先月末のことだが、旧・国鉄の労働組合の一つである国労の組合員が、不採用を理由にJRを訴えた裁判の判決が出た。
裁判長は組合員の主張を一部認めて、慰謝料の支払いを決定した。ただし、復職については認めなかった。まあ、なんというか、間をとって分けたような判決に、私は苦笑せざるえなかった。
たしかに国鉄が分割民営化された際、国労や動労などの組合員が区別(彼らは差別と呼ぶが)され、JRに採用されなかったことは事実だ。それを不当だと訴えての裁判は数多く起された。
だけど思い出して欲しい。分割民営化されたあの頃、国民の多くはむしろ国鉄側に同情的で、解雇には肯定的な雰囲気さえあったことを。
あの頃の国鉄は酷かった。とくに酷かったのが、労働組合の横暴ぶりにあった。ストライキの頻発で苦しんだ国鉄利用者を尻目に、ひたすら自分たちの権利ばかりを主張する労働組合に辟易した人は多かった。
だからこそ、分割民営化は国民から支持された。多額の借金を抱えて、事実上の会社更生の扱いを受けてJRとして再生されたことを忘れてはならない。郵便局の分割民営化と異なり、利用者から支持されての分割民営化であった。
もちろん国鉄が経営危機に陥ったのは労働組合だけが原因ではない。自らの選挙区に採算性も考えずに路線を引かせた政治家どもの横槍もたしかにあった。国営企業ゆえのどんぶり勘定で、経営の効率化など論外の無駄が横行していたことも間違いない。
だが、国鉄利用者にとってなにより不快に思えたのが、徒に労働者の権利ばかりを主張して、仕事をさぼる国鉄労働組合員たちの怠惰ぶりであった。
勤務中の飲食、入浴、早退、遅刻を既得権として乱用し、社会主義の主張に基づく政治活動に熱を入れる有様は、まともな労働者とはとても思えなかった。
もちろん真面目な国鉄職員だって多数いた。別に具体的なデーターに基づくわけではないが、現在のJRよりも鉄道運行はしっかりしていた印象がある。つまらぬ故障からのダイヤの混乱は、今のほうがよっぽど多いと思う。その原因がいわゆるヒューマン・エラーと呼ばれる人為的なケアミズにあることを思えば、やはり当時の国鉄職員の職能は高かったのだと思う。
しかし、それに反比例するが如く、労働組合の専横ぶりはヒドイの一言に尽きる。彼らはそれを認めようとしなかったが、結果的に労働組合を母体とした社会党や民社党の衰退が、それを証明することとなった。
あれから20年以上たって、ようやく下された判決。国労の組合員であるがゆえにJRに採用されず、職を失った怒りと失望に同情するのは如何なものか。その原因の部分を無視して、結果だけ報じるのは、いささか適切ではないと思う。
裁判長は組合員の主張を一部認めて、慰謝料の支払いを決定した。ただし、復職については認めなかった。まあ、なんというか、間をとって分けたような判決に、私は苦笑せざるえなかった。
たしかに国鉄が分割民営化された際、国労や動労などの組合員が区別(彼らは差別と呼ぶが)され、JRに採用されなかったことは事実だ。それを不当だと訴えての裁判は数多く起された。
だけど思い出して欲しい。分割民営化されたあの頃、国民の多くはむしろ国鉄側に同情的で、解雇には肯定的な雰囲気さえあったことを。
あの頃の国鉄は酷かった。とくに酷かったのが、労働組合の横暴ぶりにあった。ストライキの頻発で苦しんだ国鉄利用者を尻目に、ひたすら自分たちの権利ばかりを主張する労働組合に辟易した人は多かった。
だからこそ、分割民営化は国民から支持された。多額の借金を抱えて、事実上の会社更生の扱いを受けてJRとして再生されたことを忘れてはならない。郵便局の分割民営化と異なり、利用者から支持されての分割民営化であった。
もちろん国鉄が経営危機に陥ったのは労働組合だけが原因ではない。自らの選挙区に採算性も考えずに路線を引かせた政治家どもの横槍もたしかにあった。国営企業ゆえのどんぶり勘定で、経営の効率化など論外の無駄が横行していたことも間違いない。
だが、国鉄利用者にとってなにより不快に思えたのが、徒に労働者の権利ばかりを主張して、仕事をさぼる国鉄労働組合員たちの怠惰ぶりであった。
勤務中の飲食、入浴、早退、遅刻を既得権として乱用し、社会主義の主張に基づく政治活動に熱を入れる有様は、まともな労働者とはとても思えなかった。
もちろん真面目な国鉄職員だって多数いた。別に具体的なデーターに基づくわけではないが、現在のJRよりも鉄道運行はしっかりしていた印象がある。つまらぬ故障からのダイヤの混乱は、今のほうがよっぽど多いと思う。その原因がいわゆるヒューマン・エラーと呼ばれる人為的なケアミズにあることを思えば、やはり当時の国鉄職員の職能は高かったのだと思う。
しかし、それに反比例するが如く、労働組合の専横ぶりはヒドイの一言に尽きる。彼らはそれを認めようとしなかったが、結果的に労働組合を母体とした社会党や民社党の衰退が、それを証明することとなった。
あれから20年以上たって、ようやく下された判決。国労の組合員であるがゆえにJRに採用されず、職を失った怒りと失望に同情するのは如何なものか。その原因の部分を無視して、結果だけ報じるのは、いささか適切ではないと思う。