私はお喋りだが、決して会話上手ではない。
会話上手とは、つまるところ聞き上手だと思う。コミュニケーションは、聞くことと話すことであり、どちらも相手の理解を目的としている。一方的に話すだけではコミュニケーションが上手くいっているとはいえない。まだ聞くだけのほうがマシだと思う。
学生の頃、コーヒー一杯で数時間も話したあの時間は、ほとんど意味のない時間潰しであったが、それでも無意味であったとは思わない。案外、重要な話は、ここでの雑談で大筋が決まっていた気がする。
いや、重要な話を決めるには、その前の無駄なお喋りが必要であった。当時、根回しなんて意識はなかったが、それでも日頃から雑談に加わっていることが仲間内では重要な要素であったと思う。
私が大人になり驚いたことの一つに、会社に入って仕事をする上でも雑談は大切であったことだ。学生時代と異なり、コミュニケーションの範囲は格段に広がる。とりわけ年齢層の広さに戸惑うが、そんな時こそ雑談が役にたった。
とはいえ、日頃共通の話題がない年齢の離れた人たちとの会話は、雑談さえ難しい。野球であったり、人気の芸能ネタであったり、差しさわりのない雑談でさえ、ぎこちなさを自覚していた。
こんな時、役に立つのが酒の席だ。酔って、あるいは酔ったふりをして馬鹿をしてみせ相手の心を徐々に開かせる。それを積み重ねて、少しずつ雑談に加わる席を確保する。
これは会議室では駄目なのだ。あくまで仕事外の時間、場所でなければならない。当時はよく分っていなかったが、それでも非公式な場でないと親睦は深められないことは、無意識に理解していた。
今なら分る。公式な場(会社での会議など)では、組織のなかの立場とか面子が優先してしまい、本音の議論なんて出来やしない。だからこそ非公式な場、すなわち酒の席であり、ゴルフ場であり、旅行といった接待交際の場が必要なのだ。
これは会社に限らないと思う。役所でも議会でも、はたまたPTAや自治会でも同じだ。公式な場で重要な決定がされる場合には、まずその前に非公式な場(多くは飲食の席)で大筋が決まっていることが多い。
私は、これを日本社会の特質だと考えていたが、驚いたことに世界各地でも似たようなものだと知った。
日本の場合、公式にはこのような非公式な雑談に対する支出は、接待交際費と既定して概ね禁止している。税法がその典型で、企業が交際費を支出(必要経費ではある)しても、それを認めない。これを接待交際費の損金不算入と言う。
似たような制度は、欧米に限らず世界各地である。OECD諸国の場合、ほとんどの場合税法が接待交際費に制限をかけている。ただ中味が違う。日本のように一律に制限をかけるバカな国はない。
アメリカだと朝や昼の飲食接待(金額制限あり)はいいが、夜は駄目。実際、アメリカに駐在している方の話では、早朝の食事会や昼時のランチは重要なビジネス・チャンスであり、決して欠かせないと断言する。
フランスだと乗馬はいいが、ヨットは駄目だとか非常に具体的に明示して制限を掛けている。もちろん、その具体的な制限の中味は、立法府である議会で議論して決められる。(日本は役所が決める)
おかしいのは国連で、ここでも非公式な場での雑談が、公式な場での議事に大きく影響する。ただ、食習慣が異なる人たち同士なので、食事よりもタバコが活躍する。
ご他聞に漏れず、国連でも禁煙の場が増えている。だから喫煙所はいつも人が集まっている。この喫煙所が非公式な雑談の場として活用されている。
日本の場合、2~3年おきに人事異動してしまうが、欧米各国の担当者は、その専門分野の担当者を変えずに長年担当させる。だから気心知れたベテラン担当者同士が、会議の休憩時間に喫煙室で重要な案件の処理方針を決めてしまうことが多い。
当然ながら、日本の担当者は顔を覚えてもらった頃には人事異動で変っています。気心ふれる時間はなく、非公式な雑談には加われない。だから国際会議では、いつも冷や飯食らっている。
先だって民主党の菅・財政大臣がG20にデビューした。当然ながら、存在感は薄く、喫煙席での雑談にも加われない。もっとも、これは自民党時代から同じで、外務省も財務省も同様に冷や飯食っている。
非公式な場で活躍するには、長年築きあげた人脈の構築がものをいう。我が日本は国内の内規(人事異動ローテンション)を優先して、国際会議を無駄にしてきた。
ちなみに、外務省も財務省も国際会議の重要性は認識している。非公式な接待のための予算も潤沢に用意している。ただ、いかんせん短期滞在の悲しさで、いくら金をかけても人が変ってしまっては無駄金。ただグルメな役人を作るだけ。
いくら金をもって国際会議に臨んでも、非公式な雑談に加われないのでは、いつまでたっても同じでしょうね。いい加減、部署によってはローテーション人事は止めたほうが良いと思います。
会話上手とは、つまるところ聞き上手だと思う。コミュニケーションは、聞くことと話すことであり、どちらも相手の理解を目的としている。一方的に話すだけではコミュニケーションが上手くいっているとはいえない。まだ聞くだけのほうがマシだと思う。
学生の頃、コーヒー一杯で数時間も話したあの時間は、ほとんど意味のない時間潰しであったが、それでも無意味であったとは思わない。案外、重要な話は、ここでの雑談で大筋が決まっていた気がする。
いや、重要な話を決めるには、その前の無駄なお喋りが必要であった。当時、根回しなんて意識はなかったが、それでも日頃から雑談に加わっていることが仲間内では重要な要素であったと思う。
私が大人になり驚いたことの一つに、会社に入って仕事をする上でも雑談は大切であったことだ。学生時代と異なり、コミュニケーションの範囲は格段に広がる。とりわけ年齢層の広さに戸惑うが、そんな時こそ雑談が役にたった。
とはいえ、日頃共通の話題がない年齢の離れた人たちとの会話は、雑談さえ難しい。野球であったり、人気の芸能ネタであったり、差しさわりのない雑談でさえ、ぎこちなさを自覚していた。
こんな時、役に立つのが酒の席だ。酔って、あるいは酔ったふりをして馬鹿をしてみせ相手の心を徐々に開かせる。それを積み重ねて、少しずつ雑談に加わる席を確保する。
これは会議室では駄目なのだ。あくまで仕事外の時間、場所でなければならない。当時はよく分っていなかったが、それでも非公式な場でないと親睦は深められないことは、無意識に理解していた。
今なら分る。公式な場(会社での会議など)では、組織のなかの立場とか面子が優先してしまい、本音の議論なんて出来やしない。だからこそ非公式な場、すなわち酒の席であり、ゴルフ場であり、旅行といった接待交際の場が必要なのだ。
これは会社に限らないと思う。役所でも議会でも、はたまたPTAや自治会でも同じだ。公式な場で重要な決定がされる場合には、まずその前に非公式な場(多くは飲食の席)で大筋が決まっていることが多い。
私は、これを日本社会の特質だと考えていたが、驚いたことに世界各地でも似たようなものだと知った。
日本の場合、公式にはこのような非公式な雑談に対する支出は、接待交際費と既定して概ね禁止している。税法がその典型で、企業が交際費を支出(必要経費ではある)しても、それを認めない。これを接待交際費の損金不算入と言う。
似たような制度は、欧米に限らず世界各地である。OECD諸国の場合、ほとんどの場合税法が接待交際費に制限をかけている。ただ中味が違う。日本のように一律に制限をかけるバカな国はない。
アメリカだと朝や昼の飲食接待(金額制限あり)はいいが、夜は駄目。実際、アメリカに駐在している方の話では、早朝の食事会や昼時のランチは重要なビジネス・チャンスであり、決して欠かせないと断言する。
フランスだと乗馬はいいが、ヨットは駄目だとか非常に具体的に明示して制限を掛けている。もちろん、その具体的な制限の中味は、立法府である議会で議論して決められる。(日本は役所が決める)
おかしいのは国連で、ここでも非公式な場での雑談が、公式な場での議事に大きく影響する。ただ、食習慣が異なる人たち同士なので、食事よりもタバコが活躍する。
ご他聞に漏れず、国連でも禁煙の場が増えている。だから喫煙所はいつも人が集まっている。この喫煙所が非公式な雑談の場として活用されている。
日本の場合、2~3年おきに人事異動してしまうが、欧米各国の担当者は、その専門分野の担当者を変えずに長年担当させる。だから気心知れたベテラン担当者同士が、会議の休憩時間に喫煙室で重要な案件の処理方針を決めてしまうことが多い。
当然ながら、日本の担当者は顔を覚えてもらった頃には人事異動で変っています。気心ふれる時間はなく、非公式な雑談には加われない。だから国際会議では、いつも冷や飯食らっている。
先だって民主党の菅・財政大臣がG20にデビューした。当然ながら、存在感は薄く、喫煙席での雑談にも加われない。もっとも、これは自民党時代から同じで、外務省も財務省も同様に冷や飯食っている。
非公式な場で活躍するには、長年築きあげた人脈の構築がものをいう。我が日本は国内の内規(人事異動ローテンション)を優先して、国際会議を無駄にしてきた。
ちなみに、外務省も財務省も国際会議の重要性は認識している。非公式な接待のための予算も潤沢に用意している。ただ、いかんせん短期滞在の悲しさで、いくら金をかけても人が変ってしまっては無駄金。ただグルメな役人を作るだけ。
いくら金をもって国際会議に臨んでも、非公式な雑談に加われないのでは、いつまでたっても同じでしょうね。いい加減、部署によってはローテーション人事は止めたほうが良いと思います。