森は怖い。
私はけっこう、森を恐れている。子供の頃からさんざん、森や林で遊んでいたが、私の遊んだ森は住宅開発から取り残された跡地であり、後年私が知った本当の闇の深い森とは縁遠い。
私が初めて森を怖いと思ったのは、富士山ろくの青木が原樹海であった。ここで、カブスカウトの合宿の時、野犬に襲われたことがある。幸い惨事には至らなかったが、あの森の深い闇に絶望にも似た恐ろしさを感じた。
またWV部に入り、沢登や藪漕ぎといった通常の登山道を使わない山登りをするようになると、時折その場に居てはいけないと思うような場所に出くわすことがあった。別に警告もないし、危ない目にあった訳でもない。ただ、そこに居たくなかった。それは心の奥底からの警告であったように思う。
不思議だと思う。
何故なら我々、人類は森で育った哺乳類であったからだ。少なくとも300万年前から600万年前くらいにまだ人とは言い難い原人たちは、森に棲息していたと推測される。これは比較的人類に近いとされるチンパンジーやゴリラ、オラーウータンなどが今も森に棲息することを思えば妥当な推測だと思う。
だが、アフリカで起きた地殻運動により大地が裂け、森が平原に変わったことで原人たちは急速な進化を強いられた。木の少ない平原では、直立して視野を確保して危険を早期に発見する必要があった。そして直立することで両手が空いたことが、道具の使用を可能なさしめた。
アフリカの大地溝帯で起きた噴火と森の消滅により、隠れる場所の少ない平原に追いやられたことで、人類は道具を使う猿として進化した。この進化した原人たちは、やがて世界各地に散っていくことになり、それが旧人類であり、やがては現生人類へと引き継がれる。
だから森は我々人類の故郷ともいっていい場所である。それゆえに森に深く根ざした宗教観が芽生えたのも当然だろう。日本の神道も森抜きでは考えられないし、ヨーロッパに深く広まっていたとされるドルイド教も典型的な森の宗教である。
森が育む豊かな恵みを享受するがゆえに、必然その多様性から幾多の神々が信じられた。日本はもちろんだが、ヨーロッパもアフリカも、そして新大陸においても多神教こそが人類の宗教の主流であったはずだ。
ところで、人類は森を伐採し、やがて巨大な都市を築くようになった。多くの場合、その都市は大きな川のそばに建築された。いわゆる四大河文明である。まァ、実際は四つどころか、20を超える都市文明群があったとされるのだが、脱線が過ぎるので割愛する。
なかでもオリエントに栄えた都市文明は、組織化された行政組織と明文化された法律による統治を完成させた。文字の活用を行政に大々的に用いたことで、大帝国の継続的な統治を可能にした。その安定した社会の下で測量術、冶金技術、そしてなにより集団戦闘技術の進化により抜きんでた勢力を築き上げた。
しかし皮肉なことに大都市の発達は、森林資源の過度な伐採を招き、森が喪われたことで飲料水を失い、建築資材を失い、灌漑農業地の放棄につながり、必然的に都市は衰退した。
衰退した都市文明は、新たな略奪者を支配者に迎えて新たな地に再び巨大な都市文明を築き上げる。このような文明でも、宗教は多神教が一般的であった。長年の習慣はそうそうに止められない。
ところがユダヤ教から分派したキリスト教という強烈な一神教が政治家と結託したことで、きわめて攻撃的で排他的な政治勢力として育った。それがローマ帝国である。
ローマ帝国は世界各地に侵略の手を伸ばし続けたが、困難を極めたのが森に覆われたヨーロッパの地を支配することであった。当然、キリスト教もその尖兵としてヨーロッパ各地に布教の拠点を設けたが、古くからあるドルイド教の抵抗に手を焼いた。
結局西ローマ帝国の下での完全支配は失敗したが、フランク王国に根を張り、以降千年近い歳月をかけてドルイド教を根滅させて、完全支配を完成させた。その際、キリスト教が行ったのが森の完全伐採である。
現在、西ヨーロッパにある森は、高山など一部を除けば全て人工の森である。実は森を伐採しつくしたことで、ヨーロッパの地は大変な天災に襲われた。その代表が森から逃げ出して都市に棲みついたネズミがもたらした伝染病であるペストである。
森があればネズミたちは森に棲んでいただろうし、森には天敵たるフクロウや狐などがいて、ネズミが不自然に増殖することは避けられた。しかし、森がなくなったことで人間の住まいに逃げ込んだネズミたちは、かつての天敵から守られて繁栄を享受した。その結果が当時、三人に一人が亡くなったとされる黒死病である。
病気だけではない。森を失ったことで川は滋養を失い魚は激減した。森という天然の浄化システムを失ったことで川は飲料水としての機能を大幅に薄めることにもなった。森の喪失は、農業生産にも多大なマイナス影響を与えた。人間の生活環境を大幅に狭める結果となった。
慌てたキリスト教は、自らの手で森を復活させる羽目に陥ったが、厚かましいことに自然の保護者面して誤魔化している。それでもかつての仇敵・ドルイド教のような自然崇拝宗教が復活することを浮黶A様々な画策をしている。その典型が魔女狩りである。夜な夜な魔女たちが森に集い、人々を呪い、邪な行為にふけっているとしたり顔で説教していた。
砂漠の地で生まれた一神教であるキリスト教にとって、緑豊かな森は恐るべき仇敵の聖地である。だからこそ自らの管理下に置こうとしたのだろう。現在、ヨーロッパの地に多く見られる美しい森のうち、少なからぬ森が教会や修道院の管理下にあるのはそのためだと私は邪推している。
表題の作品は、強欲な土地開発業者により伐採されそうになった古の森を巡る怪事件である。地底深くに見つかった謎のドルイド教の遺跡。土木業者を襲う謎の事故と、目を抉り内臓を抜き出す残虐な殺人事件。そして相次ぐ幼子の誘拐事件。
謎の犯人の正体が明かされた時の驚愕と、その後の救いようのない顛末。涼しさが寒気に変わる秋の夜長を楽しみたいのなら最適の一冊かもしれません。