ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「利腕」 ディック・フランシス

2007-07-04 09:38:21 | 
実は口喧嘩が苦手だ。

興奮すると、口がうまく回らず、聞き取りにくい喋り方になってしまうからだ。努力して、ゆっくり落ち着いて話せば、まあ普通に話せるのだが、興奮するとイケナイ。

だから子供の頃は、喧嘩になるとすぐ手を出す傾向があった。相手から「何言ってるか分からない」などと揶揄されると、瞬間湯沸かし器並に熱くなり、すぐに殴りかかった。おかげで、ずいぶんと痛い目にあっているし、どの先生からも問題児扱いされた。

さすがに成長して、中学に入る頃には、なるべく勝てる相手を選んで喧嘩するようになった。しかし、どうしても我慢できずに、勝ち目の薄い相手でも食ってかかる悪い癖は、なかなかに治らなかった。

原因は分かっている。勝ち目がないと分かっても、相手に卑屈になる屈辱感が耐え難いからだ。自尊心と矜持とを卑下の汚泥に貶めるくらいなら、殴られ蹴られ痛めつけられるほうがマシだったからだ。

中二の終わりに堅気の人生を歩むと決めてからは、喧嘩も一気に減った。堅気の人生はえらく肩のこる生き方だと思ったが、反面安全な生き方だとも分かった。少し情けなくも思ったが、妙に安堵したのも事実だった。

だからこそ、自ら屈辱感に耐え忍ぶ辛さはよく分かる。しかし、屈辱感を強要される辛さは、容易に耐え得るものではないこともよく分かる。多くの場合、この強要は暴力的に情け容赦なく行われる。逃げ道がなく、選択肢がなく、ただただ押し潰される。

終わった後の虚脱感は、何をもってしても癒せない。ある者は酒に逃げ、薬物に溺れる。大切なものを失った喪失感は、容易なことでは取り戻せない。艱難辛苦の茨の道が待っているがゆえに、惨めに怯えて縮こまる自分の情けなさが堪える。

それでも立ち上がったのが表題の作品の主人公だ。だからこそ応援したくなる。男の真価が問われる時、なにをすべきなのか。それを思い出したい時に読みたくなる本がこれです。
コメント (8)
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