ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

確定申告電話相談室

2008-02-15 17:18:40 | 経済・金融・税制
毎年、この時節になると税務署では無料相談会を行っている。青色申告会や税理士会でも行っている。税理士という職業は独占資格でもある。弁護士や会計士といえども、税理士会に登録しなければ税務代理業務はできない。

独占資格ゆえに、一定の社会奉仕が求めれらるのは当然だと思う。私も時折、支部からの依頼で応援に行くことがある。今年は相談会ではなく、国税庁の電話相談室に応援にいくこととなった。

麹町や上野といった都内8箇所の税務署へかかってきた電話を、国税庁のコールセンターで一括して取り扱う仕組みになっている。今年から始めた仕組みでもある。

先週半ばに、私もやってみたが、一日で電話相談50数件は結構なハードワークでした。やっぱり私にはデスクワークは向かない・・・相談そのものよりも、一日中室内にこもっていることが苦痛だった。じっとしているの、苦手なんです。

実のところ、この手の無料相談会等への応援は、従来国税局と税理士会との随意契約で行われていた。ところが、昨今官庁と民間との不透明な関係が問題となり、政府から公正な入札に切り替えろとの指示があり、現場は大騒ぎ。

たしかに、官庁と天下りOBの再就職先企業との不透明な関係は問題だ。不当に高い値段で契約が結ばれ、結果的に納税者である国民が不利益を被る。その意味で随意契約の撤廃には賛同できる。

しかし、確定申告の無料相談会は、税務行政への協力であり、税務行政を長年補完してきた公共的性格の強いものだ。国税局内部でも随分と議論があったようだが、時流の体勢には逆らえず、今年からは入札が実施されたと聞く。うろ覚えだが、東京では税理士協同組合が受注し、組合から税理士会が請け負う形になっているらしい。・・・まわりくどい話だ。

巨額な利益が見込める公共事業ならまだしも、利益など僅少(お小遣い程度)なボランティア的性格の強い無料相談会に入札を導入して、それが国民の利益になるのか私は大いに疑問です。

昨年以来「官製不況」と話題の建築審査の改悪に代表されるように、どうも政府のお偉いさんたち、おかしくなっているのではないかい?

知識だけはあり、答えの決まっている問題を解く手管に長けた頭でっかちの世間知らずが、世の中を理想的に動かそうと目指して、上手くいかない典型のような感に耐えません。

私は政治とは、支配することであり、人を動かすことだと考えています。どうも最近の政治家なり、キャリア官僚なりは、人を動かす智恵に欠けている気がします。いくら勉強して、マニュアル化しても、思い通りに動かないのが人間。過保護に育てられ、人間関係の苦労を避けて育った弊害にも思えます。

建前が横行すると、本音が押し隠されて、却って現実を歪めることになるものです。いや、本当にマズイと、私はけっこう心配しています。この手の悪い予感は、なぜかけっこう当たるからなあ~
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「酎ハイれもん」 しのはら勉

2008-02-14 12:19:27 | 
はじめて飲んだお酒はウィスキーだった。

あれは小学校6年の移動教室のバスのなかでの出来事だった。当時、私は車が苦手だった。どうしても車酔いしてしまうからだ。移動教室は行きたいが、車のなかで吐くのは容易に予想できたので、その不安を先生にこぼした。

すると先生は、酔い止めのクスリと称して、サントリーのダルマを取り出して、金属性のキャップにウィスキーを注ぎ、私に飲むように言った。

初めて飲む洋酒は、琥珀色の液体で、ツンとした香りが怪しかった。が、勇気を奮って一気に飲み干した。味は思い出せないが、のど元が焼けるような記憶が残っている。

1時間以上バスに乗れば、必ず吐いていた私だが、クスリ(ウィスキーだが)が効いたのか、車酔いもせずに日光までの道中を無事こなした。

今にして思えば、心理的なものだと思うが、以来ウィスキーを特別な酒だと思い込むようになった。素行が悪く、タバコより先にシンナーを吸ったぐらい(すぐ止めた)の私だが、不思議と酒は好まなかった。どうも、酔い止めのクスリだと頭にインプットしてしまったので、気軽に酒を飲む気持ちになれなかったからだ。

多分、本能的に酒(アルコール)に弱いことを感じ取っていたのだとも思う。実際今でも、酒そのものを美味いと思うことは少ない。でも不味い酒は、すぐ分るから不思議。

ただし、酒を嫌いなわけではない。私にとっては、酒は食事を美味しくいただくために飲む。寿司なら日本茶でもいいが、やはりウーロン茶では物足りない。フレンチやイタリアンなら、やはりワインがイイと思う。ただし貝料理だけは、日本酒がいい。貝とワインの組み合わせは、どうも好きになれない。

日本酒はそれほど好きではない。むしろ焼酎がイイ。お湯割りでも、ロックでもいい。一番好きなのは、やはり酎ハイだ。

酎ハイの味を覚えたのは、高校生の頃だ。放課後、友達と連れ立って下北沢へ行き、パチンコで稼いだり、負けたりして財布に余裕があれば、安い居酒屋に駆け込んだ。一人1000円から1500円程度で飲むので、どうしても安い酒を選ばざるえない。当時は今より焼酎が安く、それをサワーで割ってレモンを浮かべた酎ハイ・レモンがお気に入りだった。

以来20数年、いまだに酎ハイが好きだ。昨今流行のグレープフルーツ割りも美味しいと思うし、ライム割りもけっこう好き。でもやはり、最後はレモンに戻るかな。一番さっぱりしている。なによりも後に引かないのがいい。

表題の漫画は、日本版ポパイとでも称すべき破天荒な刑事が主人公。ラグビーで鍛え上げた巨体と、溢れんばかりのヴァイタリティで大暴れした後、やり切れぬ想いを酎ハイで飲み干し、一日を終える場面が好印象。たしかに、一仕事終えた後の一杯は美味しいものです。もっとも、あれだけ暴れれば、始末書の提出に追われるのだろうなと、妙な心配してしまう。

ちなみに、酎ハイ5杯一度に頼んだことはない。いや、ちまちま注文するのが嫌で、いきなりウーロンハイ5杯頼む友人がいるもんで・・・
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プロレスってさ ビック・バン・ベイダー

2008-02-13 12:33:02 | スポーツ
厄介なことに、世の中には素で喧嘩に強い奴がいる。

分厚い胸板、がっしりとした肩、頑丈そうな顎。そしてなによりも他人を威嚇する、その強烈な目線。若いときから、殴り合いには負けたことがないって顔をしている。

このタイプとの喧嘩は、出来るなら避けたい。だが、やむを得ずやり合う時は、負け方に注意して戦う。この手の輩は力のぶつかり合いを好む一方、テクニカルな戦い方を厭う。どうせ勝てないのなら、相手に好まれる負け方をしたほうが、後々が楽だ。

力負けすることを承知の上で、真正面からぶつかる。当然、あっという間に殴り倒される。力一杯殴りつけて、それが当たれば結構気持ちいいものだ。逆に当たらないと、イライラするのが人間の性。勝てる技術を持っているならともかく、下手に逃げ回り、不興を買うと、それこそ大怪我しかねない。

気合で相手の拳を額か、肩や胸といった肉の厚い部分で受ける。倒れても、可能な限り立ち上がり、それなりの根性をみせておく。おでこは腫れ上がり、殴られた箇所はギシギシと痛む。そこまで頑張れば、後は負けをどう宣するかどうかだけだ。

十代の頃、この手の負け喧嘩を二度ほどしているが、いずれも負けた後はすっきりと終わっている。むしろ「あいつは根性ある」と好まれたかもしれない。少なくとも、後々まで尾をひくことはなかった。友達になったとは言わないが、認められたとは思っていた。たいして喧嘩の強くない私の、ささやかな処世術でもある。

プロレスラーにも、時々このタイプがいる。その一人がビック・バン・ベイダーだ。80年代後半、お笑い倹lのビートたけしがプロレス業界に片足突っ込んだことがある。その時アメリカから連れてきたのが、このベイダーだった。

スターウォーズを意識したかのようなコスチュームが、真面目なプロレス・ファンから反感を買ったが、その実力は本物だった。本名はレオン・ホワイト。アメリカンプロフットボールの選手で、サンフランシスコのプロチームでレギュラーだった巨漢選手だ。当然に運動選手として際立った身体能力を持っていたが、膝の故障からアメフトを諦めてのプロレス入りだった。

しかし、私の観たベイダーは、アメフト出身というより、喧嘩好きの大男であった。アメリカ人らしく、ボクシングやアマレスの素養はあったと思うが、なによりも殴り合いが得意だった。なにせ身長190センチ、体重160キロの巨漢だ。腹がボンと突き出た肥満型の巨漢だが、ぶっとい腕、分厚い胸板、鋭い眼光が目に焼きついた。

正直言って、プロレスは下手だった。なにより手加減が下手。桁外れの怪力だけに、対戦相手を怪我させたことも少なくない。新日本プロレスの看板選手であった藤波などは、このベイダーに大怪我を負わされ一年ちかくリタイアを余儀なくされている。藤波といえば、受身の名人だが、たまたましくじったらしい。

もっとも小柄ながら正面からぶつかってきた藤波を、ベイダーは高く評価していたことが引退後のインタビューで分った。だったら、もう少し手加減してやれよと言いたくなる。それが出来ないから、アメリカではけっこう干されていたはずだ。

このプロレスは下手だが、喧嘩は強かったベイダーが、日本で見せた最高の試合、いや殴り合いが東京ドームでのスタン・ハンセン戦だった。外人選手同士の試合ではあったが、互いに遠慮はなかった。いや、むしろ自分こそがNo1だとのプライドがぶつかり合ったため、凄まじい殴り合いになってしまった。

試合中にドームのオーロラビジョンに映し出されたベイダーの顔に、満員の観客がどよめいた。片目がつぶれていた。頭蓋骨骨折による眼底陥没だった。それなのに、延々とハンセンと殴り合っている。背筋が凍りついたかのような衝撃だった。たしか、この試合は無効試合だったと思う。レフリーはもちろん、他の選手も必死に止めに入る凄まじい試合だった。

嗚呼、間違ってもこんな奴と喧嘩なんざ、したくないものだと痛感したものです。観ているだけなら、大興奮で歓迎なのですがね。
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「人狼の四季」 スティーブン・キング

2008-02-12 12:24:37 | 
この人がいなかったら、これほどホラー小説やホラー映画が一般的な人気をえることはなかったと思う。

もちろん、ドラキュラのような怪物や、四谷怪談のようなお化けをを取り上げた作品は、19世紀以前から数多く存在した。それなりに売れていたと思うが、やはりどこか「くだらないもの」的印象は否めないと思う。

キングだって、最初の頃はこの蔑視から逃れることは出来なかった。しかし、読んでみれば分るように、キングのホラー小説はどこかが違った。簡単に言えば、物語として優れていた。

ホラー小説が恐怖場面に力を入れるのは当然だ。しかし、キングは登場人物のキャラクター造型から、作品の舞台となる場所の設定に至るまで細部に気を配った。読者の共感を呼び起こすに足りうる場面を必ず設定した。読者を作品に引き込ませる文章力があった。そこが従来の古典派ホラー作家とは違った。

実際キングは、ホラーでない小説だって十二分に面白い。映画にもなった「スタンド・バイ・ミー」や「刑務所のリタ・ヘイワース」(映画名はショーシャンクの空に)は、普通の小説としても上出来だと思う。

アメリカに限らないが、子供の頃はスポーツが出来て、明るく活発で、ちょっぴり悪っぽい男の子が人気者だったりする。反面、内向的で大人しく、真面目で地味な子供はわりを食う。少年時代のキングは、間違いなく後者であったと思う。

明るい笑い声が響く放課後の教室の一角から少し離れて、静かに微笑みながら、積極的に加わる勇気はない少年の姿を思い描くことが出来そうだ。もしかしたら、苛められたり疎外されたこともあったかもしれない。でも、一人ではなかったと思う。友達が寄り添う幸せを知っている少年であったことは、その作品からもうかがい知れる。

感受性の高かったキングは、空想力豊かな子供だったのだろう。その観察眼と想像力が希代のホラー作家スティーブン・キングを生み出したのだと思う。

そして幸運な作家でもある。他のホラー作家たち、マキャモンやクーンツは決してキングに劣らない作品をいくつも書いている。しかし、その作品が映画化されると、原作の素晴らしさは失われ、良くてB級ホラー、たいがいが駄作映画に終わる。

ところがキングの作品の映画化は成功例ばかり。ハリウッドの女神が、キングをえこひいきしているのかと思いたくなる。既に十分に稼いだキングだが、まだまだ創作意欲は衰えることを知らない。多分、これからも名作を世に輩出し続けてくれると思う。

ちなみに表題の作は、長い間幻の作品として知られた短編です。無理に読む必要はないと思いますが、イラストとのコラボレーションが素晴らしい珍品でもあります。アメリカの本は、表紙を除けばあまりイラストに力を入れないのが通例ですが、この作品は例外というか、わざわざイラストを豊富に入れて構成されています。

私は長いこと、探していたのですが、先日古本屋で発見。嬉しさあまって、ここに書いている次第。まあ、ファン限定の楽しさですがね。
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「アウト・ロー」 コウノコウジ

2008-02-08 15:01:56 | 
自分で言うのもなんだが、これだけ本や漫画を読んでいると、出だしの展開だけで、ある程度その後が予測がつく作品は珍しくない。

それは致し方ないことでもある。やはり世の中には、王道というか定番といっていい道筋があるものだ。あまりに奇をてらった物語は、むしろ説得力に欠ける。ただ、マンネリに陥らないためには、物語の展開に技巧を凝らす必要がある。

表題の漫画は、週刊ヤング・マガジンに連載されていた。同業者からも嫌われるほどのやり手の青年ヤクザである主人公が、やりすぎて破門され、どん底に落とされる。復帰の条件として突きつけられたのは、組長の孫が投手を務める少年野球チームを日本一にすること。

こんな出だしで始まった漫画だけに、その後の展開が読めてしまい、私としては興味を失し、見過ごしていた漫画でもある。駄目チームを再建して、勝利を重ねる場面なんぞ、完全に読み飛ばしていた。ところが、物語が終盤に差し鰍ゥると、事態は急変する。昨今流行(いいのか?)の児童虐待が物語を急転させる。

ほうっ!と意外な展開に目を見張るが、その後の展開も予想できた。できたけど・・・目を離せなくなった。こんな展開なら、素直にのせられてもいいと思った。概ね、予想の範囲内で終わったが、失望することはなかった。

私は体罰には否定的ではないが、児童虐待はべつものだと思う。悪いことをしたら罰せられることを教える意味での体罰と異なり、虐待は概ねそれをする側の嗜虐性を満足させることが目的だ。自らの歪んだ性癖を、か弱い子供を使って満足させる卑劣な行為だ。

私は児童虐待の経験はないし、みたこともない。ただ、弱いものをいたぶることで悦楽を感じる嗜虐性の強い人間なら、過去に何人か知っている。断言します、こいつら口で言っても絶対直らない。口先で反省の素振りはみせても、同じ事を何度となく繰り返します。

だからこそ、この漫画のストーリー展開に納得できたのです。暴力は万能ではなく、むしろ拡散し反復する性向があるのはたしかですが、戦うべき時に戦わないのは、むしろ卑怯であり却って物事を悪くさせるものです。暴力を賛美する気はありませんが、必要悪だと信じています。

人間が人間である限り、暴力はなくならないし、必要悪であり続けるでしょう。目をつぶってはいけないと思います。
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