期待を裏切るのは辛い。
たとえ、それが一方的に寄せられた期待であったとしても、その期待に応えられなかった自分を思い出すと、苦い気持ちにさせられる。
私が新入社員として赴任した東京近郊のK支店は、雰囲気が変だった。後日分ったのは、外回りの営業若手男子と、内勤の事務を担うOLグループとの反目が原因だった。営業のリーダー的存在であったB氏は、九州男児で典型的な男尊女卑を奉じるタイプであったため、女の子たちから反発を食らっていた。
管理すべき営業課長は多忙を理由に逃げていたし、支店長は我関せずと中立を装っていた。総務課長は内心、B氏に同情しているようだが、立場上OLグループを擁護していた。そのため、営業部門と事務部門との連絡不足からのトラブルが、時折出ていた。
私より先に赴任していた同期の新人OLは、意図的に営業の男子を補佐させるポジションに就かされていた。そのため、支店内を牛耳るOLグループから冷遇され、肩身の狭い思いをしていたようだ。
理由あって遅れて赴任した私は、予定外の赴任だったので、営業車の割り当てもなく、支店近辺の顧客管理でお茶を濁された。おまけに普通ならあるはずの先輩男性営業のOJTも2日で終わらされた。仕方なく、営業事務の補佐までやる羽目になった。
営業で実績を挙げることを目標にしていた私は、あてがはずれて失望したが、冷静に周囲を見渡すと、意外なことが分った。B氏が「お気軽OL」と揶揄する彼女たちは、実はけっこうな営業スキルがあり、それゆえ口先だけのB氏を嫌っていた。
私はOLグループのリーダー格であるF女史に仕事を教わることになった。これは前例のないケースだが、F女史は元々は営業補佐であったようで、そこを見込まれてのことだった。すぐに気がついた。F女史は下手な男性営業よりも、はるかにノウハウを持っていたし、それを私に教えてくれた。もちろん、彼女には彼女なりの思惑があった。
私は敢えて、その思惑に乗ることにした。彼女らOLグループは仕事を嫌ってはいなかったが、休日出勤だけは出来るなら避けたいようだった。いくら営業実績を挙げてもボーナスに反映しないので、やる気がなかったらしい。そこで、私は仕事を沢山やって覚えることを口実に、F女史らに休日出勤の交代を申し出た。交渉締結だ。
私はF女史の指導の下、急激に成績を伸ばした。曰く「あの店の店長は大の巨人ファン。行くなら巨人が勝った日の翌日」とか「あの会社の営業課長は、かならず3時のお茶の時間には帰社するから、その直前に手土産もっていきなさい」といった具合だ。気がついたら、私の営業成績は支店では2位。一年目二年目対象の営業コンテストでは、関東地区第二位、全国でも4位の成績で、本社の営業担当常務から直々に声をかけられ、支店長も鼻高々だった。
F女史を筆頭としたOLグループは、私の業績アップをB氏ら男子営業への見返しと捉えていたので、意気揚々としていた。一方、私は冷や飯食わされていた同期の新人OLを、私の補佐に引き抜く工作を始めていた。彼女らから熱い期待を寄せられていたからでもある。
そんな矢先だった。私は体調を崩し入院。原因は不明だが、おそらく過労が引き金だと思う。気がつけば棺おけに片足つっこむほどの重病だった。幸い命は永らえたが、治る見込みは立たず、1年以上休職する羽目になった。いや、休職では済まず1年後には、辞表をもってヨロヨロと支店を訪れた。
そこで私が見たのは、配置がまったく変わった支店の姿。F女史らOLグループは、不動産部門など他の部署に分散され、B氏の姿はなく、まるで別の会社。同期の2人は、一人は来月退職。もう一人も年内には結婚退職よと耳打ちされた。私は既に過去の人間であり、蔑視されることはなかったが、居ないも同然の無関心さに出迎えられた。
期待に応えられなかった以上、当然の処遇だと思う。
表題の本は、多くの人が中学や高校で、課題図書かなにかで読まされたことがあろうかと思う。私も高校一年の夏に読んだ。当時は、勉強のプレッシャーに負けた弱い奴程度の感想しか持てなかった。私は基本的に、弱肉強食を信じているからだ。
しかし、会社を退職した後に、長期の自宅療養に入ってから再読してみると、まったく違う印象となった。十代の私がいかに稚拙な知性しか持ち合わせていなかったが、つくづく思い知らされた。
私は仕事が好きだ。でも、もう二度と身体を壊すほどに仕事に打ち込むことはするまいと、固く胸に誓っている。
たとえ、それが一方的に寄せられた期待であったとしても、その期待に応えられなかった自分を思い出すと、苦い気持ちにさせられる。
私が新入社員として赴任した東京近郊のK支店は、雰囲気が変だった。後日分ったのは、外回りの営業若手男子と、内勤の事務を担うOLグループとの反目が原因だった。営業のリーダー的存在であったB氏は、九州男児で典型的な男尊女卑を奉じるタイプであったため、女の子たちから反発を食らっていた。
管理すべき営業課長は多忙を理由に逃げていたし、支店長は我関せずと中立を装っていた。総務課長は内心、B氏に同情しているようだが、立場上OLグループを擁護していた。そのため、営業部門と事務部門との連絡不足からのトラブルが、時折出ていた。
私より先に赴任していた同期の新人OLは、意図的に営業の男子を補佐させるポジションに就かされていた。そのため、支店内を牛耳るOLグループから冷遇され、肩身の狭い思いをしていたようだ。
理由あって遅れて赴任した私は、予定外の赴任だったので、営業車の割り当てもなく、支店近辺の顧客管理でお茶を濁された。おまけに普通ならあるはずの先輩男性営業のOJTも2日で終わらされた。仕方なく、営業事務の補佐までやる羽目になった。
営業で実績を挙げることを目標にしていた私は、あてがはずれて失望したが、冷静に周囲を見渡すと、意外なことが分った。B氏が「お気軽OL」と揶揄する彼女たちは、実はけっこうな営業スキルがあり、それゆえ口先だけのB氏を嫌っていた。
私はOLグループのリーダー格であるF女史に仕事を教わることになった。これは前例のないケースだが、F女史は元々は営業補佐であったようで、そこを見込まれてのことだった。すぐに気がついた。F女史は下手な男性営業よりも、はるかにノウハウを持っていたし、それを私に教えてくれた。もちろん、彼女には彼女なりの思惑があった。
私は敢えて、その思惑に乗ることにした。彼女らOLグループは仕事を嫌ってはいなかったが、休日出勤だけは出来るなら避けたいようだった。いくら営業実績を挙げてもボーナスに反映しないので、やる気がなかったらしい。そこで、私は仕事を沢山やって覚えることを口実に、F女史らに休日出勤の交代を申し出た。交渉締結だ。
私はF女史の指導の下、急激に成績を伸ばした。曰く「あの店の店長は大の巨人ファン。行くなら巨人が勝った日の翌日」とか「あの会社の営業課長は、かならず3時のお茶の時間には帰社するから、その直前に手土産もっていきなさい」といった具合だ。気がついたら、私の営業成績は支店では2位。一年目二年目対象の営業コンテストでは、関東地区第二位、全国でも4位の成績で、本社の営業担当常務から直々に声をかけられ、支店長も鼻高々だった。
F女史を筆頭としたOLグループは、私の業績アップをB氏ら男子営業への見返しと捉えていたので、意気揚々としていた。一方、私は冷や飯食わされていた同期の新人OLを、私の補佐に引き抜く工作を始めていた。彼女らから熱い期待を寄せられていたからでもある。
そんな矢先だった。私は体調を崩し入院。原因は不明だが、おそらく過労が引き金だと思う。気がつけば棺おけに片足つっこむほどの重病だった。幸い命は永らえたが、治る見込みは立たず、1年以上休職する羽目になった。いや、休職では済まず1年後には、辞表をもってヨロヨロと支店を訪れた。
そこで私が見たのは、配置がまったく変わった支店の姿。F女史らOLグループは、不動産部門など他の部署に分散され、B氏の姿はなく、まるで別の会社。同期の2人は、一人は来月退職。もう一人も年内には結婚退職よと耳打ちされた。私は既に過去の人間であり、蔑視されることはなかったが、居ないも同然の無関心さに出迎えられた。
期待に応えられなかった以上、当然の処遇だと思う。
表題の本は、多くの人が中学や高校で、課題図書かなにかで読まされたことがあろうかと思う。私も高校一年の夏に読んだ。当時は、勉強のプレッシャーに負けた弱い奴程度の感想しか持てなかった。私は基本的に、弱肉強食を信じているからだ。
しかし、会社を退職した後に、長期の自宅療養に入ってから再読してみると、まったく違う印象となった。十代の私がいかに稚拙な知性しか持ち合わせていなかったが、つくづく思い知らされた。
私は仕事が好きだ。でも、もう二度と身体を壊すほどに仕事に打ち込むことはするまいと、固く胸に誓っている。