歴史というものは、民族の履歴書のようなものだと思う。
事実に基づいているはずだが、そこは人間のすることだ。誇張もあれば、錯誤もあるだろう。意図的な隠蔽もあるだろうし、知らずして誤っている場合もあると思う。
冒頭に民族のと記したが、元々は家族が自らの出自を子孫に語るところから始まったのだと思う。同じ言語、文化を持つ集団(民族)が自らの生い立ちを語るものが歴史の原点であったと推測できる。
やがて国家という組織が作られるに至って、正史が作られた。歴史とは、自らを視点に語るものであり、あくまで自国中心に語られるべきものだった。他の国の歴史なんざ、学者がやればいいことで、重要性は薄かったはずだ。
しかし、18世紀に至って、世界史なるものが編み出された。ユーラシア大陸の西部にあって、長年蛮族の地であったヨーロッパにおいて産業革命が起こった。一言で言えば、生産力の飛躍的増大だ。ぶっちゃけた話、従来の兵器に比して格段に破壊力を増した鉄砲や大砲の大量生産技術の確立だ。
この新兵器をもって西欧の蛮族たちが、文明の地を侵略征服した。これを帝国主義時代という。先進国であった西アジアを踏みしだき、富を得た蛮族たちは、自らの出自を飾ることを考えた。それが世界史だ。たしかにギリシア、ローマは過去において、文明の先端をいくものであった。その本来の後継者であるイスラムを征服したヨーロッパは、自分たちこそギリシア、ローマの後継者であると宣したのが「世界史」だった。主にドイツで書かれた。なるほどゲルマンは理屈っぽいやつらだ。
この西欧の侵略の正当化の屁理屈と、シナの自己正当化史観を足して、それを2で割ったのが、日本の学校で教えられる世界史の授業であると、表題の著者は解き明かす。戦後は、それにマルクスの唯物史観が混ぜられて、きわめて歪んだものとなってしまったと、著者・謝世輝は指弾する。これには私も驚いた。今から20年位前の1980年代後半のことだったと思う。私が歴史というものを、もう一度読み直してみようと思い立ったのも、この方の指摘が大きな要因となっています。
謝世輝先生は、台湾出身で名古屋大で素粒子を研究していた物理学者です。理知的な人だと思いますが、情念の濃い人でもあるようで、最近は「願えば、叶う」といった観念論を強く主張しています。私は少々困惑気味ですが、過去の歴史に関する著述そのものは今の世にも通用する傑作だと思います。機会がありましたら、是非どうぞ。
事実に基づいているはずだが、そこは人間のすることだ。誇張もあれば、錯誤もあるだろう。意図的な隠蔽もあるだろうし、知らずして誤っている場合もあると思う。
冒頭に民族のと記したが、元々は家族が自らの出自を子孫に語るところから始まったのだと思う。同じ言語、文化を持つ集団(民族)が自らの生い立ちを語るものが歴史の原点であったと推測できる。
やがて国家という組織が作られるに至って、正史が作られた。歴史とは、自らを視点に語るものであり、あくまで自国中心に語られるべきものだった。他の国の歴史なんざ、学者がやればいいことで、重要性は薄かったはずだ。
しかし、18世紀に至って、世界史なるものが編み出された。ユーラシア大陸の西部にあって、長年蛮族の地であったヨーロッパにおいて産業革命が起こった。一言で言えば、生産力の飛躍的増大だ。ぶっちゃけた話、従来の兵器に比して格段に破壊力を増した鉄砲や大砲の大量生産技術の確立だ。
この新兵器をもって西欧の蛮族たちが、文明の地を侵略征服した。これを帝国主義時代という。先進国であった西アジアを踏みしだき、富を得た蛮族たちは、自らの出自を飾ることを考えた。それが世界史だ。たしかにギリシア、ローマは過去において、文明の先端をいくものであった。その本来の後継者であるイスラムを征服したヨーロッパは、自分たちこそギリシア、ローマの後継者であると宣したのが「世界史」だった。主にドイツで書かれた。なるほどゲルマンは理屈っぽいやつらだ。
この西欧の侵略の正当化の屁理屈と、シナの自己正当化史観を足して、それを2で割ったのが、日本の学校で教えられる世界史の授業であると、表題の著者は解き明かす。戦後は、それにマルクスの唯物史観が混ぜられて、きわめて歪んだものとなってしまったと、著者・謝世輝は指弾する。これには私も驚いた。今から20年位前の1980年代後半のことだったと思う。私が歴史というものを、もう一度読み直してみようと思い立ったのも、この方の指摘が大きな要因となっています。
謝世輝先生は、台湾出身で名古屋大で素粒子を研究していた物理学者です。理知的な人だと思いますが、情念の濃い人でもあるようで、最近は「願えば、叶う」といった観念論を強く主張しています。私は少々困惑気味ですが、過去の歴史に関する著述そのものは今の世にも通用する傑作だと思います。機会がありましたら、是非どうぞ。