少なくとも、事実を伝えるべきだと思う。
少し旧聞に属するが、参議院において新安保法が通過した翌日だったと思う。週末の土曜日の銀座は、人でごったがえしていた。目抜き通りに人が集まっている。持ち前の野次馬根性が顔を出し、近づいてみると、「戦争法案反対」とかのビラを配っている。
なんだ、政治おたくどもの集まりかと思っていたら、スピーカーから聞いたことのある声が聞こえてきた。民主党の党首である岡田氏である。なにを言っているかは想像つくので、人混みを避けて通り抜けた。正直、邪魔くさかった。
その日の夜、仕事を終えて帰宅し、CS放送のニュースを見ていたら、昼間見かけた岡田代表の街頭演説が報じられていた。が、その報道に思わず、飲みかけのジュースを吹き出しそうになった。
「銀座を散策に来た市民たちが足を止めて、岡田代表の演説に耳を傾け、声援を送っています」
そのようにアナウンサーは報じるが、私が見かけたのは、迷惑そうに迂回する買い物客をしり目に、民主党の支持者たちが街頭の一部に固まっている姿だけだ。思わず足を止めて、演説を聞いていた一般市民なんて、まるでみかけなかった。まして、声援を送っている一般市民なんて、どこから探してきたのだろう。
だいたいが、岡田代表が姿を現す前から、あの場所に陣取っていた連中は民主党の関係者であることが見え見えだった。銀座に買い物や散策に来た一般市民は、それを邪魔くさげに迂回していたのが実情である。
それを如何にも、一般市民から支持されていると見せかけて報道するマスコミ(TBSだった)こそ問題だと思う。
日本のマスコミには、反権力志向がある。民主主義国家におけるマスコミの在り方を考えれば、それは方向性としては間違いではないと思うが、事実の偏向は行き過ぎだ。
日本の野党が、与党に対する健全な野党として育たなかった一因に、マスコミが事実を歪めて報道し続けてきたことがあると思う。特定の、しかも少数の人たちの意見や動向を過大に伝えることで、自分たちは国民から支持されていると勘違いをした野党政治家は少なくない。
その一例が潰れてしまった旧・社会党であった。人気が高かった土井女史が党首を務めていたが、総選挙で大敗した。真面目な土井党首は、全国を自ら周って市民の生の声を聴こうとした。
しかし、土井党首の秘書を始めとした取り巻きは、敬愛する党首を傷つけないため、全国の会場に土井党首の熱烈なファンを動員して、土井女史を励ました。結果、土井党首は自分たちは国民から支持されている、自分たちは間違っていなかったと勘違いし、反省もすることなく、安易に次の選挙に臨んで、更に大敗を喫した。
かくして旧・社会党は解体に追い込まれた。この失敗を直視せず、顧みることをせず、見なかったことにしているのが、旧・社会党の残存勢力が色濃く残る現行の民主党である。
戦争法案廃案に失敗した岡田党首を傷つけたくないのだろうが、相も変わらず党員の動員により、岡田党首に自分たち民主党は、国民から支持されていると勘違いさせている罪は重い。
その三文芝居を堂々と報道するマスコミ各社も同罪である。いや、直接の利害関係者でないだけ、マスコミのほうが罪が重いと云える。いくら反権力、反自民の思いに囚われていようと、事実は事実として国民の前に報じるのがマスコミの務めではないのか。
私は国民の間で、けっこう反自民、反安倍政権の声があると感じている。しかし、だからといって彼らが民主党を次の政権を担える政党として認めている訳ではないことも知っている。
そして、民主党の政治家たちには、反自民、反安倍政権の声は届いているが、民主党に対する信頼低下の声は十分届いていない。相変わらず、自分たちの政治的主張に都合がいい声しか耳に入っていない。
嫌なものに耳を塞ぎたくなるのは、人間誰にでもある。しかし、民主主義の政治下で、政治家がそれをやっていたら、いつまでたっても国民の真の願いは適わない。
マスコミの偏向報道の罪は、誠に重いと云わざるを得ません。