ヌマンタの書斎

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さっさと不況を終わらせろ ポール・グルーグマン

2015-10-29 12:57:00 | 

経済学って、何なのだろう。

そんな疑問が脳裏から離れない。私が経済学に触れたのは、高校の倫理社会の授業であったと思う。一応、世界史で、その名前を知ってはいたが、アダム・スミスやカール・マルクスについて、その生い立ちから、その学説の成り立ちまで実に興味深かった。

私は毛語録こそ読んでいたし、共産党宣言も読んでいたが、マルクスの生い立ちと、その学業のアウトラインを教わったのは、この倫理の授業においてであった。ただ、私の興味心は、ここまでで、その後登場するマルサスやケインズについては、あまり記憶に残っていない。

そんな私だが、大学進学の折り、希望したのは全て経済学部であった。平和ボケした日本人の例にもれず、私も経済こそが日本の中心であり、それを学ぶことに意義を見出していた。

ところで、80年代の大学経済学部は、マル経(マルクス主義中心の経済学)から近経(近代経済学主にケインズ)への過渡期であり、私の進学した大学では、近経寄りの経済学が主流であった。

私はここで、ケインズのみならず、リカードやマルサスを学び、更に当時のレーガン大統領に近かったフリードマンらの最新の経済学に触れることが出来た。もっとも、私自身は大学は、社会に出る前の長期休暇と捉えており、もっぱらWV部での登山活動に傾倒していた。

でも留年する気はなかったので、ギリギリの成績でいいから4年で卒業するつもりで、最低限の努力で進級と卒業を果たした。そんな私の脳裏に刻まれたのが、いわゆる自由貿易至上主義であり、市場価格至上主義であり、統制経済から規制緩和による経済拡大主義であった。

要するに、政府は経済に可能な限り干渉せず、貿易は自由として、公正な市場価格こそ適正であり、税率を下げれば下げるほど経済は活況を催す。すなわちレーガノミックスである。

卒業後、その流れは既成勢力の抵抗にあいつつも、着々と進んでいた。レーガンの明るい笑顔に引っ張られるようにアメリカ経済は好調であり、円高不況は結果的にバブル経済を生み出しはしたが、景気が良かったことは間違いない。

しかし、日本経済のバブルは弾け、アメリカはS&Lの破綻と、市場経済の変動に打ちのめされた。景気低迷を受けて日米両政府がとった緊縮財政政策は、正しい処方箋であるはずであった。財政赤字の縮小こそ、経済復活のための避けられぬ痛みであり、その後には好景気が待っているはずであった。

で、景気は良くなりましたか?

私の実感で云わせてもらうと、バブル崩壊後の景気低迷時のほうが、アベノミクスによる好景気よりも、ずっと金回りは良かった。民主党政権下の時よりもマシではあるが、売上も手取りの所得も、10年以上前のほうが良かった。

いったい、経済学ってなにさ。優秀な学者さんたちの言うとおりに行われたマクロ経済政策って、本当は間違っているのではないかい?

そんな疑問に答えてくれるかもしれないのが表題の書である。知る人ぞ知るノーベル経済学賞の受賞者であり、過激な言論でも知られている。その彼が、まるでうっぷん晴らしのような口調で書きつづったのが表題の書です。

もっとも著者はアメリカ人であり、アメリカ経済が中心であり、それに欧州が少し加わる程度で、日本についてはほとんど触れていない。しかし、それでも参考になる。

基本的に経済学というものは、後追いの学問である。現実の経済現象が先行し、それを研究し、今後に活かす社会的役割を担っているはずだ。しかし、現実の経済学は、本当に経済現象を研究し、それを今後に活かしていると云えるのか。

事実上の0金利状態が続く経済において、政府の支出を減らし財政赤字の解消を目指す緊縮財政政策が、現実になにを引き起こしてきたのか。それなのに、その現実を無視して、ひたすらに緊縮財政=善であり、政府の財政主出拡大=悪とする認識から離れられない。

それは学問ではなく、倫理観ではないのか。論理ではなく、信念に過ぎないのではないのか。

私は今、経済学を真剣に学ぶべき学問だと見做すことに、多いな疑問を感じています。興味がありましたら、是非ご一読を。

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