十代の頃、特に大学時代の夏休みは、そのほとんどが山に居座っていた。たまに下界に下りてくると、その暑さにうんざりしたものだった。
もっとも夏の間に登るのは、もっぱら標高2000メートル以上の高山のみ。沢登なら低い山でもいいが、やはり高所登山の爽快さは格別だった。
でも冬場は雪の少ない里山に登ることが多かった。里山と馬鹿にするなかれ、けっこう道に迷いやすく遭難も少なくない。なにせ登山道以外にも、山で仕事をする人たちの仕事道や獣道が錯綜していて、地図読みに自信がある私でも結構迷う。
でも里山には里山独特の暖かさがあって、私は好んで登っていた。なかでも藪漕ぎという特殊な登山方法は好きだった。通常登山道は稜線伝いか、沢沿いにあることが多い。しかし辺鄙な里山だとその道が草木に覆われて、分からなくなっている。そこをコンパスと地図を頼りに、草を分け枝木を刈り払い、猪突猛進して登っていく。気力と根性と体力がものをいう、日本独特の登山方法なのです。
踏み固められていない、自然のままの土の柔らかさ。人間の存在を否定するかのごとき、頑強な草木の抵抗。ふと足を止めると、自分の呼吸音しか聞こえない静寂。時折感じる獣の体臭。藪漕ぎはまさに自然に包まれたが如き、奥深い野山の雰囲気を堪能できる山登りでした。
しかし、「藪漕ぎ」は絶対に夏にはやりません。暑いのもさることながら、草木の抵抗がもの凄く、物理的圧力さえ感じるほどの草の匂いや、鉈で叩いても切れない強固な藪草に、敗北感すら感じたほどです。自然って奴は決して受身の存在ではないことを思い知らされます。庭の雑草に悩んでいる方には、よく分かると思います。
ところでこの季節、TVの旅行番組等でレポーターが、ヨーロッパの森の素晴らしさを語っていますが、はっきり言って馬鹿丸出し。少なくとも西ヨーロッパには自然の森など存在しません。アルプス等の高所に一部あるだけでしょう。ヨーロッパの都市周辺に広がる美しい森は、ほぼ間違いなく皆人造林です。
ローマ帝国がケルトの民と戦っていた頃のヨーロッパは、平野などほとんどない森の大地でした。ローマはケルトの民を武力で退けましたが、その森には手をつけていません。その森を焼き払い、狩り払い、根絶やしにしたのはローマ・カトリック教会でした。
古代のヨーロッパはドルイド教に代表されるように、自然崇拝宗教でした。キリスト教の布教活動はローマ帝国時代から盛んに行われていましたが、なかなかに成果は出ませんでした。そこでキリスト教は、自然崇拝宗教の元である森を伐採し、焼き払い、農地や牧草地に変えて異教弾圧を行い、キリスト教による支配を完成しようとしたのです。
この自然破壊を伴うキリスト教の布教(侵略)活動は、約1000年にわたり続けられました。ドルイド教といった原始宗教は根絶され、13世紀にはほぼ終結したと言われています。しかし、森を根絶したため、様々な弊害(ペストの流行や、魚の減少)が生じ、それゆえキリスト教会は、自ら森の再生をやらざる得なくなりました。厚かましいことに、今では自然保護の守護者的振る舞いをしている有様。
別に知らなくともいい知識ではありますが、無邪気にヨーロッパの森の美しさを語っているレポーターとかいう無知な愚か者のお喋りが、無性に腹立たしく感じます。本当の自然のままの森林など、日本においてすら、滅多になく、それは美しさだけの代物ではない現実を知らないのでしょう。
もっとも夏の間に登るのは、もっぱら標高2000メートル以上の高山のみ。沢登なら低い山でもいいが、やはり高所登山の爽快さは格別だった。
でも冬場は雪の少ない里山に登ることが多かった。里山と馬鹿にするなかれ、けっこう道に迷いやすく遭難も少なくない。なにせ登山道以外にも、山で仕事をする人たちの仕事道や獣道が錯綜していて、地図読みに自信がある私でも結構迷う。
でも里山には里山独特の暖かさがあって、私は好んで登っていた。なかでも藪漕ぎという特殊な登山方法は好きだった。通常登山道は稜線伝いか、沢沿いにあることが多い。しかし辺鄙な里山だとその道が草木に覆われて、分からなくなっている。そこをコンパスと地図を頼りに、草を分け枝木を刈り払い、猪突猛進して登っていく。気力と根性と体力がものをいう、日本独特の登山方法なのです。
踏み固められていない、自然のままの土の柔らかさ。人間の存在を否定するかのごとき、頑強な草木の抵抗。ふと足を止めると、自分の呼吸音しか聞こえない静寂。時折感じる獣の体臭。藪漕ぎはまさに自然に包まれたが如き、奥深い野山の雰囲気を堪能できる山登りでした。
しかし、「藪漕ぎ」は絶対に夏にはやりません。暑いのもさることながら、草木の抵抗がもの凄く、物理的圧力さえ感じるほどの草の匂いや、鉈で叩いても切れない強固な藪草に、敗北感すら感じたほどです。自然って奴は決して受身の存在ではないことを思い知らされます。庭の雑草に悩んでいる方には、よく分かると思います。
ところでこの季節、TVの旅行番組等でレポーターが、ヨーロッパの森の素晴らしさを語っていますが、はっきり言って馬鹿丸出し。少なくとも西ヨーロッパには自然の森など存在しません。アルプス等の高所に一部あるだけでしょう。ヨーロッパの都市周辺に広がる美しい森は、ほぼ間違いなく皆人造林です。
ローマ帝国がケルトの民と戦っていた頃のヨーロッパは、平野などほとんどない森の大地でした。ローマはケルトの民を武力で退けましたが、その森には手をつけていません。その森を焼き払い、狩り払い、根絶やしにしたのはローマ・カトリック教会でした。
古代のヨーロッパはドルイド教に代表されるように、自然崇拝宗教でした。キリスト教の布教活動はローマ帝国時代から盛んに行われていましたが、なかなかに成果は出ませんでした。そこでキリスト教は、自然崇拝宗教の元である森を伐採し、焼き払い、農地や牧草地に変えて異教弾圧を行い、キリスト教による支配を完成しようとしたのです。
この自然破壊を伴うキリスト教の布教(侵略)活動は、約1000年にわたり続けられました。ドルイド教といった原始宗教は根絶され、13世紀にはほぼ終結したと言われています。しかし、森を根絶したため、様々な弊害(ペストの流行や、魚の減少)が生じ、それゆえキリスト教会は、自ら森の再生をやらざる得なくなりました。厚かましいことに、今では自然保護の守護者的振る舞いをしている有様。
別に知らなくともいい知識ではありますが、無邪気にヨーロッパの森の美しさを語っているレポーターとかいう無知な愚か者のお喋りが、無性に腹立たしく感じます。本当の自然のままの森林など、日本においてすら、滅多になく、それは美しさだけの代物ではない現実を知らないのでしょう。