プロレスの人気凋落が著しい。かつてのファンとしては寂しい限りである。猪木と馬場という二人の大スターがいなくなったことが大きいが、それ以上に大きいのがファンの醒めた目線であろう。プロレスに筋書きがあること等の裏舞台の構造が明らかにされてしまった事が大きく影響している。
新日本プロレスから分離したUWFに端を発した、格闘技路線が今にして思うと、プロレス人気凋落の始まりだった。格闘演戯であり、格闘芝居であったはずのプロレスに真剣勝負の装いを着せたことに無理があった。いくら格闘技路線を追求しようが、本物には敵わない。
毎日、仕事のあるプロレスで、真剣な格闘技路線は現実的に無理。大相撲ですら2週間限定とすることで、なんとか真剣勝負を維持しようとしているが、それでも八百長相撲の噂は絶えない。まして年間100日以上の興業をうつプロレスでは、毎日真剣勝負なぞできるわけない。
ブラジルで生まれたヴァリートード、何でもありの格闘技は、真剣勝負そのものであったが、真剣勝負ゆえに残虐さが目立ち、興業には向かない。当然にルールで選手の身体を守り、残虐性を薄めた格闘技が生まれたが大衆人気は得られなかった。正直専門的過ぎて、素人に判り易いものではなかった。
そこでルールをシンプルにして、判り易くしたのがK1だった。しかし、そのK1ですら面白い試合を連続して提供するのは難しい。真剣な格闘技路線を追求すると、どうしても選手の肉体的故障が生じやすく、スター選手を常に試合に出すことが出来なくなっていた。
止む無く人気取りの意味で相撲やアメフトの引退選手を引っ張り出して、素人観客の関心を惹きつけ、TVの視聴率を上げることで人気回復を目指した。ところが、その路線を追求すると、いつの間にやらプロレス的試合になっている。推測だが、かつてのプロレス並みに、つくりのある試合が少なからずあると予想できる。
翻ってプロレスの本家アメリカでは、現在プロレスが大人気である。ケーブルTVの活用など、メディアをふるに使った経営戦略もさることながら、一番の原因は開き直ったことだ。格闘技路線とは全く逆に、ショーマンシップに徹し、観客をいかにエンジョイさせるかに重点を置いた試合造り。これが受けた。プロレスはエンターテイメントであることを前面に出すことで、八百長批判を封じてしまった。
かつてのプロレス先進国日本は、いつのまにやら大きく遅れてしまったようだ。