また乗り過ごしてしまった。まあ、時間を決めての待ち合わせではなかった為、別に問題はないが、ちょっと情けない気がする。その原因となったのが表題の作品です。
それはともかく、著者のマーゴリンを取り上げるのは「暗闇の囚人」以来2度目となる。法廷ものなのだが、どちらかといえば法廷サスペンスとも言うべきか。とにかく逆転に継ぐ逆転で、話がどんな結末に落ち着くのか予想がつかない。おかげで、ついつい頁をめくるのに夢中になってしまい、またしても駅を降り損ねた。
正直言って、私はそれほど不注意な方ではないと思う。でも、なにかに夢中になりだすと、周囲が見えなくなる悪癖は相変わらず直らない。不思議なもので、子供の頃は先生から注意力散漫だと、よく言われたが、実のところこれは確信犯。面白い授業でないから、先生の話を聞くのに飽きて、他のことをしていただけ。だから、駄目な先生ほど私を嫌っていた気がする。逆に面白い授業をしてくれる先生ならば、自分でも異常に思えるほど集中する極端な子供だった。
私を夢中にさせてくれるような授業を出来る先生の、なんと少ないことか。本にしても同じこと。年間数千点の書籍が発売され、本屋さんの書棚を埋め尽くすが、私が夢中になれるほどの本は滅多にない。
子供の頃と違って必要があって読まねばならない本なら我慢して読めるが、趣味で読む場合、退屈な本に出会わないことを祈るしかない。本当に良い本との出会いは、なかなかに難しい。ベストセラーでも感性の合わない本もあるし、話題になっていても退屈な本は少なくない。
昔は新聞の書評欄を参考にしていたが、今では流し読み。プロの評論家には、営業上の理由から本音を書かないと分かったので、むしろ下手なほめ方で判断している有様。友人の紹介がまた難しい。私がベストセラー本を避けるせいでもあるが、薦められた本で夢中になれる本は珍しい。でも、時々良い本もあるから油断出来ない。
つまるところ、良い本との出会いも、人との出会いと同じで運命的なものかもしれない。私は運命論者ではないが、「失敗には原因があり、成功には運がある」という言葉には肯かざる得ない。運命なんて、自分で切り拓くものだと信じているが、振り返ってみると、幸運な出会いが成功を導き出すことが多い事に愕然とする。占いや宗教が、なくなることがないのも当然かもしれない。