ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「だから私は嫌われる」 北野武

2008-02-07 12:38:28 | 
本当にビートたけしは嫌われているのか?

実際には、世間からかなり好かれている芸人であることは、皆さんよくご存知だと思う。実に頭の良い芸人さんだと思う。人々が体面を気遣って言わないことや、良識を気取っているが故に口に出せないことを、毒舌と笑いに混ぜて口に出す。

芸人という職業は、お金を払ってくれるお客様やスポンサーを大事にしなければならない。ビートたけしは、そのことを承知の上で、本当に嫌われる境界線の少し脇で活躍する。だからこそ、今日まで人気を保てるのだと思う。

多分、ビートたけしの本音はTVではなく、映画にこそ出ていると思う。彼が決して口にはしない本音は、自らが監督を務める映画にだけ込めていると思うのは、私の思い込みだろうか。

実のところ、嫌われ役というのは、案外必要とされる役どころでもある。私自身、時としては嫌われ役を買って出ることも、ままある。けっこう難しい役どころだ。

いくら正しくとも、本当に嫌われるような言動は、むしろ事態を混乱させる。正しさというものは、概ね人を傷つける。だからこそ難しい。私の場合だと、自分一人の頑張りでは力量不足だと自覚しているので、必ず協力者がいる形で嫌われ役を演じる。

私が嫌われるような正論をぬけぬけと述べ、周囲を沈黙に追いやり、うつむかせてしまった後で、フォローしてくれる人材が必要不可欠だ。私が立ち去った後で、このフォロー役が周囲を気遣い、慰め励まし、場を納めてくれる。

信頼できるフォロー役が居る限り、私はいくらでも嫌われ役が出来る。いや、このフォロー役がいるからこそ、私は嫌がられる正論を吐ける。私一人では、単に嫌われ憎まれるだけで終わったと思う。

友達と言うものは、ありがたいものだと思う。私のいないところで、奮闘してくれるこの友達あっての私の人生なのだと思う。人は一人では、やれること、出来ることは限られる。でも力を合わせれば、沢山のことができる。一人では出来ないことも出来る。

私の唯一の心配は、私が気がつかないところで、奮闘してくれる友達に気がつかないことだ。白状すると、過去に何度か気がつかずに見過ごしたことがあったようだ。本当に申し訳なく思う。いつまでも気がつかないままでは、本当に嫌われ者になっても致し方ないと思う。

それは避けたい。だって、そりゃじゃあ人生ツマラナイもの。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親鸞和尚に八つ当たり

2008-02-06 17:29:52 | 社会・政治・一般
高校の日本史の教科書だったと思う。親鸞の項目に、南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽浄土に迎えられると唱えて信者の数を増やしたとの記述に驚き呆れた。そんな馬鹿な話があるかと憤慨したくらいだ。

そりゃ、農民は忙しく、悠長に修行なんぞ出来るわけないのは分る。分るけど、短い念仏唱えるだけでいいなんて、あまりに安易すぎると考えた。胡散臭いとさえ思ったぐらいだ。

しかし、今にして思うと、私の思慮不足だったのだろう。

幼少時から素行の悪かった私は母に連れられて、キリスト教会の集まりに参加するようになった。そこで私が教わったのが、一日の終わりに、神に対してその日あった悪い行いを自白することだった。

寝る前に、寝転んだまま目をつぶり、神を思い浮かべて祈ったものだ。「神様ゴメンナサイ。今日は校門のそばの自転車を全部ぶったおしました。」とか「むかついたので、前の席の奴の首をしめて、廊下に引きずり出して泣かせました。神様もうしませんから許してください」などと神妙に反省したものだ。

なんたって神様に詫び入れているのだから、先公やマッポには謝る必要はないと、自分に都合よく解釈していたのはともかく、悪いことは悪いと自覚していたのは事実だ。これが案外重要な意味をもっていた。

私は思いもかけず、中2の終わりには真面目に生きていかざるえなくなった。もう悪いことは出来ないと自覚を強めた。そして、あっという間に真面目な学生に変身した。これが出来たのも、今にして思えば子供の頃から「悪いことは悪い」と自覚していたからではないか。

神でも仏でもいいが、絶対者の前での全面的な服従は、人間を迷いや悩みから救済する効用があるらしい。してみると、親鸞の教える念仏仏教も、それなりに人々の救済にはなったのだろう。小難しく言うと、他力本願というらしい。

ただね、あの世での救済を約する宗教における行動規範を現実社会に当てはめてもらっては困る。南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土にいけるかもしれない。しかし、憲法9条と唱えても、永久なる平和は訪れない。

普通に常識で考えれば、平和を守るためには軍隊が必要だし、軍事条約や諜報機関も必要となる。日頃から実効性のある外交関係を築く努力あってこそ、平和は保たれると考えるはずだ。

それなのに、祈れば平和は保たれると信じ込む平和真理教徒の横行は頭が痛い。親鸞和尚の意図することとは異なることは承知しているが、それでも愚痴の一つや二つ言いたくなる。

浄土真宗とは直接は関係ないでしょうが、日本人の少なからぬ人々が、いわゆる護憲論を良いことだと思う背景には、念仏仏教の影響があるのではないかと勘ぐりたくなる。具体的な根拠のない邪推だとは思いますが、あの頑迷さにはほとほと呆れます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特定口座での株式売買

2008-02-05 12:23:38 | 経済・金融・税制
上場株式の売買に関する税金の計算は簡単だ。

売却収入マイナス(購入原価プラス手数料)で計算された売却利益に10%(国税7%地方税3%)を乗じて税金は計算される。ただし、平成21年からは20%(国税15%地方税5%)に増税(正確には元に戻るだけだが)される予定だ。

ただ、売買を頻繁に繰り返す人は、一年後に確定申告が面棟Lいので、特定口座を利用する場合、源泉徴収制度を活用することが多いと思う。これだと証券会社で税金を計算してくれる上に、納付までやってくれる。実にありがたい制度だ。

本当かい?

私の知っている投資家は、この便利な源泉徴収制度を使わない。一年間の売買損益を合計して、その利益に税率をかけて税金を計算して、確定申告の時に自分で納付する。なぜか?

まず、源泉徴収されると、投資に活用できる資金が減ってしまう。所得税は一年間のトータルの売買損益にかかるのだから、年の中途で税金を引かれてしまうと、それは税金の前払いに過ぎず、むしろ投資額を減らしていまうデメリットがある。

確定申告が面倒臭いというが、たいした手間ではないし、他の所得の申告と合わせて税理士に頼むので面倒はない。第一、株の売買情報は、証券会社が「年間取引報告書」を作成してくれるので、まったく簡単なものだ。

この話を聞いた時、私は感心してしまった。私ら税理士にとっては、確定申告書の作成は難しくはない。株の売買損益の計算は、基本的には証券会社が作成する報告書を転記するだけ。申告書の作成事務の手間が少し増えるだけだ。税金の納付は振替納税を使えば4月まで延長できる。住民税が6月以降なのを忘れなければ、一年間ふるに資金を活用しているその投資家は、源泉徴収を選んで楽をしている他の投資家より、より多くの金額を投資に活用できるわけだ。

源泉徴収制度とは、国家にとってみれば税金の取りっぱぐれを防ぐ賢明な手段だ。また納税者に納税の痛みを知らせない、狡猾な制度だともいえる。自分で税金を納める個人事業者に比べると、給与を貰っているサラリーマンやOLはあまり選挙に行かない。税を納める痛みを知らないので、税の使い道にも無頓着だからだ。

平成に入り、消費税導入に伴い税を払わされる痛みを知ったサラリーマンたちが政府にNOをつきつけたのが、結果的に自民党の与党支配を中断させた。この失敗を噛み締めた政府は、以来源泉徴収や税込み経理(消費税)をフルに活用するようになった。

私は日本の選挙の投票率が低い要因の一つに、この源泉徴収制度があると考えている。ちなみに、昨年一年間に自分の納めた所得税、住民税がいくらだか覚えていますか?預金下ろして、納めに行った人ならきっと覚えていると思いますが、サラリーマンやOLさんは、多分答えられないと思う。これじゃあ、政治への関心が薄くても仕方ないわな。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポケットモンスター (原案 田尻智)

2008-02-04 12:32:27 | 日記
世界中の子供たちに大人気のャPットモンスター。

予め断っておきますと、私はゲームのポケモンをやったことはありません。漫画もアニメも観ていません。ピカチュー以外のキャラもさっぱり分りません。

でも、このゲームの原作者のことなら、いささか覚えているのです。1980年代後半、丁度私が長期の自宅療養をしていた頃でした。当時は任天堂のファミリーコンピューターが大人気。暇にまかせてやってみたら、案外面白くRPGゲームを中心に熱心にやっていました。

ただ、当時のゲームはバランスが悪く、ゲーム攻略本や専門雑誌などを見ないと、なかなか攻略できません。そこで私はゲーム攻略の糸口を求めて「ファミコン必勝本」や「ファミ通」などに目を通していました。これらの雑誌には、読者の投稿欄があり、ャPモンの原作者である田尻氏もよく投稿しては採用されていました。

当時、田尻氏は学生だったと思いますが、ファミコンに対する熱意、愛情、情熱が感じ取れる投稿が私は好きでした。田尻という名前が個性的だったせいもありますが、ゲームに対する独特の姿勢が印象的だったからこそ、記憶に残ったのだと思います。その後は、ファミコン雑誌にゲームライターとして活躍することになります。

しかし、ゲームのプレイヤーとしての受身の立場より、自ら企画立案してゲームを作りたいとの想いが募り、ついに自作のゲーム「クインティ」をナムコに持ち込むに至ります。

そのアイディアは本当にゲームとして実現して、実際に発売されました。たしか、ゲームキャラがパネルの上を歩くと、そのパネルがひっくり返り、様々なハプニングが起こるといったゲームでした。ちょっと変わったパズルゲームだったと思います。ゲーム評論家筋の評判は良かったのですが、営業的にはそこそこ(20万本ぐらいかな)だったと記憶しています。

その後、田尻氏は本格的にゲームデザイナーを志向したようで、様々なゲームの企画立案に携わり、その最大のヒット作がポケットモンスターでした。私自身はほとんど分らないのですが、子供たちでポケモンを知らない子はまずいないようです。最初のポケモンゲームが発売されてから、10年以上の月日がたっているにもかかわらず、今もベストセラーであり続けることには、驚きを隠せません。

最初はただのファミコン好きのゲーマー。やがてそのユニークな意見が業界から注目を集め、今度は作り手の側にまわって大ヒット作を生み出す。まさに平成のドリームなのでしょうね。

かつて日本人は、ハードを作り出すのは得意だが、ソフトは苦手と言われてきました。どうして、どうして。漫画、アニメ、ゲームと世界に通じる立派なソフトを生み出す才幹を有していたわけです。しかも、政府のお役人や教育関係者が蔑む分野でこそ、このような才能が輩出されることが、実に興味深いと思います。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喝采 ちあきなおみ

2008-02-01 17:33:03 | 日記
喝采


吉田 旺 作詞
中村泰士 作曲


いつものように 幕があき
恋の歌うたう私に 届いた報せは
黒いふちどりが ありました
あれは三年前 止めるあなた駅に残し
動きはじめた汽車に ひとり飛び乗った
ひなびた町の 昼さがり
教会の前に たたずみ
喪服の わたしは
祈る言葉さえ 失くしてた


つたがからまる 白い壁
細いかげ長く落として ひとりの私は
こぼす涙さえ 忘れてた
暗い待合室 話すひともない私の
耳に私の歌が 通りすぎてゆく
いつものように 幕があく
降りそそぐライトの その中
それでも わたしは
今日も恋の歌 うたってる


先週末、仕事で疲れた身体を湯船で休め、風呂上りに何気につけたTVから流れてきたのが、ちあきなおみの「喝采」だった。

驚いた。知っている歌ではあるが、歌詞をじっくり読んだことはなかった。こんな哀しい歌だとは知らなかった。「報せは、黒いふちどり・・・」子供の頃に聴いていた時は、その意味を考えていなかった。TV画面のテロップで流れる歌詞を読み、初めてその意味を知った。

わたしは昔読んだ本の再読を楽しみにしている。子供の頃あるいは十代の頃に読んだ時とは違う感慨を味わいたくて、わざわざ探し出して本の再読をしている。子供の頃は分らなかったこと、人生を積み重ねてこそ分ることって、確かにあると思う。若い頃、何気なく聴いていた歌にも、それはあるようだ。

長い人生のなか、誰もが一度や二度、制止を振り切って我が道を進んだことはあろうと思う。心の奥底に後悔を押し隠し、日々の暮らしを忙しなく過ごすうちに、その後悔は忘れてしまう。でも、突然の報せが、押し隠していた後悔を浮かび上がらせる。

もしかしたら、そんな日が近い将来訪れるかもしれない。それでも、それでも私は自分が選んだ道を進んでいくしかないのだろう。そんな予感を感じさせた週末でした。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする