最近の政治報道は、あまりに下らな過ぎて、ニュースを読むのが苦痛である。
失言騒ぎも馬鹿らしいが、不倫騒動に至っては、愚かさにも程がある。そんなゴシップネタを、公共のTV電波を使って浪費しないでくれと言いたくなるではないか。
クソまじめな表情で、政治家の失言を報じる記者の間抜けな顔を見ていると、その偽善ぶりに嫌気がさす。
今、政治の場で論議すべきことは、そんなことなのか。もっと、大切なことがあるのではないのか。内政問題一つとっても、見過ごされている気がしてならない。
過去の政策の評価と審議をしなくて、なんだって、新たな政策が出せるのか。密室で行われる、一部の政治家と官僚だけが法案を作成し、その論議が表沙汰にならないうちに、なぜか委員会を通り抜け、気が付いたら法案が成立している。
今、起きている問題は、過去の積み重ねにより発生したものだ。その過去を検証せずに、誰の責任も問わずに、何故に適切な対応がとれると思うのか、私には不思議でならない。
抽象的過ぎて、分かりづらいと思うので、一例を挙げる。
日銀がデフレ対策として打ち出して、前代未聞の逆金利政策である。既にご承知のとおり、この黒田・日銀総裁の奇策は、円高と株安、銀行金利の引き下げを生み出しただけで、どうみてもデフレ対策として、また景気刺激策としても上手くいっているようには思えない。
なぜなのか?
現時点で、誰も納得のいく説明を出せてはいない。それは私も同じだが、マスコミ様が書かない、追及もしないことなら指摘できる。
いくら日銀が逆金利を打ち出しても、銀行は貸し出しを増やさないし、当然に設備投資も増えず、景気を活況させることも出来やしない。その理由は過去にある。
小泉・竹中構造改革路線の中で、金融庁が銀行に強要していえる融資マニュアル。これがある限り、決して銀行は、貸し出しを増やせないし、増やすことも出来ない。
当たり前である。お役人が、これ以上不良債権が増加しないよう、つまり責任問題が生じないように作った融資マニュアルである。融資の現場を知らず、大企業と、中小企業融資を同列に捉えた、世間知らずの御坊ちゃま役人が作った融資マニュアルがある以上、銀行は本当に資金需要がある中小企業に融資は出来ない。
この金融庁のマニュアルのおかげで、銀行は中小、零細事業者を評価するリスクを避けることが出来た。つまり門前払いのお墨付きをもらった。銀行は安心して融資が出来る安全な大企業だけを対象にすれば良くなった。
かつての銀行には、中小企業の親父や、気鋭の若手企業者を見る目があった。融資とは、企業という制度上の存在にではなく、その経営者に貸すことだと理解し、その経営者を厳しく見る目が、確かにあった。
だが、今の銀行に、それが出来る人材は皆無である。いる訳がない、当然である。そんな曖昧な基準で融資したら、確実に金融庁から睨まれる。
だが、忘れられているようなので、新ためて言うが、融資とは本来リスクを負うものである。絶対安全な融資なんて、本来ありえないものだ。そのリスクを測ることは、経営者を測ることに他ならない。
人を測ることは、マニュアルでは無理である。自身に顧みて考えることだ。友人をマニュアルで選びますか?親友をマニュアルで作りますか?結婚相手をマニュアルで選びますか?
常識で分かることである。それなのに、金融庁は融資マニュアルを作り、そのマニュアルに適合しない融資にダメ出しをしてきた。銀行は銀行で、人を測るのではなく、コンピューターソフトに財務データーを入力することで、融資を判断してきた。
断言します。今の銀行に、リスクを負うような融資をする能力はない。それが出来る人材は育っておらず、出来る人を追いやってきた。財務省と金融庁の覚えのいい人物だけが、頭取に出世してきたから、リスクを追いかけるような事業家の資質を持つ銀行員は、必然的に排除されてきた。
そんな銀行に、黒田・日銀が逆金利政策を強要しても、銀行は貸し出しを増やせない。
新聞やTV局の記者様たちは、銀行の記者クラブで安穏と日々を過ごし、広報資料の配布を本社に持ち込むだけが仕事だと思っている。財務省や金融庁の記者クラブに居座る記者様たちも同様である。
ある意味、仕事(裏付け取材や調査)をしないで高給を食める、お気楽な立場を満喫しているのだから、その立場を手放したくはないのだろう。だから、新聞やTVは、銀行のダメさ加減や、金融庁のいい加減さを告発するような記事は、この十数年書いた試しがない。
一部の独立系の識者だけが、そのことを告発するが、大手のマスコミ様はだんまりを決め込んでいる。その癖、マスコミ業は神聖なので、消費税増税は免除してねと、ぬけぬけと甘える。
こんな体たらくのマスコミ様であるから、鼻息荒く告発するのは、自分たちにリスクが及ばない問題ばかり。それが、今の政治報道である。
あたしゃ、馬鹿らしくって、新聞の政治欄を読む気にもなれないよ。
寒暖の差が激しい今日この頃です。
寒い晩には、湯豆腐が美味しい。10時過ぎに帰宅すると、疲れていて、凝った料理を作る気にはなれない。簡単に作れる料理は、カロリーが高いものが多く、夕食には敬遠したい。
こんな時こそ、湯豆腐の出番となる。鍋に水を張り、細かく切れ目をいれた乾燥昆布を数枚ならべて30分。その間に着替えたり、片づけをしたりと雑用をこなす。
スーパーで買っておいた鱈の切り身を、さっと水で洗い、クッキングペーパーで水気を取り、塩をふっておく。30分たって、昆布の出汁がとれた鍋に、火をかける。その際、一緒にこの鱈の切り身を入れておく。
鍋が沸騰したら、適当に切った豆腐、ざく切りの葱、水菜や白菜を少し加えて、再び沸騰するのを待つ。沸騰したら火を弱めて、ニラを挟みでチョキチョキと切って、鍋に入れて数分待つ。
ようやく、熱々の湯豆腐の完成である。糖質を減らすため、敢えてご飯は食べない。その替わりに、湯豆腐の残り汁に、少し麺つゆを加え、そこにオカラと蒟蒻で作った麺を入れて、締めとする。
あまり美味しい麺ではないが、腹は満腹になるし、なによりカロリーが低い。食べ終わると、すぐに食器、鍋を洗い、その間にお湯を沸かし、ゆっくりとハーブティーを飲むのが最近の習慣だ。
ちょっとだけ甘いものを食べるのが、密かな贅沢である。
実は湯豆腐を作るようになったのは、久しぶりである。ここ数年、どうしても作る気になれなかったのだ。
ギラン・バレー症候群により全身マヒになる直前の晩、母が最期に作った料理が、湯豆腐であった。私の記憶する限り、母の作った料理のなかで、最も不味かった湯豆腐であった。
料理名人とは云わないが、母は三人の子供を食べさせてきただけに、普通の料理の技量は持っていた。実際、私は塩分が多いとか、味が濃すぎると文句を言った覚えはあるが、不味いと文句を言った記憶はない。
母の作った料理を、最も沢山食べてきたのが私であると自覚している。だからこそ、あの湯豆腐は美味しくなかった、母の作るいつもの料理ではないと断言できる。
私の記憶では、母も疲れている時などに、簡単に作れる料理として、湯豆腐を出すことが多かったはずだ。しかし、既に麻痺の症状が出ていた母には、その湯豆腐でさえ満足に作れなかったのだろう。
いや、本当は料理なんてしている場合ではなかったはずだ。なんで、あの晩のうちに大学病院に連れていかなかったのだろう。母は風邪だといい、私もそうだと思い込んでいたからだ。
実際、翌日の日中には救急車で病院に搬送されたが、その地元の病院では、他の病気だと誤診していた。珍しい病気なので、責める気はないが、もっと早くに適切な治療を施していたならばとの後悔は、今も残っている。
だから、私は湯豆腐を作る気になれなかった。3年以上、作らなかった。意地でも、作らなかった。
しかし、母の湯豆腐の味を忘れないうちに、再び湯豆腐を作っておこうと思い直したのは、今年の正月のことだ。以来、あれこれ、思い出しながら、湯豆腐を作っている。
簡単な料理なのだけど、なかなか母と同じ味にはならない。出汁をとる時間が違うのか、それとも何かほかに隠し味を入れていたのか。あれこれ、試行錯誤を繰り返しているのが、この冬の一仕事となっている。
やはり人間って、けっこう野蛮なのだと思う。
人間には、喜んだり、哀しんだり、驚いたりと豊かな感受性がある。そんな人間が、なにに対して一番興奮するかで、その本性の一端が分かる。
認めたがらない人は少なくないだろうが、人は暴力に対しても、相当に興奮する。観ているだけでも十分興奮することは、ボクシングやプロレスなどの興業を見ていれば分かる。
そして否定したい人も多いと思うが、人は間違いなく暴力をふるう時にも興奮する。私は平和を愛する温和な一市民である。もう、かれこれ30年以上、他人に暴力をふるったことはない。
そんな私でも、憎い相手を殴る快感があることは、実体験から知っている。身体の内側から湧き上がる、奇妙な興奮に心を支配され、抑制が効かないぐらいに熱中して相手を殴る時、そこには獣じみた悦楽があることは覚えている。夢中になりすぎて、自らの拳を痛めていることさえ気が付けぬほどの興奮である。
実はもう一種類ある。相手にねじ伏せられ、馬乗りになられて、顔面をボコボコに殴られている時、なぜか一種の麻痺にも似た陶酔状態に陥っていることがある。
痛みで涙はボロボロ出ているし、鼻血が噴出して、咽喉に詰まって、息苦しい。顔がみるみる腫れ上がり、目がふさがるほどの打撃を受けているのに、なぜか身体が動かない。抵抗したいのに動けない。
これは冷静に考えれば、脳から痛みを緩和させる物質が放出されているだけで、身体が傷ついていることに変わりはない。ただ、妙な興奮状態は、ある種の快楽を伴っていたことは確かだと思う。
人間には、暴力に対して、ある種の悦楽を感じるような仕組みが組み込まれているのだと思う。もちろん個人差はあるだろうし、私にはそんなものはないと断言する人もいるだろう。
でも、私たち人類が、多くの生存競争を生き抜いてこれたのは、この暴力性に優れていたからである。過去の亜人種ともいえる猿人たちにも、生き残って進化する機会はあった。しかし、もっとも戦闘技術に長けた現生人類こそが、その戦いを生き抜き、生き残った。これもまた事実である。
如何に否定しようと、我々人類には、暴力を肯定する仕組みがある。だからこそ、格闘技に興奮する。
そんな暴力性を描いて絶品なのが、表題の漫画です。裏サンデーに連載されてたマイナーな作品ながら、いつのまにやらメジャーな人気を博した逸品です。
登場人物たちは、格闘技の試合に登場し、相争う企業の代理人として戦い、勝った側の企業が経済的な権益を手にする。それが江戸時代から続く拳願試合。
その試合に登場する格闘者たちは、いずれも戦うことに魅せられ、暴力に陶酔し、破壊と鍛錬に明け暮れる。今、一番熱いと云われる格闘漫画です。興味がありましたら、是非どうぞ。
忘れられない憎しみは、誰にだってあるのかもしれない。
インドにある、とある農村をゾウが襲ったとのニュースを読んだ。家屋を破壊し、車を押し潰し、暴れ放題であったという。あの巨体で暴れられたら、武器を持たぬ人間に止める術はない。
実を云えば、ゾウが人間を襲う事件は、アフリカで多発している。インドゾウよりも更に巨体のアフリカゾウが、アフリカ各地の農村を襲い、観光ツアーのバスを襲い、走行中の車さえ襲うという。
原因を調べると、どうも復讐の感が強いという。ゾウは密漁の対象となることが多い。多くは象牙目当てであるが、時には農作物に害を与えるゾウを駆除することによる密漁もある。
現地の動物学者や、ツアーガイドなどによると、人間を襲うゾウは、幼い時に、母親を殺された子象の可能性が高いという。俄かには信じがたいが、ゾウの脳における記憶を司る海馬の割合は大きく、記憶力が高い可能性は、かねてより指摘されていた。
長年、ゾウを観察してきた人たちの話では、人間に母ゾウを殺され、その後人間とは接せずに育ったゾウは、人に対する憎しみを忘れず、大人に成長してから、人を襲うようになる。
私が見た映像は、ディスカバリーチャンネルでのものだが、観光ガイドと撮影クルーの乗ったジープを追いかけてくるゾウの迫力は、凄いものがあった。迫力ある咆哮もさることながら、地響きを立てて疾駆する巨体は、十二分に人を殺傷する能力があると良く分かるものであった。
アフリカ大陸では、しばしば人が野生動物に襲われる。最も死傷率が高いのはカバで、プロのガイドでさえ油断すると殺されるという。またハンターに狙われたケープバッファローも、しばしばハンターを逆に追いかけて殺してしまうことで知られている。
だが、カバは縄張りを守るためであり、ケープバッファローは自らの生死を賭けた戦いである。これは他の動物でもありうることだと思う。ところが、ゾウの復讐は、ほとんど聞いたことがない。
人間を嫌う、もしくは餌として狙う動物はいる。しかし、自身が直接、被害を受けた訳でなく、十数年前の記憶を根拠に人間を襲う動物を私は知らない。チンパンジーやイルカ、シャチなども知能は高いが、親を殺されたことを理由にした復讐の話は聞いたことがない。
浮「話だと思う。人間の増長に対する神の、あるいは自然の警告なのかと、思わず勘繰ってしまったニュースでした。
ダンスは一人では踊れない。相手がジルバを踊りたければジルバを、そして相手がサンバを踊りたければサンバを踊る。それが私のプロレスだよ。
したり顔でインタビュアーを煙に巻いたのが、往年のAWAチャンピオンのニック・ボックウィンクルであった。
率直に云って、あまり評判のいいプロレスラーではない。得意技は、反則負けによるチャンピオンベルトの死守である。つまり、負けそうになると、わざと反則をやらかして、レフリーから反則負けを宣告される。
AWAのルールでは、反則負けではチャンピオンベルトは移動しない。だから、ずっとチャンピオンの座に付いていた。私は、この人がチャンピオンでいる間、ピンフォール勝ちした試合も、ピンフォール負けした試合も見たことがない。
ダーティ・ヒーローであるバディ・ロジャースの正統なる後継者であった。たしかにルックスは二枚目で通るし、スーツを着込めば温和な紳士と見られる風貌であった。しかし、汚い反則技で、王座にしがみつくプロレスラー、そう思われていた。
だからこそ、観客はこのダーティ・チャンプが負けるのを期待してプロレス会場に足を運ぶ。ニックは、観客の期待とおりに相手に追いつめられ、遂に王座陥落かと思わせる。
しかし、そこで反則をやらかして、レフリーから反則負けを宣告される。こうしてベルトは死守されてきた。こんな試合ばかりやっていたので、プロレスファンも、そしてプロレスラーでさえもニックは弱いと思い込んでいた。
ところがだ、その汚い試合ぶりとは裏腹に、実は正当なレスリングの実力を持つ隠れた実力者であった。そのことが分かったのは、全日本プロレスの若き王者ジャンボ鶴田との試合であった。
鶴田は、ニックの手口を熟知していたので、PWFルール、すなわち反則負けでも、負けは負けでベルトが移動するよう要望した。断るかと思いきや、ニックはこのルールを受け入れた。
鶴田は勝つ気満々であり、ベルトは俺のものと思っていた。ところがだ、この試合で鶴田は勝てなかった。ニックは相変わらず反則を交えた汚いプロレスに終始したが、それでもピンフォール負けはしなかったのだ。
私もこの試合はTV観戦したが、実に地味な試合であった。ニックは派手な技は一切使わず、ひたすら地味な技の攻防に終始し、追いつめられると反則技を繰り出して窮地を脱する狡猾な試合ぶり。
この試合で分かったのは、ニックは地味なテクニックを十二分に有するテクニシャンとしての顔を持つことであった。この試合で、ニックは投げ技を一切使わず、ひたすら関節とグラウンドでの攻防に終始していた。これにはアマレス出身の鶴田も、かなり戸惑ったようだった。
日本人レスラーでも、ジャンボ鶴田は屈指のテクニシャンであり、アマレス仕込みの投げ技の名手である。しかし、ニックは、その鶴田に一度も、投げ技の機会を与えなかったのだ。
以来、鶴田は記憶に残った名レスラーの一人に、必ずニックの名を挙げるようになった。
ニックは、人気こそなかったが、バーン・ガニアと並んで長期間AWAのチャンピオンで居続けた。どんな相手とも、プロレスの試合を演じることが出来た。彼にとっては、試合に勝つことよりも、チャンピオンベルトを巻き続けることこそ、強さの証であったのだろう。
昨年ニックは天寿を全うしたという。晩年の彼を私は知らないが、きっと強かで、しなやかな人生であったと思います。したたかな大人のプロレスラー、それがニック・ボックウィンクルであったと思います。