいますよね。オダギリ・ジョーの嫁さんの。

私、最初に彼女を見た時、何か変な違和感を感じたんですが、彼女は100万人に1人の左右対称の人間だそうです。歯形から何から何まで見事に対称で、外国の研究機関から死んだら検体に欲しいと言われているそうです。

道理で違和感を感じた訳です。あのお美しいお顔は博多人形そのものです。人形も大抵左右対称ですから。人形に似ているから違和感を感じたんです。

自分の顔を見れば一目瞭然ですが、左右対称の顔している方ってまずいません。だから最初は訳が判らずビクッとするような違和感を感じたんだと思います。私の好みの顔だからかも知れませんが・・・・・・。どっちにしても良い意味で人間離れした顔と言うか、神々しいお顔だと思います。

もしかして香椎聖母大菩薩こと神功皇后も、香椎由宇に似たお顔をしていたのかも知れません。同じ香椎繋がりで・・・・・・・。

まっ、それは兎も角、話を戻します。息長帯姫、気長足姫で考えて見ます。

息長帯姫の「息(オキ)」の字ですが、イキとも読めます。だったら壱岐島が関連するのではと考えました。

そして気長足姫の「長足」。反対にして「足長」。足長の姫なら「手長」じゃないかと思ったんです。

また、「長帯」と「長足」。帯を長く垂らしている。足を長く出している。この姿は天岩戸から天照大神を出す為に半裸で踊ったアメノウズメ命が思い浮かびます。

私は弁財天のモデルはアメノウズメ命だと思っているのですが、弁財天が瀬織津姫で有るならば、神功皇后こそが瀬織津姫、もしくは神功皇后に憑依した神が瀬織津姫なのではと思いました。

しかし「帯と足」。つまり「タラシ」は養育するという意味なんです。「女たらし」と私は言われた事無いですが、「女たらし」の本来の意味は「女性を養育する。囲う」と言う意味です。現在とはチョット意味合いが違います。

まっ、それはどうでもいいのですが、養育するのは子供です。つまり「気長足姫」を直訳すると「気長さんのところの赤ちゃんを育てている娘さん」と言う意味になります。「息長帯姫」も「気長=息長」ですから同じです。つまり「幼い応神天皇を養育している母親」の意味もあると思います。

そう考えると「手長足長=神功皇后」の意味合いは薄れますね。この点がチョット判らないですね。何かしら解答があると思うのですが、何れ考えが浮かんだらまた語りたいと思います。

 

つづく。

 

 

 

 

 

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