人は強い者に惹かれる。
強い男に女性が惹かれることは良くある。しかし、男だって強い男には惹かれる。生物としての本能的なものだと思うが、問題はその強さの中味というか質である。
子供の頃ならガキ大将というか、腕っぷしが強くって、みんなをまとめられる強さに憧れる。もっとも、このガキ大将タイプはあまりいない。むしろ口の上手さだったり、人使いの上手さ、立ち回りの上手さで大将を気取る奴のほうが多い。
だが、身体が成長してくると、強さはより明確に、攻撃的になって現れる。他人と比較しての強さ、これを立証することが大事となる。私も小学校高学年から中学にかけて、公園で意味もなく悪ガキ仲間たちと、取っ組み合ったり、腕相撲をしたり、はたまた眼の飛ばしあいをしてたりしたものだ。
世間からは、不良呼ばわりされたりしたが、仲間内でのポジション争いは、男として避けられぬ真剣勝負の場であった。野蛮だと誹謗するのは容易いが、昨今のLINEイジメのような陰湿さはない。
白状すると、居心地のいい世界だった。ただし、居場所を確保していればの話だ。実はこれが難しい。特に男の場合、12歳前後で急速に身体が発達する。身長が伸びるだけでなく、筋骨逞しくなってくる。
すると、強さの順位が微妙になる。今やれば、俺のほうが強いんじゃないの?そんな疑問を解決するには、腕っぷししかない。だからこそ、仲間内のケンカが一番シビアとなる。
要するに猿山のオスざるたちの勢力争いと、なんら変わりないのが思春期の男の子たちなのだ。だが、この荒れ狂う子ザルたちも気が付かざるを得ない。世の中、腕っぷしだけではないと。
それに気が付くのは、十代後半になる。高校を退校になったり、あるいは鑑別所に送り込まれったり、次第に社会の枠組みに締め付けられる自分に気が付くと、不良から卒業していく。
ある者は、デキ婚の現実に真面目に働かざるを得なくなり、不良でいられない自分に気が付く。また、ある者は、お金を稼ぐには不良のままではダメだと気が付き、稼ぎる業界に入っていく。その業界がサラ金や裏金融だったりすることもあるが、好きなバイクや車関係の仕事であることも多い。
生きていくには、腕っぷしの強さとは別の強さが必要だと気が付いてしまう。それが不良の卒業の時なのだろう。しかし、いつまでも不良のままでいたい大人だっている。いや、今さら堅気にはなれないとの諦めも混じっている。
そうなると、二十歳過ぎても不良で居続ける。ここから先は容易な世界ではない。あるものはヤクザになるが、それが出来ない根性なしは多い。昨今流行の半グレと呼ばれる若者たちがそうだ。
ヤクザならば守らねばならぬシガラミとか、碌でもない制約はけっこうある。あれは、あれでキツイ世界だ。その厳しさを厭う反面、堅気で生きていくだけの自制心もない。あるのは、有り余る腕力と、不良としての欲望だけ。
この連中は怖い。素人の怖さというか、制約がない怖さをもっている。ヤクザならば通す筋目があるが、反グレにはそれさえない。正直、私は関わりたくない連中だと思っている。
そんな半グレの若者たちを描き出したらピカ一なのが、表題の作品である。主人公は、ようやく鑑別所を出た、抑えの効かない暴力を秘めた若者だ。どうやら原作者の実体験に基づく話らしい。
この原作者、間違いなくかなりのヤンチャもんだ。理屈や道理ではなく、腕っぷしの強さだけが正義の世界。そんな強引な正義を貫く暴れん坊たちは、かなり魅力的な男たちだ。多分、身近にいたら私も惹かれたと思う。
でも、危ない連中であるのも確かで、それが分かるから今は距離を置くようにしている。育ちが悪い私は、この手の暴れん坊たちから目が離せない。誰にでもお薦めできる漫画ではないが、不良少年から抜け切れない半グレの若者たちの姿に興味があるなら、読んでみるのも一興でしょう。