自分よりも馬鹿な人あるいは愚かな人を見ていると、それだけで癒されることってある。
癒されるどころか、優越感さえ抱いてしまう場合だってある。少し歪んだ優越感であり、その根っ子には満たされぬ劣等感があることは自覚している。だから、そのように人を見下すことは避けるように自制している。
多分、大なり小なりほとんどの人に、他人を見下すことで自らの優越感を満足させるような傾向はあると思う。
この傾向があるがゆえに、表題の漫画は長く連載が続いた。調べて驚いたのだが、連載開始は1995年であった。なんと18年間の長期連載であるから、週刊ヤング・マガジン誌でも指折りの長期連載であった。
もっともその連載期間の長さの割に、人気作として冒頭に掲載されることはなく、よくて中盤、大概は雑誌の終わりのほうに載っていたと思う。私自身、この漫画が読みたくてヤン・マガを読むことはなかった。立ち読みの時は、まず間違いなく読み飛ばしていた。しかし、じっくり読む時は、必ず目を通していたことも確かだ。
どうも著者が当初、東京は板橋区の赤塚周辺に住んでいたようで、赤塚系ギャグ・マンガと評されることがあった。言い得て妙だと思ったのは、私が仕事でそのあたりを訪問していた経験があるからだ。
かつての農村地帯を急速に宅地化した典型的な郊外都市なのだが、いくら瀟洒なビルを建てても、どこか田舎臭い雰囲気が消えない街でもあった。でも、どこか憎めないドンくささでもあり、案外住むには心地よいところなのかもしれないと思っている。この漫画も、垢抜けず、ドンくさく、それでいて妙に和める作風であったからこそ、赤塚系なんて表現に私は納得してしまった。
思い出してみても、本当に碌でもない登場人物ばかり出ていた。売れ残りのフレンチ・ブルドックとか、置き去りにされた宇宙人はまだしも、戦隊もののヒーローとその悪役の貧乏暮しとか、見栄ばっかりで中身のない人物ばかりが良く出ていた。
その愚かさを、その情けなさを笑っていたのだから、私もあまり高尚な人物ではない。全て四コマ漫画であったので、ストーリー性には乏しいが、馴染みの登場人物が出てきて、いつも似たような笑いを提供してくれる。
だからこそ、長期にわたる連載が可能であったのだろう。何時の時代でも、他人を見下す笑いって奴には需要があるようだ。
ところが、先週末のことだが作者の急死が報じられた。急性肝不全とのことだが、やはり飲み過ぎが原因であったらしい。まだ36歳とのことなので、あまりに早すぎる死でもある。
もう、この漫画が読めないと思うと、やはり残念だ。謹んでご冥福をお祈りいたします。