ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「猟人日記」 ツルゲーネフ

2007-04-18 09:30:55 | 
野山で朽ち果てたいと夢見たことがある。

20代前半、病気は治る気配すらみえなかった。副作用の強烈な薬を多量に服用すれば、病状を抑えることは出来た。ところが薬を減らすと、たちまちに悪化する。いろんな薬を試したが、どれも大して効果はなく、毎日薬を多量に飲み、後は寝るだけの毎日。

いい加減、嫌気がさした。

ベットの上で寝転びながら、病院を抜け出して、野山で朽ち果てることを夢見るようになったのは、その頃だと思う。

なるべくなら、緑の濃い山林がいい。多少、湿気がこもり、薄暗い山林が望ましいと考え、候補地を探していた。西丹沢がいいかな?いや都民なのだから奥多摩の知られていない渓谷がいいかも。

勘違いされては困るが、自然は人間に優しくない。山は、人が生きる努力をしなければ、そこで生きることさえ許してはくれない。だからこそ、山は私に生きる実感を与えてくれた。水を求めて、谷あいを400メートル降り、ようやく探しえた清流から2日分の水を汲み、テントに戻るだけで4時間。その水を頼りに数日間、路なき原生林を彷徨い、ようやく人里に戻れた時の安堵感。

子連れのヒグマがうろつく石狩の山稜を通り抜けた3日間。朝、テントのそば3メートルに巨大なヒグマの糞が湯気を立てていたのには、心底驚いた。日が高く上るまで、テントを出る気になれなかった。ようやく昼なお暗い鞍部を抜けた時は、心底助かったと嘆じたものだ。

人間なんて、大自然の猛威の前には、か細いロウソクの灯火程度の存在であることを何度も思い知らされた。

どうせ倒れるなら、病にではなく、自然に打ち倒されたかった。凍死でもいいし、墜落死でもいい。屍は草木に埋もれ、分解され、土に還る。そんな死に方がいいと考えていた。

弱い奴は死んでも仕方ない、逞しい奴だけが生き残る。それが自然ってものだと思っていた。何時頃から、このような考え方をするようになったのか定かではないが、影響を受けた本の一つが表題の本であることは間違いない。

今日、ロシア文学に関心を持つ人は少ないと思うが、読むに値するだけの価値はあると思う。虐げられた農奴たちの暮らしぶりを描いたこの作品は、ロシア革命に火を点したと評されたこともある。美しくも厳しいロシアの大地と、そこで生きる人々の逞しさに強く感銘を受けた中学生が私でした。

厚かましいことに、病状が安定して、情けない身体ながらも生きていけることが分ると、野に果てる空想は消え去りました。現金というか、本質的に楽天家なのでしょうね、あたしゃ。
コメント (2)
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