哀しみより先に、行き場のない、やりきれなさが辛かった。
夕刻、携帯に届いたメールに思わず絶句した。ブルの訃報であった。
Burunoanaこと、ブルは同世代の友人で、AOLの異業種交流サークルで出会った。掲示板に書き込まれた文章も面白かったが、なにより本人が面白かった。最初にリアで会ったのは、新宿でのオフ会であった。
ハンドルネーム(AOLではスクリーンネームといった)の由来は、最初に設定するとき悩んでいたら、庭で飼い犬のブルース(シベリアン・ハスキー)が穴を掘っていたので、ブルの穴と付けたと語り、笑いを誘っていた。
なによりも皆を驚かせたのが、酒の注文の仕方。いきなり「ウーロン杯、5杯お願いね」と頼み周囲を唖然とした。なんでも、いちいち頼みなおすのが面倒なので、まとめて頼むとか。それでいて、呑んべいの印象が薄いのは、呑み方が快活で明るい話題の多い人柄からだろう。
存在感のあるオジサンで、どこにいても周囲に人を集める人望もあったと思う。転職の多い奴であったが、不思議なくらい求職には困っていなかった。天性の営業マンで、会社に云われたら何でも売るのが営業だと豪語する。
そのかわり、納得がいかなければ会社を辞めることも辞さない。それでいて、辞めた会社から「戻ってきてくれ」と転職先に連絡があるのだから、その実力はたいしたものだ。中高年の転職の厳しさなんて、この男に関しては無縁であった。
3年前、私が急性の心筋梗塞で入院して、退院してすぐに仕事に戻ったら「心筋梗塞を舐めちゃダメだ。もっと静養につとめろ」と言っていたくせに、自分自身は、医者から検査を云われても、先送りにしていたらしい。
8月だと思うが、mixiで心臓に異常があると医者に云われたと書き込んでいたので、すぐに検査しておけよと返信しておいたのだが、どうも行かなかったらしい。その挙句に、朝方に急死したようだ。
訃報を知った時、思わず「馬鹿野郎!」と怒鳴りたくなった。
まだ50代前半の働き盛りだろうに。まだまだやりたいことも沢山あったろうに。子供がいない夫婦ではあるが、奥さんを残してどうする気だ。まだまだ言いたいことはあるが、その言葉はもう届かない。
たしか、親父さんの葬儀は無事終えたと言っていたが、なにもすぐに親の後を追うことはあるまい。早すぎる、早すぎるぞ。ここ数年、お互いに多忙で、なかなか飲むことも出来なかった。最後に飲んだのは、江戸川の花火大会で、炎天下の河原で昼間から夕刻まで延々と飲み、語り合ったものだ。
もうあの「ウーロン杯、5杯」を聞けないと思うと、無性に寂しいではないか。今夜は珍しく一人で、ウーロン杯でも飲みましょうかね。
追記 昨夜お通夜に行ってきました。乾電池夫妻とも久々の再会。平日の、しかも房総半島の先端近くの遠隔地ではありましたが、席が足りなくなるほどの参列者の数でした。ただ、その最後の姿は私の記憶よりも一回り小さい。痩せたとは聞いていたけど、それよりも、やつれた印象が強い。リアでは5年以上会っていなかったが、mixiなどを通じて交流はあった。
読んで笑えるような快活な書き込みが多かったが、その最後の姿を見ると、相当なストレスを抱えていたように思えてならなかった。本当に辛いことは、決して口外しない奴でもあった。奥様の、にゃじさんが気丈に振る舞っていたのが辛かった。きっと、いろいろあったのだろうな。