ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

最終予選 オーストラリア戦アウェイ

2016-10-24 13:29:00 | スポーツ

悔しいのは分かる。

先々週のワールドカップ最終予選での最大の難敵オーストラリアとの一戦は、アウェイでの試合であり、激戦が予想された。しかし、原口の先制弾により勝利かと思いきや、引き分けに終わってしまった。

惜しかったと残念がるのは分かる。しかし、私が腑に落ちないのは、監督のせいで勝てる試合を落としたなどと放言するサッカー関係者の発言を載せるマスコミだった。

現在のアジアでは、イランとオーストラリアが抜きんでて強い。そのオーストラリアにアウェイで引き分けなら十分及第点だと私は考える。その試合の内容だって、それほど非難されるほどのものではない。

興味深かったのは、オーストラリアが中盤でのボール回しに固執して、従来のパワープレイを仕鰍ッてこなかったことだ。当然ながら、ボールの保持率はオーストラリアが圧倒的で、日本は受け身に回っていた。

しかしながら、受け身の日本は落ち着いていて、それがオーストラリアの焦りを生んでいたように思えたことだ。決して口外はしないだろうが、ハリルホッジ監督は当初から引き分け狙いを明確にしていたと思われる。

不満に思う人もいるだろうが、現在の日本代表の主力選手たちはヨーロッパ組であり、彼らが試合に出ておらず、試合勘をなくしている現状を思えば、守り優先の戦術は必然だと思う。

特に本田、香川の不調は大きい。長谷部も全盛時の切れはなく、内田は不在、長友は怪我では戦力は大幅に落ちている。それでも、原口や山口などの若い選手が育ってきているのだけは救いだ。

むしろ、戦力が大幅ダウンしている現状を思えば、ハリル監督はよくやっている方だと思う。

そんな最中に、監督交代論が出てくるのだから呆れてしまう。それもお決まりの派閥人事のレベルでの情報リークを元にした記事を書き散らかすサッカーメディアの軽薄さにはウンザリする。

この不況下で、仕事にあぶれたコーチがあまたいることは確かだ。それを従来の学閥、企業閥での救済人事に日本サッカー代表監督を利用しようとする浅はかな日本サッカー協会幹部がいるのだから、呆れてものが言えない。

サッカー日本代表の強さは、その土壌であるJリーグの実力に比例する。近年、資金難から外国人のトップレベルの選手を招聘できていない結果が、今の日本代表に現れている。

今の日本代表が弱くなっていると感じているのなら、その原因は監督ではない。Jリーグの強化に手を抜いた各チームの経営陣及び日本サッカー協会の幹部にこそ責任がある。そして、その現状を正しく報道してこなかったマスコミの見識の無さこそが問題なのだ。

私は今回の最終予選の突破は、不可能ではないが、厳しいとみている。それでも、応援はしますが、愚劣な三バカ要因(Jリーグの各チームの首脳、日本サッカー協会幹部、マスコミ)に対しては、許しがたい怒りを感じているのです。

場合によっては、最終予選突破敗退したほうが、未来の日本のためには良いかもしれません。その場合の最大の責任者は、監督ではありません。日本サッカー協会の会長です。くれぐれも銘記しておいて頂きたいものです。


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君の名は

2016-10-21 12:00:00 | 映画

名前を思い出せない。

その女の子のことを知ったのは、間違いなく高1の時だ。クラスが違ったし、部活や生徒委員会で知り合った訳ではない。いや、知り合ってなんていない。ただ、廊下ですれ違うだけ。図書館で見かけるだけ、ただ、それだけだった。

でも、知っていた。彼女が美人であったからではないと思う。いや、間違いなく美人なのだが、綺麗な子、かわいい子は他にもいたし、一緒に居て楽しい子、会話が弾む子もいた。私としては、そのほうが重要だ。

それなのに、私は彼女が近くにいると、無意識にその姿を求めていた。でも話しかけたことはない。多分、ない・・・少し自信がないのは、もしかしたら、文化祭の時に、少し話したかもしれないからだ。

きっかけは、おそらく私が当時、仲が良かったY子に部活の展示に呼ばれたからだ。たしか、彼女はY子と同じクラブであったはずだ。それ以外に接点は考えられない。そして、私は敢えて彼女を素通りするかのような態度をとったと思う。

理由は、Y子のためだと思う。別に付き合っていた訳ではないが、Y子との関係は大事にしたかった。当時、いささか女性不信の気があった私を癒してくれた貴重な女の子であったからだ。だから、私はY子以外の女の子に目移りするような軽薄な態度を避けた。

それは、不思議なことにY子が親の海外勤務に伴う出国で、学校から姿を消してからも変らなかった。そして、Y子がいなくなってからは、接点はまったくなかったはずだ。

それなのに、私は視野に彼女が入ると、すぐに気が付いた。おそらく彼女も気が付いていたはずだ。とても綺麗な子なのだが、ちょっと謎めいた噂があったことは小耳に挟んでいた。

彼女に告白した男は数知れずなのだが、交際の噂は一切なかった。彼女はいつも同じ女の子と一緒にいた。仲が良すぎるほどの二人で、そのせいか、レズビアンではないかとの噂が出たほどだ。

いずれにせよ、私には関係ないものと思っていたが、それでも高校卒業するまで、私はつねに彼女を意識の片隅に置いていた。名前も当時は知っていたかもしれないが、もう名簿もないし、卒業アルバムもどこかに仕舞いこんでしまった。

だから、名前を思い出せない。

学内でも指折りの美少女であった彼女が、地味な私に気がある訳がないし、第一接点がない。ただ、彼女の視線を感じることは、時折あったように思う。思春期特有の自意識過剰からくる思い上がりであろうと考え、当時は自らを「いい気になるな」と諌めていたぐらいだ。

何故なら、私は中学時代に美人に痛い目にあっていたので、美人を警戒するようになっていたからだ。だから卒業するまで、一言も話したことがない。

それなのに、私は知っている。彼女がどんな風に笑うのか、どんな風にほほ笑むのか。どんな風に怒り、声を上げるのか、何故か私は知っている。知っているはずがないのに、知っているのは、きっと私の妄想なのだろう。

本当にそうなのか? もしかしたら、私の記憶から消えた何かがあったのだろうか。

別に後悔している訳ではないが、もし人生が二度あるならば、次は声くらいかけておきたい、名前くらいは聞いておきたい。そう思っている。

ところで表題の映画は、たいして宣伝もしていないのに、口コミで人気が出たらしい。東映では、「シン・ゴジラ」と並んで今年の大ヒット作であり、業績を大いに向上させたようだ。別に泣くほどの感動作ではないと思うが、私は高校時代の名も知らぬ女性のことを思い出してしまった。

私の記憶に、さざ波を起こしてしまった映画であった。その波に洗い流されて浮き上がってきた記憶は、そう悪いものではなかった。たまには、こんな映画も良いものです。

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駆けつけ警護に思うこと

2016-10-20 12:01:00 | 社会・政治・一般

先週末、風邪を引いたおかげで、休日はのんびりとクダラナイTV番組を見ていた。

TBS製作のドキュメンタリーで、要は戦争法反対である。安倍政権が力を入れている自衛隊の海外派遣は戦争への道であると、賢しげに警鐘を鳴らしている番組である。

相変わらずバカ丸出しの内容である。

番組の内容は、南スーダンにおける国連のPKO活動の実態をレポートしたものだ。人道支援のために現地に滞在していたNGOの人たりが、政府軍から攻撃され、男性は撃たれ、女性は暴行されたと報じている。

南スーダンの内乱は、人種というか部族問題が絡む。政府と相容れぬ少数派部族を支援する国連軍及びNGOは南スーダン政府の怨嗟の的であり、それゆえに政府軍そのものがNGOを襲ったり、それを警護しようとするPKO部隊を攻撃したりしている。

つまり、安倍政権が主張するような「駆けつけ警護」が政府軍と戦闘になるような事態はないとの主張が嘘であると、悲惨な映像を背景に警告しているの訳である。このままでは、日本は戦争に巻き込まれるぞと警告が番組の目的であることは明白である。

未だに戦闘と戦争の区別がつかないらしい。

私が失笑を禁じ得なかったのは、同番組内で南スーダンに派遣されている中国軍の装甲車が、駆けつけ警護に向かった先で南スーダン政府軍の攻撃を受けて死傷者が出ている映像を平然と流していることだ。

駆けつけ警護が戦争への道だ?ならば、南スーダン政府と中国は戦争になったのかい?

未だ戦乱による混乱から抜けきらぬ危険地帯で活動するからこそ、国連は加盟国に依頼して軍隊を派遣して当地の治安を確保する。それがPKO活動であり、当然に銃撃、爆撃等があるものとして行われる。

一時期、日本がPKOを派遣するにあたって、自衛隊ではなく、警察を派遣しろなどという馬鹿がいた。警察の保有する武器、つまり拳銃程度で戦乱の地で治安維持が出来る訳がない。なにせ、当地では当たり前のように小銃、突撃銃のみならずミサイル・ランチャーを持っている人が珍しくない。

警察官の持つ拳銃なんて、戦乱の地では威圧にもなりゃしない。第一、水も食料も十分でないところで警察が活躍できる訳がない。自活能力のある軍隊でなければ、戦乱の地を治めることは出来ない。

その軍の警護あってこそ、NGOの人権活動は可能となる。戦闘があって当然であり、PKOは死傷者が出ることを前提にした活動なのだ。

で、そのPKO活動がなぜに戦争への道へとなるのか。番組では、その問題は一切無視して、ひたすらに南スーダンの惨状と、そこでの活動の厳しさを伝えるだけである。

PKOにせよ、NGOの人道活動にせよ、旧来の金を出すだけでなく、人的貢献を目的としてものであり、敢えて危険地帯に赴くからこそ価値がある。その活動自体を否定するなら分かるが、「駆けつけ警護」だけを取り上げて、それを戦争への道だと批難するのはおかしくないか。

私は平和な日本であって欲しいと切望しているが、日本における平和原理主義者の愚昧ぶりには心底辟易しています。

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BUNGO 二宮裕次

2016-10-19 11:51:00 | 

すべてを投げ打って打ち込めるような何かがある人は幸せだと思う。

私はついに、その対象を見つけることが出来なかった。読書も登山も、しょせん余技でしかなく、趣味ではあったが、生涯を賭けるような対象ではなかった。

だからこそ、なにかに必死に打ち込んでいる人を見かけると、羨望を禁じ得ない。

表題の漫画は、週刊ヤング・ジャンプ誌に連載されている。友達がいない少年が、唯一打ち込めた遊びが、野球のボールを壁に思いっ切り投げ込むことであった。

ただ、投げるだけ。ただ、それだけを続けていたので、コントロールもなく、球種もない。もちろん、バットを振ったこともなく、ボールを捕球することも出来ない。

しかし、彼は投げ込むことに傾倒した。それしか、やることがなかったからでもある。それしか知らなかったからでもある。

そんな主人公がジュニア野球の全日本の選手と知り合い、その才能を見出された。数万人に一人しか叶わぬ野球の選手層の厚さ、難しさを聞いても、よく理解できなかった。

でも、彼は自分が自信をもって投げ込んだ球を試合に活かすことの喜びを知ってしまった。自分が目標にするべき偉大な先輩を見つけてしまった。

野球に関しては素人同然なのだが、その天与の才能と、それを活かす努力が眩しい。彼が打者に投げられる球は、ど真ん中のストレートだけ。ただ、それだけしか出来ない。

だが、ど真ん中のストレートだけに、打者は見逃す訳にはいかない。如何に球速が速かろうと、コースは分かっている。それなのに打てない。主人公が全身全霊を賭けて投げ込む球には、異様な伸びがあり、三振の山を築く。

今、ヤンジャン誌で一番、熱い野球漫画。けっこう休載が多いのがたまに傷ですが、私が読むに値すると思っている数少ない漫画の一つです。

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パラリンピックに思うこと

2016-10-18 12:20:00 | スポーツ

少し複雑な気持ちになる。

私は障がい者がスポーツをやることは、大いに賛成である。身体的ハンデがあろうと、身体を動かすことは良いことだ。肉体的鍛錬というだけでなく、精神面でも良い影響があると確信している。

また競技として腕を競い、勝利を目指した努力の対価としてのメダル等の順位付けも、モチベーションの点から考えても、良いことだと考えている。

それでも、リオ・パラリンピックが終わった後の、一部のマスコミ報道には首を傾げざるを得なかった。金メダルが0であったことが、そんなに悪いのか?

たしかにロンドン大会に比べると、金メダルは激減した。でも、障害者スポーツに関する知識は、以前よりも格段に広がったように思う。本来なら、「理解が深まった」と書きたいのだが、まだその段階ではない。

私はパラリンピックを、障害者の社会参加を高めるために効用があると考えている。私自身が20代の頃に、障害者とほぼ同じ暮らしをしていたから、障害があろうと、それを克服して社会参加が出来ると信じているからでもある。

社会的にも、障害者の社会参加を促す動きがあるのは確かだ。しかし、通勤電車のホーム、バス乗り場、エレベーターなど障がい者には使い辛い現状を改善する動きは微々たるものだ。

やもすれば、「なんで、こんなところに障害者が・・・」と暗黙の排除の気持ちが感じ取れることさえある。そんな日本社会の現状を考えれば、金メダル云々以前にやるべきことが、山積しているのが実情ではないか。

子供の数が減少し、高齢化社会を迎えつつある今の日本では、障害者といえども社会に参加してもらわねばならない。彼らが働ける環境さえ整備されれば、障害者も立派な労働力たり得る。

パラリンピックの金メダルの数を問うよりも、もっと他にすることがあると思います。私に言わせれば、マスコミ業界こそが、障害者雇用に率先してこそ、言えることだと思いますね。

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