ヌマンタの書斎

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新G2に思うこと

2010-03-05 12:38:00 | 社会・政治・一般
好むと好まざるにかかわらず、シナは21世紀における最重要地域だと思う。ただ最近、マスメディアにアメリカとシナを21世紀における二つの超大国扱いする論調が見受けられるが、如何なものかと思う。

何度か書いていることだが、産業革命に端を発した欧米文明は既に最盛期を過ぎている。なによりも、技術的停滞が著しい。PCにせよITにせよ、所詮は応用技術であり周辺技術でもある。利便性は高いが、文明の基盤足りうる技術ではない。

現代の文明は、石油や天然ガス、石油といった化石燃料を燃やして大量のエネルギーをつくり、それを電気として活用することで動いている。また化石資源は、化学の進歩により衣服や生活雑貨にさえ変る。肥料や医薬品でさえ化石資源から無縁ではいられない。

これらの技術はすべて19世紀から20世紀半ばにかけて開発されたものだ。我々はその遺産で繁栄を享受しているだけだ。ITもバイオも、ここから派生した技術であって、文明の根幹を支えるだけの力はない。

だからこそ、技術的限界に達してこれ以上の経済成長が望めない欧米は、20世紀後半からアフリカ及び南米の開発に勤しんだ。しかし、ことごとく失敗に帰した。なお、この場合の失敗とは、停滞した欧米の経済を活気ずけるという意味での失敗を意味する。

キリスト教を基盤にした社会を前提にした市場経済は、自立した個人に基づく契約社会を前提にしている。異なる社会風土を持つ南米では、公正な社会が機能せず、血縁主義と地域主義が根強く、賄賂と不正が跋扈して資本主義が空回りしている。

一方、イスラムと欧米の奴隷狩りで社会基盤そのものを破壊されたアフリカでは、旧来の部族主義が不完全なままに残り、20世紀後半に独立してからは旧宗主国の支配機能が徐々に衰退していくにつれ、ますます混迷を深める有様であり、経済発展など夢の又夢に過ぎなかった。

欧米にとって新たな成長の糧となるはずの南米とアフリカ開発の失敗は、周辺技術(コンピューターやバイオ)への傾倒に拍車を駆ける結果となった。そしてかなりの成果を挙げたが、やはり先進国でしか機能しない。

縦への進歩が停滞した以上、横への進歩を目指すことが、やはり有益だと認識されたのが80年代以降だ。その契機となったのが、唯一欧米と歩みを同じくして成長していた日本を規範として、経済成長に成功したアジアの国々(台湾、韓国、シンガポールら)だった。

儒教をベースにした社会でも、市場経済に基づく成長路線が上手くいくことが分ったことが、グローバリズムを再び甦らせた。だからこそ、世界最大の人口を誇る共産シナを市場経済の側に引き込む必要があった。

既に停滞している欧米や、進歩がみられない南米とアフリカに比して、シナの大陸はきわめて魅力的であった。元々アメリカにとっては、20世紀初頭から目指していた未開の地でもある。

しかし、理想主義者の毛沢東が健在な間は駄目だった。3代目になってようやく話し合いの余地が出てきた。貧しくても誇り高きシナの民は、金の匂いに惹き付けられた。

市場経済の導入が、豊かさに結びつくことを知ったシナの民は、もはや清貧な毛沢東思想には戻れなくなった。マスメディアは、さかんに豊かになった農家(万元戸)を褒め称えたが、実のところ一番儲けたのは共産党幹部と軍であった。

あくまでシナはシナ。支配者が豊かになってこその市場経済。未だ国民の9割強が貧困に喘ぐ。かつては皆が貧しかったから我慢できた。

しかし、裕福な暮らしを満喫する支配者層を、暗く憂鬱な目で睨む庶民の心中は穏やかではない。だからこそ、シナの政府は国民を信用せず、治安の維持にやっきになり、情報の自由も認めない。

それゆえ、近々世界第二位の経済規模になると思われるが、誰もシナで暮らしたいとは思わない。せいぜい仕事のために短期間滞在するだけだ。これが覇権国家アメリカに対抗するもうひとつの超大国の実情だ。

20世紀において、アメリカと覇を争ったロシアには崇高な社会的使命(共産主義革命)といった金看板があった。しかし、今のシナには世界の人々を惹き付ける金看板はなく、あるのはシナ製の安価な製品だけだ。

つまるところ、世界の生産工場。それが21世紀のシナの実態だ。もし、シナが豊かな中産階級を育て上げ、世界の消費市場となれたら、シナは真の覇権国家足りうると思う。世界の国々は、シナの市場に合わせて製品を輸出するだろう。そのために、シナの基準に合わせて経済活動をせざるえなくなる。

しかし現状では、シナは停滞する先進国経済に刺激を与えるだけの下請け工場に過ぎない。かつてイギリスは、産業革命発祥の地として新たな成長モデルを誇示してみせた。アメリカは石油と電気による大量消費社会という新たなパラダイスを呈示してみせた。ロシアでさえ、平等で科学的な社会主義という幻想を呈示してみせた。

では、いったいシナは何を世界に呈示するのか?

21世紀はアメリカとシナのG2なんて、現状では意味のない言葉に過ぎないと、私は考えています。
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