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赤穂浪士の遺髪がどこに奉納されてるのか知ってますか?!

2016-12-24 | 雑記
かつては12月といえば赤穂浪士の話が出てきていたんですが、

近年、あまりその話を聞くことも少なくなったような気がします・・・


赤穂浪士といえば「忠臣蔵」がピンとくると思いますが、

これは「仮名手本忠臣蔵」に由来した言い方のようですね。


浅野家再興の夢が破れ、大石内蔵助以下47人が、

亡き君主の無念を晴らすため吉良邸へ押し入り、

吉良上野介の首をとったという話なのですが・・・

その日が元禄15年12月14(旧暦)なんですね。


その後幕府に自首した46人は切腹を命じられたのですが・・・

ここでまた、疑問が生じますよね・・・46人?・・・

実は、吉良邸引き上げの最中に密命を受け寺坂吉右衛門という義士が消えたといいますが、

その理由は謎のままのようです。


切腹を命じられた46人は、切腹前にまげを瑞光院に預けたらしいのですね。

その瑞光院がどこにあるのかご存知ですか?

ご存知の方はかなりの歴史通ですよね!・・・私は知りませんでした・・・


今朝は、このトリビアを紹介した記事を転載してみようと思います。

~以下、12月24日読売新聞朝刊より抜粋~

赤穂浪士の逸話を伝える石碑とスクリーンホールディングス本社
 京都市上京区に本社を置く「SCREEN(スクリーン)ホールディングス」の本社敷地内には、赤穂浪士にかかわる石碑が建てられています。
 石碑は「瑞光院、赤穂義士四十六士遺髪塔跡」。かつてこの場所には、元禄15年(1702年)に吉良上野介帝に討ち入った浪士47人の内46人の「まげ」が、奉納された瑞光院がありました。
 瑞光院は赤穂浅野家の祈願寺で、筆頭家老の大石内蔵助らが討ち入りの密議を重ねた場所ともされています。

Econo
敷地に赤穂浪士遺髪塔跡



 まげは義士たちの切腹前に預けられたもので、瑞光院の住職の弟子が江戸から持ち帰り、つぼに納めて埋め、その上に遺髪塔を建てたそうです。
 一方、瑞光院の隣接地に本社を置いていたスクリーンは1962年、工場増設のため瑞光院の敷地を買い上げました。すると、建物の工事中に、遺髪塔の下からまげの入ったつぼが見つかったというわけです。
 遺髪塔とまげは同市山科区に移転した瑞光院でまつられ、スクリーンでも、2005年に石碑を立て、瑞光院から住職を招いて法要を開いています。
 明治時代、印刷所として創業したスクリーン。蓄積した技術を生かし、文化財をデジタル記録として保存する事業を手がけたこともありました。石碑建立も歴史を後世に伝える企業姿勢の表れと言えそうです。
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