ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今の小沢に思うこと

2010-03-31 12:16:00 | 社会・政治・一般
正直言えば、もう少しマシな政治家だと思っていた。

故・竹下の経世会の七奉行のなかでも、羽田、橋本と並ぶ首相候補だと考えていた。批難されようと角栄の裁判を傍聴し続けた硬骨の政治家だと思っていた。偽善的な薄笑いを浮かべる竹下よりも、強面を前面に出す小沢のほうがマシに思えた。

角栄以降、法律を作れる政治家は激減したが、小沢はその後継者たりうる勉強家だとさえ思っていた。政治家として実力があるのは間違いない。事実、あの自民党分裂の首謀者は間違いなく小沢一郎だ。あの分裂があったからこそ、日本新党を首班とする政権交代がなされた。

だが、金丸というバックボーンを失って以降、とりわけ自身の健康問題から一歩引いたような姿勢を取り出してから、この人はおかしくなった。

一言でいえば、孤独な人になった。後ろから支えてくれる人が居なくなったせいか、人から助けられることを拒否する姿勢が目立つようになった。

また政治家にとって致命傷ともなりうる健康問題が出てからは、前面に立つことを避け、裏に回っての策謀が増えた。

結果として、周囲に慕う人を失くすこととなった。自民党を割って出たときは、小沢をリーダーとして慕う同志が50人以上いた。しかし、現在、彼を慕う政治家はいない。

居るのは小沢チルドレンと称される首ふり人形たちだけだ。もちろん腹心の部下である秘書なんて切り捨て自由の道具扱いだ。

一方、妙にイイ人ぶるようになり、在日半島人や自虐歴史観に染まった少数勢力への媚笑いが目立つようみえてならない。なにを今更イイ人ぶっているのだ?

一番最悪なのは、自分に対する批判を頭ごなしに否定する姿勢だ。言論の自由と選挙を柱とする民主主義政治においては、批判は必ず生じる。万人が納得し賛美するような政治なんて、できるはずがない。

むしろ、批判、批難を受け止め、巧みに対処することこそが民主主義においては求められる資質でさえある。

批難されるのを恐れての八方美人になりたがる首相もどうかと思うが、批難されることを恐れて顔を背ける幹事長は、もっと問題だと思う。

戦後初の大型非自民政権である現政権を支持したがるマスコミも、そろそろ目を醒ましたほうがいいと思う。敢えて言いますが、批難を受け止められない政治家は、民主主義の旗の下にいる資格はないと思います。
コメント (2)
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