1985年ごろだと思う。当時就職活動のため、読みなれぬ日経新聞を必死で読んでいた。それほど面白いとは思わなかったが、私は経済面よりも国際政治面での記事の充実に目を瞠っていた。
それまでが、朝日新聞一辺唐ナあったので、かなり新鮮な印象があった。とはいえ、就職活動には何より経済記事が重要と考え精読するように努めていた。
今にして思えば、書いてあること=事実と思い込む稚拙な新聞読みであったが、実務経験のない大学生では致し方なかったと思う。
あの頃は円高不況の虚報が、まことしやかに宣伝され、バブル景気の予兆すら感じられなかった。当時は製造業が衰退気味で、これからは半導体のようなソフト・パワーが日本の基幹産業となると、経済評論家たちがしたり顔で断言していた。
だからこそ、表題の本を読んだ時はビックリした。たしかにハード・ウェアはソフト・ウェアの働きなくしては動かないが、ソフトは所詮付加価値に過ぎず、基幹たるハード・ウェアなくして日本の未来は有り得ないと断言する著者の主張には、かなりの説得力を感じた。
しかし、この著者は若すぎた。どのような背景から出てきた人なのか、さっぱし分らなかった。そもそもケンブリッジ・フォーキャストグループって何なんだ?ただの研究会なのか?
その主張に、かなりの共感を覚えつつも、ある種のいかがわしさすら感じてしまい、私の書棚の奥に放り込んだ本が表題の本だった。
あれから20年以上経つが、藤井氏はその後もボチボチと本を刊行している。ユダヤ資本の問題やら、アメリカ政治の奥庭の動きやらを報じた本が中心だ。
けっこう読むに値する内容だと思うが、一つ問題がある。それは著者の姿勢だ。「何も知らない日本人」という高所から蔑むような姿勢が、どうも素直に信じる気になれなくさせている。どうしても、胡散臭さを感じざる得ない。若さゆえの昂ぶりからくるものかとも思うが、もうそんな年ではあるまい。
それゆえ、書いた本の内容に一定の評価をしつつ、イマイチ信用しきれないでいる。初めて読んでから既に20年以上経つのに、未だ評価が定まらない。正直私自身、けっこう戸惑っている。全ての著作を読んだわけではないが、これからも注目しておく価値はあるとも思っている。
この著者が先見の明のある賢人なのか、それともトンデモ本の書き手なのか、じっくり考察してみようと心ひそかに考えています。
それまでが、朝日新聞一辺唐ナあったので、かなり新鮮な印象があった。とはいえ、就職活動には何より経済記事が重要と考え精読するように努めていた。
今にして思えば、書いてあること=事実と思い込む稚拙な新聞読みであったが、実務経験のない大学生では致し方なかったと思う。
あの頃は円高不況の虚報が、まことしやかに宣伝され、バブル景気の予兆すら感じられなかった。当時は製造業が衰退気味で、これからは半導体のようなソフト・パワーが日本の基幹産業となると、経済評論家たちがしたり顔で断言していた。
だからこそ、表題の本を読んだ時はビックリした。たしかにハード・ウェアはソフト・ウェアの働きなくしては動かないが、ソフトは所詮付加価値に過ぎず、基幹たるハード・ウェアなくして日本の未来は有り得ないと断言する著者の主張には、かなりの説得力を感じた。
しかし、この著者は若すぎた。どのような背景から出てきた人なのか、さっぱし分らなかった。そもそもケンブリッジ・フォーキャストグループって何なんだ?ただの研究会なのか?
その主張に、かなりの共感を覚えつつも、ある種のいかがわしさすら感じてしまい、私の書棚の奥に放り込んだ本が表題の本だった。
あれから20年以上経つが、藤井氏はその後もボチボチと本を刊行している。ユダヤ資本の問題やら、アメリカ政治の奥庭の動きやらを報じた本が中心だ。
けっこう読むに値する内容だと思うが、一つ問題がある。それは著者の姿勢だ。「何も知らない日本人」という高所から蔑むような姿勢が、どうも素直に信じる気になれなくさせている。どうしても、胡散臭さを感じざる得ない。若さゆえの昂ぶりからくるものかとも思うが、もうそんな年ではあるまい。
それゆえ、書いた本の内容に一定の評価をしつつ、イマイチ信用しきれないでいる。初めて読んでから既に20年以上経つのに、未だ評価が定まらない。正直私自身、けっこう戸惑っている。全ての著作を読んだわけではないが、これからも注目しておく価値はあるとも思っている。
この著者が先見の明のある賢人なのか、それともトンデモ本の書き手なのか、じっくり考察してみようと心ひそかに考えています。