ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「車輪の下に」 ヘルマン・ヘッセ

2008-02-22 13:07:34 | 
期待を裏切るのは辛い。

たとえ、それが一方的に寄せられた期待であったとしても、その期待に応えられなかった自分を思い出すと、苦い気持ちにさせられる。

私が新入社員として赴任した東京近郊のK支店は、雰囲気が変だった。後日分ったのは、外回りの営業若手男子と、内勤の事務を担うOLグループとの反目が原因だった。営業のリーダー的存在であったB氏は、九州男児で典型的な男尊女卑を奉じるタイプであったため、女の子たちから反発を食らっていた。

管理すべき営業課長は多忙を理由に逃げていたし、支店長は我関せずと中立を装っていた。総務課長は内心、B氏に同情しているようだが、立場上OLグループを擁護していた。そのため、営業部門と事務部門との連絡不足からのトラブルが、時折出ていた。

私より先に赴任していた同期の新人OLは、意図的に営業の男子を補佐させるポジションに就かされていた。そのため、支店内を牛耳るOLグループから冷遇され、肩身の狭い思いをしていたようだ。

理由あって遅れて赴任した私は、予定外の赴任だったので、営業車の割り当てもなく、支店近辺の顧客管理でお茶を濁された。おまけに普通ならあるはずの先輩男性営業のOJTも2日で終わらされた。仕方なく、営業事務の補佐までやる羽目になった。

営業で実績を挙げることを目標にしていた私は、あてがはずれて失望したが、冷静に周囲を見渡すと、意外なことが分った。B氏が「お気軽OL」と揶揄する彼女たちは、実はけっこうな営業スキルがあり、それゆえ口先だけのB氏を嫌っていた。

私はOLグループのリーダー格であるF女史に仕事を教わることになった。これは前例のないケースだが、F女史は元々は営業補佐であったようで、そこを見込まれてのことだった。すぐに気がついた。F女史は下手な男性営業よりも、はるかにノウハウを持っていたし、それを私に教えてくれた。もちろん、彼女には彼女なりの思惑があった。

私は敢えて、その思惑に乗ることにした。彼女らOLグループは仕事を嫌ってはいなかったが、休日出勤だけは出来るなら避けたいようだった。いくら営業実績を挙げてもボーナスに反映しないので、やる気がなかったらしい。そこで、私は仕事を沢山やって覚えることを口実に、F女史らに休日出勤の交代を申し出た。交渉締結だ。

私はF女史の指導の下、急激に成績を伸ばした。曰く「あの店の店長は大の巨人ファン。行くなら巨人が勝った日の翌日」とか「あの会社の営業課長は、かならず3時のお茶の時間には帰社するから、その直前に手土産もっていきなさい」といった具合だ。気がついたら、私の営業成績は支店では2位。一年目二年目対象の営業コンテストでは、関東地区第二位、全国でも4位の成績で、本社の営業担当常務から直々に声をかけられ、支店長も鼻高々だった。

F女史を筆頭としたOLグループは、私の業績アップをB氏ら男子営業への見返しと捉えていたので、意気揚々としていた。一方、私は冷や飯食わされていた同期の新人OLを、私の補佐に引き抜く工作を始めていた。彼女らから熱い期待を寄せられていたからでもある。

そんな矢先だった。私は体調を崩し入院。原因は不明だが、おそらく過労が引き金だと思う。気がつけば棺おけに片足つっこむほどの重病だった。幸い命は永らえたが、治る見込みは立たず、1年以上休職する羽目になった。いや、休職では済まず1年後には、辞表をもってヨロヨロと支店を訪れた。

そこで私が見たのは、配置がまったく変わった支店の姿。F女史らOLグループは、不動産部門など他の部署に分散され、B氏の姿はなく、まるで別の会社。同期の2人は、一人は来月退職。もう一人も年内には結婚退職よと耳打ちされた。私は既に過去の人間であり、蔑視されることはなかったが、居ないも同然の無関心さに出迎えられた。

期待に応えられなかった以上、当然の処遇だと思う。

表題の本は、多くの人が中学や高校で、課題図書かなにかで読まされたことがあろうかと思う。私も高校一年の夏に読んだ。当時は、勉強のプレッシャーに負けた弱い奴程度の感想しか持てなかった。私は基本的に、弱肉強食を信じているからだ。

しかし、会社を退職した後に、長期の自宅療養に入ってから再読してみると、まったく違う印象となった。十代の私がいかに稚拙な知性しか持ち合わせていなかったが、つくづく思い知らされた。

私は仕事が好きだ。でも、もう二度と身体を壊すほどに仕事に打ち込むことはするまいと、固く胸に誓っている。
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「スレイヤーズ」 神坂 一

2008-02-21 12:18:23 | 
小説が漫画化されることは以前から時々あった。最近は漫画の小説化もある。この場合、セカンド・ストーリーが展開されることが多く、ファンには魅力的企画なのだろう。

漫画を読んでいるかのような錯覚に襲われる小説もある。漫画チックな挿絵が多く含まれているせいもあるが、なによりその文体の軽さに驚いた。以前、新井素子を読んだ時にも感じたが、それ以上の軽さだ。

文体が軽いがゆえに、読むスピードが速い。漫画並みのスピードで頁をめくれるから、これは驚くしかない。いくらライト・ノベルだからって、これは特異だと思う。

表題の作は、私が20代の頃に読んだ。長期の病気療養中で、気持ちが弱っていたがゆえに手を出した。その漫画チックなイラスト故に、元気だったら手を出さなかったと思う。時間潰しのつもりだったが、あっというまにハマッてしまった。面白いというより、可笑しいと評すべきだろう。事実、電車の中で読んでいて、あまりの可笑しさに吹き出した思い出あり。あれは恥ずかしかった。

中身は魔法だの、怪物などが出てくる、剣と魔法の物語であり、率直に言って青少年向けだ。ただ、漫画を読むが如く錯覚させられる文体には、大いに驚かされた。多分、作者は漫画やTVアニメを中心に観て育った人だと思うが、あの文章力はどうやって身につけたのか、不思議で仕方がない。

実際、けっこう人気はあったらしく漫画化もされたし、TVアニメにもなったらしい。既に本編は完結しているが、お笑いパートを受け持つ外伝は、今も刊行されている。さすがに、今は読んでいないが、ある意味最もライト・ノベルらしい本なのかもしれない。

再読するか、否か迷ったが、最終巻だけ読んでみた。あっという間に読みきれた。こんなに軽く読める文体の作家には、いまだかつて遭った事がない。その意味で、忘れ難い作品でした。なお、大人が無理に読む本ではないと思います。ですが、本嫌いの子供には向くと思います。こんな作品で、本を読む楽しさを知るのも一興かもしれません。
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「1・2の三四郎」 小林まこと

2008-02-20 12:16:50 | 
理屈っぽいと、損をすることがある。

私は高校、大学とワンダーフォーゲル部で山登りに傾倒していた。一応運動部だ。それなりにトレーニングはある。とりわけ大学は、バリバリの体育会系のクラブだけに、まあしごかれた、しごかれた。

白状すると、トレーニングは嫌いだ。大嫌いだった。とりわけ長距離走が嫌いだった。ところが、トレーニングはランニングが中心であり、走る、走る。ウンザリするほど、走らされた。

自慢じゃないが、トレーニングで100%全力を出したことはない。同期は皆気づいていたし、先輩たちも手抜きを察していたと思う。まあ、よく怒鳴られていたのは事実だ。今だから言うが、「根性出せ!」と怒鳴られて、出したこと一度もない。

当時はトレーニングは本番のための準備に過ぎないと考えていた。オリンピックなどで、日本の選手たちが練習通りの実力を出せず敗退する姿を見ながら、私は練習のし過ぎだよと毒づいたものだ。確信犯的手抜きトレーニングの常習犯にも、それなりの理屈はあった。

しかし、まあ、本音はやはり苦しいのは嫌だ、だと思う。なんでこんな苦しいこと、やらねばならないのだと、いつも心のなかでぼやいていた。いや、口にだして、妙な理屈をこねて周囲を困惑させていた。

卒業して、社会人となり直に難病で身体を壊し、もはや激しい運動が出来なくなった今、改めて思う。あの時、もっと自分に厳しく鍛えておけば良かった・・・

手前勝手な言い分だとは思うが、本気で悔恨している。もっと気持ちを入れて走れば、もっと速く走れたし、簡単にバテることはなかったはずだ。20歳前後の人生で最も身体を鍛え上げることが出来る時期に、それを変な理屈をつけて怠ったことは悔やまざるえない。

なぜに今頃後悔しているかといえば、どうしても遣り残した想いを捨てきれないからだ。全力を出し切ったのならば、たとえ失敗しても悔いは残らない。そうでないからこそ、心残りとなる。

表題の漫画は、私が学生の頃、週刊少年マガジンに連載されていた。ラグビー編、柔道編そしてプロレス編となるが、いずれも主人公たちは、ボロボロにしごかれる。胃液を吐き戻すほどの苦しいトレーニングを、意地の笑顔で乗り切る。

当時は、ここまで頑張るなんてナンセンスと思っていたが、今では憧れさえ感じる。徹底的に身体を痛めつけるトレーニングは、傍目にはバカらしく思えるかもしれない。みっともなくて、不快さえ感じるかもしれない。それでも敢えて断言したい。

100%全力で頑張れる奴と、90%で止めて手抜きする奴(・・・私だ)とでは、長い目で見ると差が出る。ほんの少しの差ではあるが、もう乗り越えることが出来ない差なのだ。

余計な言い訳考えずに、素直にやれば良かった。もう取り返すことの出来ない後悔は、二度としたくないものだ。
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「僕ってなに」 三田誠広

2008-02-19 12:12:33 | 
情熱が途絶えると、虚脱状態に陥ることがある。

70年安保闘争は失敗に終わり、浅間山荘事件と内ゲバの頻発は、学生運動に止めを刺した。社会正義の実現に向けて、政治的情熱を燃やした若者たちは、いきなり目標を失くし、ほっぽり出された。

私が学生運動に関ったのは、中学生の頃、おそらく70年代中盤だった。当時はすぐには気づけなかったが、既にある種の虚脱状態に陥りだしていた。

空虚な議論と、重箱の隅をつつくだけの論争。周囲を慮って情熱があるふりをするが、惰性で動いているのが、私にすら見え見えだった。

頭の良い奴らや、要領のいい奴らは、さっさと次のステージに向かって頭を切り替えた。ある者は弁護士を目指し、ある者はビジネスの世界に身を投げた。多少とも情熱を維持し続けるものは、ジャーナリストや教職を目指した。

残った真面目なだけが取柄の若者たちは、何をしたらイイのか?

後遺症の残るような傷があるわけではないが、過去を肯定的に考えられない。未来への希望は喪失したが、さりとて新しい方向性も見出せない。具体的な損害があったわけでもないのに、今の自分が不安で仕方ない。

仕方がないから、皆にならって髪を短く切り、授業にも出席してみるが、やりたいことがあるわけでもない。安定しているから、公務員がいいが試験があるんだよねと愚痴る青年たちに、私は失望を隠せなかった。

ほんの少し前まで、はるかに年下の私に対して熱く語ってくれた理想の政治、理想の社会はどこへ行った。就職への不安を高校生の私にこぼす情けなさに、ほとほと愛想が尽きた。

私は登山に目覚め、もやもやを吹っ切るために、週末の大半を山で過ごすようになった。重いリュックにあえぎつつ、一歩ずつ汗にまみれて登っていけば、そこには必ずピークがあった。広大な自然の姿に驚き、矮小な自分の存在を認識して、自らの至らなさを実感できることに喜びを感じた。

そんな矢先に出会ったのが表題の本だった。たしか芥川賞を受賞していると思う。この本ほど、当時の若者たちを素直に描き出したものを私は知らない。

村上龍にせよ、田中康夫にせよ、当時の若者たちの一部を取り上げたに過ぎず、三田誠広のように、大半の声無き若者の姿を捉えたものではなかった。実に情けない若者たちだとは思うが、その事実を見事に描き出した。いや、三田自身の姿、想いを描き出したと評するべきなのだろう。

団塊の世代が大量に退職しつつある今、これからの社会の主力となるのが、この「僕って何」の世代となる。バブルに舞い上がり、思いっきりこけた世代でもある。この先、いかなる社会となるのか、いささか不安に思う。

多分、何も積極的にせず、周囲に流されるのを好むのではないか?嫌な予想だなあ~
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「アラスカ戦線」 ハンス・オットー・マイスナー

2008-02-18 12:25:08 | 
今年の冬は、雪の当たり年らしい。

温暖化といいつつ、例年になく降雪が多く、雪に弱い東京では毎回事故が頻発する。溶ければ道はグシャグシャだし、凍結すれば転倒しやすく歩きづらい。

ただ、雪が降る光景は嫌いではない。とりわけ深夜、深々と降る雪が作り出す幻想的な光景には、思わず心奪われる。月明かりに照らされた景色には、寒さを忘れさすほどの美しさが潜んでいる。

あれは十代半ば、日光は戦場ヶ原近くのキャンプ場で一夜を過ごした時のことだ。氷点下の夜を野外で過ごすのは辛い。いくら防寒具に身を包んでも、地面の冷たさが体温を奪っていくのが分る。寝袋の下に引く銀マットとナイロン地のテントでは、到底寒気を防げない。

それでも昼間の疲れから睡魔に襲われる。ふと尿意を覚えて、深夜に目を醒ます。なるべく音を立てずに寝袋から抜け出して、テントの外へ出る。既に雪は小降りになり、雲の切れ間から覗く満月の輝きに目を奪われる。しばし陶然となるほどの美しい光景。気温は氷点下をはるかに割り込んでいるはずだが、その寒さを忘れさすほど、月下の雪景色は私の意識を陶酔させる。

尿意に促されて、便所へ急ぐ。すぐに小用を済ませ、再びテントに戻ろうとした時だ。ふと、気配を感じた。振り返っても、暗い森があるばかり。風の音さえしないのに、誰かの呼び声が微かに聞こえた気がした。

不思議と恐いとは感じなかった。ただ、心が小さくざわめいた。月の輝きが雪面に照り返し、かすかな粉雪が蒼い夜空に舞うのが見えるばかりで、妖しいものはなにもない。それなのに、どこかで人のざわめきが聞き取れる。広いキャンプ場には、私たちのテントが一張りあるばかり。管理人小屋は無人のはず。

ここは戦場ヶ原が近い。古の戦場であり、美しい雪の夜景が私を惑わせたのだろう。そう納得して十字をきってテントに戻らんとす。いや、思い返して、念のため仏教式に拝んで一礼。こんなもんでいいんじゃない?と寝袋にもぐりこむ。寝つきの良さなら、いささか自信あり。すぐに睡魔に身を委ねる。

「起床!」の掛け声とともに、寝袋から飛び出す。まだ4時だが、外は雪明りで明るい。下級生が朝食の準備に勤しむなか、リーダーがトイレから戻ってきて、私に話しかける。

「おまえ、よくあの吹雪のなか、深夜にトイレに行く気になったな」え?と私。「いや、雪はほとんど止んでいたぞ」と答えると、彼は笑いながら「いや、お前が深夜、起きて外に出る時、吹き込んだ雪で俺、目が覚めたからな」と言う。そして「しかも、強風が吹くなか30分以上も戻ってこないから心配して、外覗いたら吹雪のなかで、突っ立っているんだから驚いたよ」と言う。

狐に包まれた気分とはこのことだ。小雪舞う美しい夜景は覚えていたが、あの寒気のなか30分も外に居た覚えはない。その話は朝食に中断され、私は居心地の悪い気分のまま食事を始めた。

朝食後はテントの撤収と、今日中の下山を目指しての厳しい行動があったため、私の疑念はそのままになってしまった。もちろん、リーダーが寝ぼけた可能性もあるし、私が寝ぼけた可能性もある。

でも、あの美しい雪景色は、今も私の脳裏に刻まれている。30分以上だとは思わないが、それでも陶酔したのは確かだ。夜の雪山は美しくも妖しい。

表題の作品は、第二次大戦中にアラスカに極秘任務を携えて侵入した旧・日本軍兵十数人と、アメリカ軍精鋭部隊との戦いを描いた冒険ものです。作者はドイツ人であることがミソ。極寒のアラスカの山野にて、互いに譲らぬ激しい闘志のぶつかり合いが印象的でした。

兵どもの夢の跡には、今も美しいアラスカの雪原が横たわっているのでしょうね。吹雪舞う雪原のなかで、何時間もライフルを構えて対峙する男たちの脳裏にはなにがよぎったのでしょう。この本を読むと、今も幻想的な美しさを持つ、夜の雪原を思い出さずにはいられません。
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