ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

エコエコアザラク 古賀新一

2010-03-02 12:22:00 | 
神の存在が必要な人には、悪魔の存在もまた必要なものである。

私は神の存在を認めている。この世のあり方を思うたび、その理不尽さに憤ることはある。だからといって、神を恨むことはしないし、悪魔のせいにして誤魔化すこともしない。

私が神を必要に思うのは、助けをすがりたいからではない。この世の理に一定のルールがあって欲しいと願っているからだ。星の動き、雲の流れ、自然の摂理には、ある種の美を感じることがある。このような美しさが偶然のわけがない。きっと造物主の御手によるものだと思いたいのだ。

人がいかに叡智を積み上げようと、その短き人生に全ての答を知ることは叶わぬことだ。でも、答が知りたい。その時にこそ、神は必要になる。死して神の御許へ赴き、神の叡智に触れて望みを叶えたい。

つまるところ、私と神との関係には第三者は必要ない。いかなカリスマ的宗教指導者もいらないし、立派な神像もいらない。多くの民を集める巨大教団も私には不要だ。神との対マン勝負でいい。

では悪魔はどうする?

やっぱり悪魔も必要だ。私は成功には運が、失敗には原因があると考えている。失敗したのなら、その原因を調べて究明し、今後に活かす必要がある。だが、失敗は己の力量の不足だと考えたい。

だが、それでも天候や天災などの人智を超えた要因により失敗することもある。神が美しい社会を創ったのならば、それを破壊せんとする悪魔もまた必然だ。だから私は悪魔の存在も認めている。

ただし、苦しい時の神頼みをしないことを矜持としている私である。当然に悪魔に頼る気持ちもない。悪魔のせいにして、自分の失敗を誤魔化すこともしたくない。

神も悪魔も、私の遥か頭上で争っていればいい。彼らのなにげない歩みで踏み潰されることもあろう。気まぐれの笑みが、地上に豊饒な楽園を描くことだってあるかもしれない。それも仕方ないことだ。所詮、人間様なんて地上にはびこった、ちっぽけな存在に過ぎないのだから。

それでも、神に助けを求める気持ちを分らないでもない。人智を超えた苦しみに応えられるのは神だけだろうからだ。そして悪魔にすがりつく人間の弱さがあることも分る。魂を売り飛ばしても叶えたい欲望があることを否定できないからだ。

表題の漫画は、ホラー漫画ですが、私はドス黒い笑みを浮かべる黒井ミサがお気に入りでした。身体に悪魔の刻印を刻み、人には見せられぬ不浄の身体を隠して不気味に微笑むヒロインが良かった。怖いというよりも、むしろどす黒い爽快感が印象的でした。

神の正義で悪を唐キよりも、悪魔の微笑でちんけな悪を滅ぼすことに妙な快感を感じる漫画でしたね。



コメント (4)
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