ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

プロレスってさ 国際プロレス

2007-04-20 11:04:02 | スポーツ
子供の頃、父に連れられて時々プロレスを見に行った。

市立体育館とかの地方巡業の試合がほとんどだった。後年新日本プロレスがしばしばやってた東京ドームなどの大きな会場での試合など、当時は滅多になかった。地方巡業こそが、プロレスのメインとなる舞台であったと思う。

私がよく行ったのは、立川市民体育館だったと思う。まだ立川米軍基地がある頃だったから、アメリカ兵の家族もしばしば観に来ていたと記憶している。そのせいか、外人レスラーがけっこう頑張るので、面白い試合が多かった。日本人レスラーも心得たもので、外人レスラーに花をもたせる試合ぶりだった。

東京ドームや武道館と違って会場が狭いため、観客にとってみると臨場感にあふれたプロレスが見られた。リングサイドの席は高かったが、なに、席に座らなければ結構近くで試合を観れた。当時は子供の立ち見には、どこも寛容だった。

最近、ある雑誌をみていたら、なんとあの国際プロレスが今脚光を浴びているらしい。ご存知ない方も多かろうと思うが、馬場の全日本プロレス、猪木の新日本プロレスに次ぐ、第三のプロレス団体が国際プロレスであった。70年代から80年代は、この三つの団体でプロレスが興業されていたわけだ。

そして、一番人気がなかったのが国際プロレスだった。当然、他の団体よりも安い料金で観れたから、小遣いの少ない私ら子供にはありがたい存在だった。人気がなかったのは、華のある人気日本人レスラーがいなかったからで、招聘されてた外人レスラーはけっこう質が高かった。

バーン・ガニアやビル・ロビンソンなど、玄人好みの渋いレスラーが少なくなかった。一方、マッドドック・バションやジプシー・ジョーなどのラフ・ファイターも来ていて、なかなかに見応えがあったと思う。

一際私の記憶に深く刻まれていたのが、このバションとジプシー・ジョーの殴り合いだった。後にも先にもこれほどの殴り合いを見たのは空前絶後であった。日本のプロレス史でも屈指の名勝負だったと思う。

マッドドック(狂犬)バションは、一回り大きな弟のブッチャー・バションとタッグを組んでいたが、強いのは2メートル近い巨漢であった弟より、この兄貴だった。とにかく気が強く、喧嘩巧者でもあった。はげ頭と髭面が印象的な中年男性だったが、間違っても喧嘩など売りたくない、怖いおっちゃんだった。

一方、ジプシー・ジョーは平服でいたら、一般人と見間違うような普通のおっちゃんだった。ジプシーのリングネームに相応しく浅黒いラテン系の顔つきだったが、上野のアメ横で露天商でもやっててもおかしくない風情で、地味なレスラーだった。ところが、このジプシー・ジョーは異常にタフだった。椅子で殴られても、その椅子が壊れ本人はケロっとしている。絶対に黄色人種にはありえない肉厚な体つきは、やはりプロレスラーであった。

なんで、この二人が本気で殴り合いを始めたのか、観客には分らなかったが、その迫力は尋常ではなかった。止めようとする他のレスラーが、怯えてしまうほどの殴り合いだった。もちろん、プロレスの殴り合いだ。決して急所は殴らない。わざわざ打たれ強い場所を選んで殴っていたようだが、その殴り方が怖かった。多分、意地の張り合いのようなものだったのだと思う。

右腕を大きく振りかぶって拳を叩きつけるバション。その拳を顔面で受けて踏ん張るジプシー・ジョー。ふらつきながらも受けきったジプシー・ジョーが低い姿勢からのアッパーを放つ。それを身体を固めて受けるバション。全力で殴り、それを全力で受け止める殴り合い。唖然呆然、でも見ているこちらも、拳を握り締めて見入ってしまった。

試合の結末は覚えていない。国際プロレスの若手や中堅レスラーと外人レスラーまで総動員されて、二人を分けようと大混乱状態だったと思う。

八百長なんて言葉が裸足で逃げ出すほどの迫力、それが本当のプロレスだった。真剣に演じられる試合の醍醐味を教えてくれたのがプロレスだったと思う。

どうやら、国際プロレスの昔の試合がDVDで売られているらしい。探してみるかな?
コメント (3)
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