ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

国労組合員への賠償判決に思うこと

2009-04-15 06:48:00 | 社会・政治・一般
先月末のことだが、旧・国鉄の労働組合の一つである国労の組合員が、不採用を理由にJRを訴えた裁判の判決が出た。

裁判長は組合員の主張を一部認めて、慰謝料の支払いを決定した。ただし、復職については認めなかった。まあ、なんというか、間をとって分けたような判決に、私は苦笑せざるえなかった。

たしかに国鉄が分割民営化された際、国労や動労などの組合員が区別(彼らは差別と呼ぶが)され、JRに採用されなかったことは事実だ。それを不当だと訴えての裁判は数多く起された。

だけど思い出して欲しい。分割民営化されたあの頃、国民の多くはむしろ国鉄側に同情的で、解雇には肯定的な雰囲気さえあったことを。

あの頃の国鉄は酷かった。とくに酷かったのが、労働組合の横暴ぶりにあった。ストライキの頻発で苦しんだ国鉄利用者を尻目に、ひたすら自分たちの権利ばかりを主張する労働組合に辟易した人は多かった。

だからこそ、分割民営化は国民から支持された。多額の借金を抱えて、事実上の会社更生の扱いを受けてJRとして再生されたことを忘れてはならない。郵便局の分割民営化と異なり、利用者から支持されての分割民営化であった。

もちろん国鉄が経営危機に陥ったのは労働組合だけが原因ではない。自らの選挙区に採算性も考えずに路線を引かせた政治家どもの横槍もたしかにあった。国営企業ゆえのどんぶり勘定で、経営の効率化など論外の無駄が横行していたことも間違いない。

だが、国鉄利用者にとってなにより不快に思えたのが、徒に労働者の権利ばかりを主張して、仕事をさぼる国鉄労働組合員たちの怠惰ぶりであった。

勤務中の飲食、入浴、早退、遅刻を既得権として乱用し、社会主義の主張に基づく政治活動に熱を入れる有様は、まともな労働者とはとても思えなかった。

もちろん真面目な国鉄職員だって多数いた。別に具体的なデーターに基づくわけではないが、現在のJRよりも鉄道運行はしっかりしていた印象がある。つまらぬ故障からのダイヤの混乱は、今のほうがよっぽど多いと思う。その原因がいわゆるヒューマン・エラーと呼ばれる人為的なケアミズにあることを思えば、やはり当時の国鉄職員の職能は高かったのだと思う。

しかし、それに反比例するが如く、労働組合の専横ぶりはヒドイの一言に尽きる。彼らはそれを認めようとしなかったが、結果的に労働組合を母体とした社会党や民社党の衰退が、それを証明することとなった。

あれから20年以上たって、ようやく下された判決。国労の組合員であるがゆえにJRに採用されず、職を失った怒りと失望に同情するのは如何なものか。その原因の部分を無視して、結果だけ報じるのは、いささか適切ではないと思う。
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どんぐりと山猫 宮沢賢治

2009-04-14 18:58:00 | 
当たり前の話だが、内閣総理大臣は日本の政界で一番偉い。

青雲の志をもって国会の赤じゅうたんを踏んだ以上、その志を実現する手段として、内閣総理大臣を目指すのは当然だ。日本政府の最高責任者として、自らの意志で夢を政策として実現することこそ、政治家の王道であろう。

その意味で、万年野党であることは恥でもある。議会政治のもとでは、健全たる野党の存在は必要不可欠なのは確かだが、野党の立場で出来るのは、せいぜい政治の健全さを看視する程度でしかない。

だからこそ、私は政治家が最高権力を目指すことは当然だと思うし、それを揶揄する安易さには逃げたくない。ただ、まあ、この状況下ではちょっとぐらいからかいたくなる気持ちも出ようってもんだ。

そんな時、思い出されるのが表題の作品。先週末に取り上げた宮沢賢治の短編集「注文の多い料理店」の巻頭を飾る作品だ。

大きいドングリが一番偉い、いや、丸いドングリが一番だ。いやいや、背の高いドングリだと議論がまとまらぬ現状に困った山猫が、人間のイチローを呼んで助言を求めた。

イチローは「一番バカで、めちゃめちゃで、なってなくて、でこぼこのドングリが一番偉い」と言ったところ、それまで騒いでいたドングリは沈黙して争いは収まりましたとさ。

この宮沢賢治の叡智にならって、一番金儲けが上手く、嘘をついても欲しいものを手に入れ、ヤクザを使いこなし、悪辣な手腕を持つものを首相にする」とでもしたら如何か。

これじゃ、首相のなり手がいないと心配なら特典をつければいい。首相の間は、どんなに脱税しようと、あるいは商法違反をしようと、はたまた証券取引法違反をしようと罪は問わない。ただし、その不正はすべて公開されるが、それに我慢できるなら免税、免罪だと。

え?そんなこと、とっくにやっているって。そりゃ、気づきませんで失礼しました。なにせマスコミ様が教えてくれないもんでね。
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厚生労働省の未練

2009-04-13 09:14:00 | 社会・政治・一般
御用学者と呼ばれる人たちがいる。

この人たちの発言には、不快にさせられることが多いが、反面その裏にある政府(というか官僚)の本音が透けて見えて興味深い。

私が先月書いたように、医者のレセプト請求のオンライン化が事実上骨抜きにされた。IT化に対応できない高齢の医師が多いことを思えば、当然のことだと思う。とりわけ過疎地の医療を支える医師たちに必要なのはITではない。

すると新聞に大田弘子というどこぞの大学教授の意見が掲載されていた。要旨としては、レセプト請求のオンライン化は是非とも進めるべきだ。レセプトの不正請求を防ぎ、医療費の無駄遣いを減らすオンライン化は断固推し進めるべきだとのことである。

別に意見を出すのは良いが、厚生労働省の元々の主張をなぞっただけの意見で、さしたる新味はない。むしろ、その背後にあるであろう厚生労働省の役人たちの意識が垣間見えることが興味深い。

一見まともに思える意見だが、実のところ現場を知っている身からすれば、現場知らずを露呈している程度の意見に過ぎない。

まずレセプトの不正請求はオンライン化しようとしまいと、今後もなくならない。これは現場の医師の倫理観の問題でもある。また保険点数の歪みを放置している以上、医師はどこかで帳尻を合わせようとするから、無くなるわけがない。

個々の診療に点数をつけるのはいいが、診療は平均的なものばかりでない以上、やはり無理がある。これは致し方ないことでもあるが、あまりに画一的すぎると感じている医者は少なくない。

ただし明らかに過剰に不正なレセプト請求もあるのは確かだ。でも、オンライン化でも無くなるわけがない。人間の悪知恵は尽きること無い。だからこそ、審査が必要なのだ。オンライン化したって審査がなくなるわけじゃない。

それと根本的な勘違いが、オンライン化によるコスト削減だ。私の知る限り、IT設備とオンライン化はどちらかといえば、コストを増加させる。ITソフトの維持費用はともかく、プリンターのトナーは高額であり、なにより紙の使用量を増加させる。

面白いことに、IT化を導入して画面上に情報が表示されるにも関らず、それをプリントアウトする人が圧倒的に多い。しかも、安易にそれをやるため、結果的に紙の使用量が増大する。これはなにより製紙業界の出荷量増大が証明している。IT化は必ずしもコスト削減にはならない。

ただし、数値情報の整理には非常に有効なのも事実。このありがたみは、私自身痛感している。いまさらPC抜きで仕事をする気にはなれないほどだ。

つまるところレセプトのオンライン請求では、データーの入力という面倒な作業を民間の医院に押し付け、役所としてはそのデーターを分析するだけでいいという意味での医療費の無駄遣い減らしが本音であろう。

保険点数の減額と、患者数の減少で収入を減らしつつある医師にコストを負担させようと目論んだレセプト請求のオンライン化が医師から反発を受けるのは当然なのだ。

いずれにせよ、オンライン化は強行すれば、地方の過疎地の医療は崩壊する可能性が高い。会計帳簿でさえ手書きの個人医院に、今更コンピューター導入なんて無理なことは、地方の高齢者を顧客に持つ私には自明のことだ。レセプト請求をすべてオンライン化すれば、それに対応できない高齢な医師は廃業せざるえない。

その責任をとる気は、厚生労働省にはあるまい。現場を知らぬデスクワーカーの知恵には限界がある。一度快適なオフィスを出て、過疎地の医療の現場で働いてみろ。そうすりゃ、少しは自分たちの愚かさが分ろうってもんだ。

ま、それでも彼ら官僚は失敗を認めないと思うけどね。それを許している有権者も悪いのだけれどさ。
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注文の多い料理店 宮沢賢治

2009-04-10 17:01:00 | 
自然は美しいばかりではない。

東京生まれの東京育ちだが、比較的緑の多いところで幼少期を過ごしたので、野山で遊ぶのが好きだった。ただ、緑が多いといっても所詮、住宅開発に取り残された緑にすぎず、本来の野山とは程遠いと思っていた。

だから、時折東京西部の高尾山に遊びに行くことがあった。多分、小学校の時には十数回登っているはずだ。標高は600メートル足らずであり、ケーブルーが途中まで開通している上に、登山道は舗装さえされている。サンダルは無理でも、普段履いている靴で十分登れる山だ。

ちなみに現在は、外国からの旅行者が立ち寄る観光名所となっているらしい。ちょっと不思議な気分だが、山麓には個性的な蕎麦店が立ち並び、登山の準備がなくても登れることが、海外の観光客を惹きつけるらしい。

子供の頃の私は、この高尾山に何度となくやってきたが、実のところ山頂まで行ったのは3回くらいだ。なぜかというと、虫取りが目的だったからだ。

登山道をはずれ、森深く分け入ると、カブトムシやクワガタが大好きな樹液を垂らしたクヌギの木や、楢、ブナ、椎の木などがある秘密の場所があった。ここはカブスカウトの仲間から教わった場所だった。

今にして思うと危ないことだが、当時の私は地図を読む技術など持ち合わせていなかった。しかし、踏み跡を見分ける目や、匂いをかぐ能力は大人の頃よりあったと思う。

案内図もなにもない山裾の森の奥深くに、記憶と感覚を頼りに分け入る無鉄砲な子供が私たちであった。

あれは忘れもしない8月の終わりの頃だった。その年はまだ一度もオオクワガタが採れず、悔しい思いを抱えて夏休み最後の冒険気分で高尾山を訪れた。

目当てのクヌギの木には、待望のオオクワガタが樹液を吸っているのを発見したが、困ったことにそばにスズメバチがいて近寄れない。この蜂の怖さは知っていたので、スズメバチが飛び去るまで我慢していたら夕暮れ時になってしまった。

こんな薄暗い時間まで森の中に居たのは初めての経験だった。ようやく捕まえたオオクワガタを入れた籠をナップザックにしまい込み、いざ戻らんとすると森の様子が一変していた。

昼間は薄暗くとも、日差しが差し込み、開放的な雰囲気だったのだが、日が沈み闇が深くなった森は、いつのまにやら笑顔を消して、冷たい視線を私たちにそそいでいた。

踏み跡を急いでたどりながら、昼間とは異なる雰囲気に私たちはのまれていた。何故だか分らないが、ここに居てはいけない気分にさせられた。追い立てられるような感じになって、自然と足は駆け足になる。木の根に足をひっかけ、何度も何度も転んだが、痛みを感じる余裕さえなく、必死で逃げ出した。

だから高尾山の自然管理小屋の明かりが見えたときは、思わず座り込んでしまった。小屋の裏を抜けて、整備された登山道に出ると運悪く、小屋の人に見つかってしまった。当然に叱られた。

叱られはしたが、無事に戻れた安堵感のほうが強く、笑顔さえ浮かぶ始末だった。おかげで説教が長引いた。

解放され、駅にむけて歩き出す前に振り返ると、森の薄暗さが不気味であることを思い出し、ちょっと身震いした。やっぱり山は怖い。そのことを実感した夏の一日だった。

もしあの時、山のなかに注文の多い料理店があったら、間違いなく足を踏み入れたと思う。で、食べられちゃう。

その夏の宿題の課題図書のなかに宮沢賢治の「注文の多い料理店」があったのは偶然だと思うが、帰路の電車のなかで友達との話のネタになり、えらく盛り上がった。俺は塩よりマヨネーズを塗ったほうがいいとか、茹でるより蒸したほうが美味いはずだなどとバカ話をしていた。

でも、電車を降りての別れ際、やっぱり夜の山は怖いから、気をつけようと言ったら、真剣に頷き合った。やっぱりみんな、怖かったのだな。
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あと、一勝だが

2009-04-09 17:00:00 | スポーツ
3月末のホームで、バーレーンを破り、ワールドカップ予選に王手をかけた岡田ジャパン。

どんなかたちであれ、勝ちは勝ち。残り3試合で一勝すれば出場は決定なのだから、それで善しとの意見は分る。少なくとも間違いじゃない。でも煮え切らない思いを抱くサッカーファンは多いと思う。

はっきり言って、日本代表は弱くなった。

理由はいろいろあるが、その一つに強化試合のレベル低下がある。4年前のジーコ監督の頃を思い出すと、試合相手のレベルの違いに愕然とする。ヨーロッパの相手のホームで、ポーランド、チェコ、イングランドと厳しい試合を重ねたジーコ・ジャパン。勝ちより負けが多かったが、選手たちの経験値は確実に上がり、代表の強化に役立ったことは間違いない。

しかし、岡田監督の下で、相手のホームで強い相手との試合を組んだことはない。すべて日本に招待しての試合ばかりが実情だ。これでは相手はなかなか本気を出してくれないし、当然日本代表の強化も限定的となる。

岡田監督が望んだわけではない。多分、日本サッカー協会に要望は出していると思う。しかし、残念ながら強豪国から相手にされていない。岡田監督では通じないのだ。

世界的な名選手であったジーコは、今も知名度は高く、ジーコの名であればこそヨーロッパの強豪国との試合も可能であった。事実、試合が終わると、ジーコには日本の選手を差し置いて、相手国のマスコミから取材殺到であった。マスコミばかりでなく、相手国の選手までもがジーコにサインを求める有様であった。

ジーコほどではないが、トルシェエにもオシムにも相応の知名度があり、試合相手に強豪国を選ぶことが出来た。しかし、世界的には無名の岡田監督では、それは望むべくも無い。もちろん、日本サッカー協会にも、それだけの人材はいない。これがサッカーの世界における日本の現状なのだ。

つまるところ、日本人の代表監督で世界に挑むのは30年、早いと思う。

残り3試合のうち、カタール、ウズベキスタンのどちらかで一勝すれば、南ア大会への出場は決まる。岡田監督の下でも可能だと思うが、このままでは本大会はおそらく予選落ちだと思う。
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