現場の声が届かなくなったのは誰のせい?
ここ近年、事故が頻発した北海道の旧国鉄路線だが、8月の脱線事故以来本格的な調査のメスが入った。その結果は、呆れることに数十年前から保守マニュアルに従わない保線工事を繰り返してきたことであった。これでは事故が起きて当然である。
だが、これはおかしい。かつて国鉄といえば日本の産業を支える生命線である。その正確な運行、事故の少なさなどは世界的にも評価の高いものであったことは間違い。とりわけ過密ダイヤを維持する優れた管理システムと徹底的な保守点検は世界に冠たる日本の技術の典型でさえあったはず。
しかし近年思わぬ鉄道事故が目立つ。原因の一つとして言われるのが、国鉄の分割民営化である。だが分割は地域の特性に合った経営を可能にしたはずだし、民営化はどんぶり勘定の親方日の丸体質の放漫経営を改めさしたはず。
新聞もTVも何も言おうとしないようなので、暴言と承知の上で私が言って差し上げたい。JR北海道の国労の加入率は8割近い。今も労働組合が根強く勢力を誇っているのがJR北海道である。
労働組合がJRの労働者の権利を強く守っていると彼らは主張する。しかし国労は、私から見ると肝心要のJRの労働者の権利を守るよりも、左派の立場からの政治運動に力を入れているように思えてならない。
しかもJRの経営陣との対立を演じているものだから、経営者と現場の労働者の距離は決して近くない。当然に双方の声は届かず、それぞれが勝手にやっているといった側面は確かにあるように思える。その結果、間違った保守マニュアルに従い保線工事を行い、脱線事故を起こした始末である。小さな事故なら数知れずであることが、この問題が如何に根が深いかを匂わせる。
だからこそ、経営陣は現場の報告を適切に管理出来ず、保守工事が適切であったかどうかの判断も曖昧なままになっていたのだろう。はっきり言えば、経営陣が現場を管理している状態になかったと思う。これは経営陣の失態であるが、現場に経営陣の管理を入れさせようとしなかった現場の人間、すなわち労働組合にも責任があるように思う。
運輸省の顔伺いに終始する経営陣の責任は当然だが、鉄道事業を自らの政治活動の資金源としかみていない労働組合にも当然に責任はあると私は思う。当然のことながら、鉄道を利用する一般市民のことなんざ、まるで視野にない。
経営陣と現場の間にあって障壁となっている労働組合のことを放置し続ける以上、今後もJR北海道は事故を頻発させるはず。経営陣の失態ばかりを取り上げて賢しげに報道するマスコミが労働組合に好意的なのは周知のことだが、鉄道利用者及び事故被害者のことを思うのならば、バランスのとれた報道が必要ではないかと思います。
まっ!新聞やTVには無理でしょうがね。