アメリカこそが、世界最強の租税回避国家である。
現在、世界中を騒がしているパナマ文書であるが、その舞台となっているのが租税回避国と呼ばれる小国である。他にもケイマン諸島や、ヴァージン諸島などもあるが、これらは大英帝国の元植民地である。
実は公式に云えば、ロンドンのシティ特区こそが、世界最大の租税回避地であるとされている。だが、近年はアメリカこそが、もっとも厄介な租税回避地であるとの意見が散見される。
実は私もそう思っている。アメリカは覇権国であるがゆえに、政治、軍事、経済などでも主導的立場にある。そのアメリカの一部の州では、カリブ海の租税回避地に負けず劣らずの、一見合法、実は租税回避行為容認の州法がまかり通っている。
悪名高いのは、デラウェア州であり、投資組合などを活用した租税回避行為を適法化している。ややこしいのは、アメリカ政府そのものは、表向き租税回避行為に対して批判的な姿勢をみせているからだ。
なにせ、アメリカは合衆国であり、各州政府の権限が強いうえに、大量のページ数と、複雑な構成による税法と、それを余計にややこしくさせる弁護士軍団の巣窟でもある。
おかげで、世界各国の政府は、このアメリカの州がらみの脱税(みかけ合法ですけどね)行為の横行に頭を悩ませている。お気づきの方もいるだろうが、あのパナマ文書にしたところで、アメリカの主要政府要人の名前は表に出てこない。これを怪しいと思わない人は、少しマスコミの報道を疑ったほうが良い。
なにしろオバマにせよ、クリントンにせよ、アメリカの歴代の主要政府関係者の多くは弁護士出身であり、節税のノウハウに長けているのは周知の事実だ。だが、アメリカは先進国の中でも、特に脱税に厳しい国でもある。
にもかかわらず、アメリカこそが租税回避のノウハウが、最も氾濫している国である。特にアメリカの富の過半を握るとされるスーパーリッチと称される桁違いの富裕者たちは、合法的に節税に励んでいる。
かつて、アメリカの中核を占めた中産階級は、自ら納税者であることを誇らしげに語り、政治に口を挟んだものだ。その中産階級は、今や絶滅危惧種であり、富裕層と貧困層に二分化されているのが、今のアメリカの現状である。
だからこそ、今回のアメリカ大統領予備選挙において、実績あるプロの政治家であるクリントン女史や、クルーズ上院議員は苦戦し、代わって素人政治家丸出しのトランプや、反主流どころか、泡沫候補に過ぎなかったサンダース上院議員が躍進してしまったのだ。
権力者が、その権勢の根幹である政府の仕組みを阻害することが続くと、その国家は滅びの道へ歩んでいると歴史は教えてくれる。
これは、古今東西、ほぼ変わることのない、数少ない真理だと私は考えている。現在のアメリカは、その国富の7割ちかくを5%未満のスーパーリッチが握っているとされている。彼らの議会、法曹界、そしてマスコミに対する影響力は凄まじい。
アメリカが独裁国家ならまだしも、自由と平等を掲げる民主主義国家である。最大多数の最大幸福の原理に基づき、有権者の多数の意見を反映させた政策が、アメリカの基幹であるべきだ。
しかし、現実にはワシントンにはびこる政治のプロたちが政治を仕切る。多くは弁護士上がりか、大規模弁護士事務所を顧問に抱えた法律の専門家である。草の根選挙を勝ち上がってきた大衆の意見の代表者である議員たちは、この法律のプロたちに絡め取られて、気が付いたら民意から遠く離れた政策に加担している。
アメリカは、その植民地からの独立戦争と、南北戦争を経て大きく変質した。そして今、第三の変質の時期を迎えているのではないかと私は考えています。願わくは、それが亡国の途でないことを祈らずにはいられません。
雰囲気というか、空気ともいうべきか。
日本人は、とかく雰囲気に流されがちだ。故・山本七平氏が、この日本人の気質について指摘しているが、今がまさにその状態だと思う。
来年4月に予定されている消費税の税率アップと軽減税率制度であるが、いつのまにやら延期が当然との雰囲気に染まっている人を散見するようになった。
景気の低迷を受けてのものであり、今年夏の選挙に向けて、民意に敏感な政治家が先走った面もある。安倍総理は、未だ直接言及はしていないが、報道等を読むと、既に気持ちは増税延期に傾いているかのようである。
それに対して、財務省は表だっての反対はしていないが、息のかかった評論家やらマスコミやらを使って財政危機をアピールして、消費税の増税こそ冷静で、客観的な結論だとの雰囲気を造ろうと躍起になっている。
何度も書いているが、私は21世紀の日本の税収の柱は、消費税のような大型間接税が相応しいと考えている。少子化と、高齢化社会を迎えつつある日本では、儲けに対する課税よりも、流通段階での課税のほうが実態にあっていると判断しているからである。
少しだけ説明すると、高度成長期のように人口も増加し、経済活動も右肩上がりであるならば、所得(儲け)に対する課税(法人税、所得税)が税収の柱であるべきだ。
しかし、子供も減り、高齢者が増え、人々の経済活動も労働の対価(所得)からではなく、蓄積された資産の運用によるようになれば、大型間接税による税収の割合を増やしたほうが、実態社会に合っている。
今の日本が、まさにその段階に差し鰍ゥっている。だから、本来は、消費税の増税は望ましいかたちだと私は思う。
だが、今回の消費税の増税には否定的とならざるを得ない。それは先の消費税増税時に、財務省が誤魔化しをやったからだ。大型間接税を増税する以上、直接税(法人税、所得税、住民税)は減税されなくてはならない。
ところが、財務省は、大企業向けに法人税の現在にだけ応じた。個人の所得税、住民税は減税しなかった。必然的に個人にとっては、増税だけであるからして、財布の紐を締めざるを得なくなった。
それが個人消費の減少という形で、景気を直撃した。いわば財務省の判断ミスである。その反省もなく、ただ、ただ、予算確保のためにだけ消費税をアップさせる政策に、個人が反対するのは当然すぎる結論である。
私は安倍政権に対する評価はあまり高くない。民主党政権よりも、まだマシだとのレベルに過ぎないと思っている。アベノミクス最大の特徴は、大企業と投資家を優遇していることだ。その反面、個人や中小企業には冷淡である。
だが、民意に耳を傾けない民主党政権と異なり、多少は民意を気にするのが自民党のいいところだ。これが民主党(民進党でも同じこと)だと、財務省のいう事は聞いても、民意は自分たちを支持するべきものとの思い上がりがある。
だから、消極的な意味で今の自公政権を支持せざるを得ない。
その安倍政権は、間接的に消費税増税に反対の世論を作ろうとしていることは、この半年あまりの姿勢から読み取れる。一方、反撃しはじめた財務省も、消費税増税肯定の世論を作ろうと画策している。
いずれの陣営も、雰囲気というか空気というか、曖昧な世論形成に終始して、肝心の中味については棚上げしている。それでいいのか?
日本人は普段から、お上頼りの傾向が強く、高齢化社会に対しては、政府の手厚い保護政策を求めている。だとしたら、大型間接税は適切な税制だと思うが、その導入には、直接税の減税が必要不可欠だ。
直接税の減税は、投資を呼び込むし、海外からの労働力輸入(既に現実だ!)にも対応しやすい。だが、詳細を議論して詰めねば、拙速となり、後々に禍根を残す。その議論は、今こそ必要ではないのか。
自民党や財務省の権力争いは致し方ないけど、その手段に成り下がっているマスコミには猛省を求めたいですね。
アニメの映像化は難しい。
特にシリーズものでは、原作を知らないとストーリーの流れさえつかむのが難しくなる。そして、原作のファンであればあるほど、その実写化に厳しい視線が注がれてしまう。
表題の作品なぞは、その典型であろうと思う。二時間に満たない枠に、コロセンセーの出生の秘密や、その最後を描ききるなんて、無理だと原作ファンなら誰しも思うことだ。
致し方ないことではあるが、幾つかの重要なエピソードだけに重点を絞った結果、いくつか私が好きな場面がカットされている。それほど熱心なファンでない私でも、そのことに不満を覚えるのだから、熱心なファンの不満はそれ以上であろう。
また原作の漫画と、映画版では若干シナリオを変えているため、映画も前作から観ていないと、分かりにくい面があるのも致し方ないとはいえ不満が残る。
だが、冷静に振り返ってみれば、あの短い時間によくぞここまで詰め込んだものだし、いくつか実写化版ならではの美点もある。いくら漫画家が技巧を凝らして作画しても、実際に汗をかきながら熱演する俳優の情熱には負けてしまうこともある。
映画の監督や出演俳優も、この原作の愛読者であるようだし、その情熱も感じ取れた映画になっているのも事実だ。だから、あまり貶したくはない。
ただ、間違いなく原作の愛読者は程度の差はあれども不満を抱くだろうし、映画も前篇を観ていないと、少し辛いのも事実だ。それでも、ダメな映画だとは思わないのは、いくつか光る場面もあったからだ。
率直に言って、原作をまったく知らない人には、お薦めしがたい。むしろ原作の漫画をこそ奨めたくなる。だが、原作を知っている人ならば、案外楽しめる映画だとも思った。
文句をつければきりがないけど、少し目をつぶれば十分楽しめる実写化だと思いますよ。
日本のマスコミの見識のなさが良く分かる一件である。
現在、世界中の政府要人、企業家、投資家などを巻き込んで大騒ぎになっている通称パナマ文書問題なのだが、日本ではほぼ無風状態である。
日頃あまりTVを観ない私だが、このパナマ文書に関する日本のTVと、欧米のTVの報道格差には呆れてしまう。私が主に観るのは、CNNとBBCであるが、特集を組み、かなり詳細に報じている。
日本のマスコミ様は、よくご理解していないようだが、民主主義の根幹は、「私は納税者である。だから、政治に口を出す権利がある」である。国民の税金により政府の活動は賄われている以上、その納税者が政治に口を挟むのは当然の権利だとの認識である。
だからこそ、今回のパナマ文書で明らかになった政府要人の、タックスヘブン(租税回避地)を使った節税行為に、国民は厳しい視線を投げかけるのだ。驚いたことに、民主主義の国ではないロシアや共産シナでさえ、今回の事件を嫌がっている。
それに引き替え、我が国の追及は甘いというか、ヌルイというべきか。プーチンや習が羨ましがるほどである。
タックスヘブンを活用した節税策は、税制をよく勉強しないと理解しずらいのは分かる。特に日本の記者様たちは高給取りではあるが、サラリーマン故に税金は年末調整で終わってしまう。
だから、自分が一年間にどれだけ税金を払っているかも知らない記者様が大半だ。これは源泉徴収という納税者に納税の痛みを感じさせない制度のおかげでもあるので、一概に記者が鈍感だとは言えない。
しかし、根本的に民主主義を理解していないからこそ、これほどまでに無関心でいられるのであろう。特に朝日新聞と共同通信は、今回のパナマ文書の解明に協力を依頼された日本のマスコミであるにも関わらず、その追及は驚くほど甘い。
いったい、誰に気をつかっているのかと邪推したくなるほどに甘い。先進国で、これほど脱税問題に無関心というか、無知なマスコミも珍しいと思う。
毒と薬は紙一重。
良く知られていることだが、薬を使うのは人類だけではない。野生動物も、薬草などの薬効は知っていて、体調が悪い時などに、日ごろ食べない草木を食べる。それを観察した人間が、その薬効を知ったのが、最初の薬だとされている。
だが、薬草から成分を抽出して、より薬効を高めた使い方をするのは人間だけだ。いくら猫がマタタビを好きだからといって、一日中マタタビに呆けることはない。しかし、人間は、その薬効を高める手段を知っているが故に、その効果に酔い痴れてしまうことがある。
特に科学技術が飛躍的に発展した20世紀以降、人類はその高度な技術を用いて、より薬効を高めた薬を造ることに成功した。おかげで、かつては不治の病とされた病気さえ治療することができた。
だが、なかにはその薬の成分が効くことは分かっていても、何故効くのかが分からない薬も少なくない。その多くは、脳神経に効くのだが、何故効くのかの仕組みが未解明のままである。
薬だけではなく、現在は使われなくなったロボトミー手術や、限定的に使われる電気ショック療法なども、その仕組みは全て解明されている訳ではない。だが、仕組みは分からなくても、使うことは出来る。
それが恐ろしい。
しかし、現実には、多くの薬物が、完全に解明される前に実際に使用されている。南米やアフリカなどの密林で発見された未知の薬効性のある植物やバクテリアから、新しい薬物が生み出されている。
これらは薬品として正式な認証を受ける前、なぜか市場に出回ることがある。もちろん正式な薬局、医師とは無縁であり、酒場やクラブなどの片隅で、いつのまにやら取引されている。
そんな噂話を耳にしたのは、かれこれ20年以上前だ。当時は、わりと気軽に海外旅行に行っていたので、旅先で情報交換をすることが多く、私は危ない薬物の話を聞いたのも、乗継のため時間潰しをしていたヒースロー空港でのカウンター・バーでのことであった。
のんびりとギネス・ビールを飲んでいたら、隣に座ってきた長髪の男性が声をかけてきた。日本人のようだが、かつて流行したヒッピーのような長髪と、あまり洗濯していないような服装が、私の脳内警報器にスイッチを入れた。
どうでもいい世間話はともかく、彼はさっそく私にタバコをねだってきた。私がタバコを吸わないと言うと、大げさに驚き、ではグラスならどう?と言ってきた。
やっぱり、か。
グラスが大麻の隠語であることぐらいは知っていた。それもやらないと、やんわりと断る。すると、今後は気分が爽快になる錠剤を奨めてきた。これは注射ではないし、製薬会社の作ったものだから安心ですよと言ってくる。
丁寧に断ると、執拗に一度くらい体験してみるべきだと進めてくるので、声のトーンを落として少し怒り気味に威嚇して退散させた。おかげで、巨漢の白人店員から睨まれる羽目に陥ったが、警察の世話になるよりマシだ。
すると、中年の女性が声をかけてきた。たしか、行きの飛行機のなかで近くに座っていた人だと思いだした。彼女が、よく断りましたねと言うので、あんな危ない話には乗れませんよと答えると、それが正解だと肯いてくれた。
その女性から、日本人がよく騙される典型的なパターンを幾つか教えてもらった。旅先での不安に付け込まれることが多いので、堂々としているのが一番だとの助言が、一番気に入った。
私もそう思うからだ。一人旅が多い私は、旅先でつけこまれないために、地図を暗記したり、ありきたりの服装で地味にみせたりして工夫をしている。たとえ、見知らぬ街でも、堂々と歩いていると、変んな輩に絡まれることも滅多にない。
逆に不安そうにしていると、怪しい輩が近寄ってくる。これは、国内旅行でも同様だと思っている。いや、日常生活においても通用することだと確信している。
話を戻すと、その時の会話で、日本では売られていない薬物が、こちらでは売られており、決して安易な気持ちで手を出さないようにと釘を刺された。たしかに頷ける話であったと思う。
彼女の話では、薦められた薬物を服用して、良い気持ちになり、翌朝気が付いたら身ぐるみ剥がされた日本人旅行者は、決して珍しくないそうである。いくら強い意志を持っていても、脳に直接作用する薬物に抵抗できるはずはない。
暴力や威嚇に抵抗できても、薬物による意識喪失では、抗いようがない。単純な暴力以上に警戒すべきだと思う。まして、その危ない薬が、医師の協力を得たものであれば、普通の人なんざひとたまりもないはずだ。
表題の作品は、目が覚めたら記憶を失っていた男女の、記憶を求める探索と、失踪した女子高校生を探す相談員の話が錯綜しながら、次第に邪悪な事件の真相が見えてくるといった複雑な構成のミステリーです。
さすが、ミステリー界の王女様こと、宮部みゆきの手腕だと感心しきり。仕事が忙しくて、ストレスがたまりがちな時期は、こんなミステリーで気分転換を図るのも良いと思うのです。