ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

嵐の夜に知ったこと

2013-10-18 14:29:00 | 旅行

生来のヒネクレ者のせいか、昨今の登山ブームなんて報を目にすると反感をそそられることがある。

私が登山に傾倒していた期間は案外と短い。だいたい高校から大学までの数年間に過ぎない。ただ、年間登山日数はかなり多く、特に大学時代は年に2か月を超えることも珍しくなかった。

その大半がテント暮らしであり、山小屋で夜を過ごすことは稀であった。いつも布地一枚のテントで夜を過ごしていたので、たとえオンボロの木造小屋でも、山小屋で過ごす安心感は良く分かる。

あの日の晩も山小屋の頑丈さが切実に恋しかったことは良く覚えている。

丁度大学受験浪人の秋であった。高校のWV部の仲間と先輩に誘われて秋の八ヶ岳を縦走することにした。いつものように新宿発夜行列車で明け方には茅野駅に着き、バスで登山口まで行く。

初日の登りは快調であり、何事もなく2日目の朝を迎えた。この時、台風が方向を急に変えて本州縦断の可能性があることを山小屋で耳にする。たしかに雲の流れが速く、荒天を予感させた。

ただ、この時は朝焼けの光と雲の織りなす美しい光景のほうが印象が強く、あまり危機感はなかった。もちろん台風は怖いが、赤岳から権現岳の岩稜帯を超えてしまえば、編笠山から麓まではなだらかな丘陵だと知っていたからだ。ここはハイキングコースに近く、寝ぼけても降れるコースだと思っていた。

でも岩稜帯で台風に襲われるのは真っ平だ。少しペースを速めて行動し、昼前には権現岳を超えたまでは良かった。ここから雨が降り出し、次第に風が強くなってきた。既に岩稜帯は超えていたので大丈夫と思っていた。この先は遮るもののないなだらかな丘陵であり、晴天ならば子供でも楽しめるコースだ。

しかし、遮るものがないことが強風を呼び込み、凄まじい風圧を全身で受け止めることとなった。しかも大粒の雨が風にのって叩きつけられるため、目を満足に開けられない始末である。眼鏡をかけていた私なぞ、前が満足に見えず、止む無く眼鏡を外して行動することになった。

晴天ならばバス停のある麓まで後3時間たらずのはず。ところが動けなくなった。前方から叩きつける風が凄まじくて、満足に歩けない。雨とガスが濃くて展望がまるで効かないので、現在位置さえ不透明。それなのに夕闇は刻々と深まってくる。

こんな状態なのに、パーティー内で意見が割れてしまった。元々この企画は私の同期のTが建てたもので、私がそれに誘われて2人で行くはずだった。そこに先輩が便乗してきたので、リーダーが誰かさえ明確でなかった。

通常ならTであるべきだが、なにせ先輩は某社会人山岳会の現役であり、力量は高く、高校時代の私たちのコーチでもあった。普段なら迷わず先輩の意見に従う。ところが、ここで意見が割れた。

先輩はこれ以上進むのは危険なので、岩場の陰でビバークすべきだと主張した。ところが翌日仕事があるTは、どうしても今日中に帰りたいので、強硬に下山を言い出した。先輩も仕事はあるが、今動くのは危険過ぎると言い張り、パーティーは分裂寸前であった。

その時、突如私とTの身体が宙に浮かんだ。もの凄い突風が吹いてきて、気が付いたら足が地面を離れていた。音は聞こえず、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥った。Tと一瞬目があったことだけは鮮明に覚えている。

次の瞬間、私とTに先輩が抱き着いて地面に引き戻された。いや、3人して地面に倒れこんで、烈風をやりすごした。互いに顔面蒼白であった。もう結論は出た。無言で岩場の影まで這いずり、必死になってビバークのためテントを設営した。

強風のなかでのテントの設営は困難を極めた。気が付いた時は、既に夜になっていたが、なんとかドーム型のテントを張ることに成功し、3人で潜り込んだ。

このテントは先輩が所属する山岳会がエベレスト遠征で使ったものと同タイプであり、あの凄まじい烈風にも耐えてくれた。たかが薄い布一枚ではあるが、この一枚を隔てて天国と地獄ほどの違いが出る。

この違いは経験者でないと分からないと思う。テントの布地一枚の向こうでは地獄の歓声のような轟音が鳴り響いているなか、ありあわせの食材で夕食を食べ、時刻表を調べて朝一番の列車で帰京することで意見が一致した。

さっきまで揉めていた先輩とTだが、受験浪人の私と違い仕事があるので、早くに帰京したい気持ちは同じ。ただ、少し気まずい雰囲気は残っていたが、そこは私がわり混んで、話題を変えたりして場を持たせた。なんにせよ、明日は3時起きだ。その頃なら台風は通過しているはずだ。後はなだらかな道を下るだけだしね。

ところが事件は深夜に起こった。

テントの布地一枚の向こうから聞こえてくる強風の轟音は凄まじいばかりで、あの時ほど山小屋の安心感が恋しいと思ったことはない。まさに巨獣の吠え声のような強風が吹き荒れているのだから、なかなかに寝付けない。

それでも深夜になると風の音が少し大人しくなった。ただ、その風音は太く振動するような轟音と、高音で切り裂くような響きが交互に鳴るもので、日ごろ寝つきのいい私でも熟睡はできなかった。

妙な夢というか、妄想が脳裏に浮かんだのも、この風音のせいだと思う。この音は、暴力を振るう男性の怒鳴り声と、それに怯えて悲鳴を上げる女性の声のように思えて仕方なかったからだ。

それでも、ようやくウトウトし出した真夜中のことだ。ふと気が付くと、聞こえてきたのは誰かのうめき声と泣き声であった。そして急に「パパ!止めて」と悲鳴にも似た声が響いたので、私は驚いて寝袋の中から飛び出した。

薄暗いテントの中で起きた突然の珍事に飛び起きたのは私とTの二人で、互いに気が付いて先輩の寝袋を見ると、やはり泣き声はそこから聞こえる。小声で「先輩だよな?」と囁くと、Tも驚愕の表情で頷く。

何度もテントで一緒に泊まった先輩ではあるが、こんな事は初めてだ。どうしたら良いか分からず、二人して顔を見合わせて考え込む。ふと、時計を見るともう2時半だ。ちょっと外の様子を見ると、既に雨は止んでいて、風だけが吹いている。

「よう、起きちゃおうか。朝食作ろうぜ」と声をかけると、Tもそうだなと言いお湯を沸かす準備を始める。クッキーと紅茶、チョコレートだけの粗末な朝食が出来ると、先輩を起こす。

何事もなかったかのように起きる先輩だが、目が腫れているように見えた。でも、それは黙っていることにする。先輩も口数少なく、中央線が止まってなければいいなと言うので、そうですねと相槌を打った他は無言の食事であった。

その後、テントを出ると雲が足早に空を駆け抜けていくのが、星空越しに見えた。素晴らしい星空であったが、早くこの場を立ち去りたい気持ちのほうが強かった。

麓のバス停まで着くと、公衆電話でタクシーを呼び、小淵沢の駅まで送ってもらう。幸い中央線は動いていた。正確には昨夜は強風で止まっていたらしい。先輩が「無理に下山しなくて正解だったろ」というのを、少し白けた表情でTが頷いていた。

始発の電車に乗ると二人はすぐに寝てしまった。私は車窓から保線工事を今もしている作業員たちを眺めながら、先ほどの先輩の妙な寝言のことを考えていた。私が高校一年の時の卒業生で、年は4っほど上の人だ。

私たちはけっこう良くしてもらっていたが、今にして思うと、少し変わった人だった。あまり家に居たがらない人だったように思う。だから、わざわざ高校のクラブのコーチまで買ってでていたのかもしれない。

家に居たがらない理由が、なんとなく分かってしまったように思う。あの寝言と泣き声のことは秘密にしておこうとTと話し合った。だから先輩は知らないはずだ。

ただ、この縦走登山以来、なんとなく一緒に山に行きづらくなったのは確かだ。私は受験を口実に断るようになり、Tは仕事を理由に断っていたようだ。以来、なんとなく疎遠になってしまった。

あの台風が呼び込んだ異様な強風さえなければ、あんな事は起きなかったと思う。

私は山登りを、一種の人生修練の場と考えていた。平穏な日常では分からないが、過酷な状況に陥ると人間の卑屈で愚かな本性が出る。それは登山において、かなり顕著に出る。私自身が山登りの最中での過酷な試練を受けて、惨めで情けない自分の愚かさを痛感していた。

そんな自分を抜け出したくって、敢えて過酷な場に自分を追いやることで、自身を成長させたいと願っていた。先輩は、もしかしたら何かから逃げ出したかったのかもしれない。

そんなことを思いながら、私は朝焼けに染まる甲信越の山並みを眺めていた。今は美しい光景だ。でも、きっと昨夜は立つことも困難なほどの強風が吹き荒れるこの世の地獄であったはずだ。

過酷な状況は、その人の虚飾を剥ぎ取り、本性をむき出しにさせる。山は決して美しいだけの存在ではない。時として、知りたくもない、知られたくない人間の本性を暴き出す怖さがある。

昨今の登山ブームを見ていると、楽しい面だけが強調されるので、余計なおせっかいながら危惧したくなります。

コメント (2)
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