
この3本の木々の芽吹きは遅い。ミズナラの木である。葉を落とすのも周囲と比べかなりゆっくりとしていて、大ぶりの茶色の葉をいつまでも付けていたいようにすら見える。春、夏、秋、冬、四季それぞれに変化する様子を、ずうっと眺めてきた。そんな思い入れのある木だが仕事のついでに、時に気に入ればiPhonでサッサと撮るだけだ。それも、この角度が樹形や、並び具合を引き立てるには一番良いと思い込んでいるから、時間はかけない。きょうの写真には写っていないが、ここからなら、北アルプスの雪を被った峰々の連なりが、芽吹き始めた晩生(おくて)の木のよい背景になる。
この場所からはまた、振り向けばかつて、伊那の人々からは「アマゴイダケ」とも呼ばれた入笠山も、右手のそれより若干高い電波塔のある無名の山、とりあえず名無しの権兵衛をもじって「権兵衛山」と仮称しているが、その山も仲良く眼前にある。
この二つの山に挟まれた渓に沿って、その昔、日蓮宗の信仰篤き人々が通っていった「法華道」があることは幾度となく書いてきた。テイ沢にも「石堂越え」と呼ばれた法華道よりももっと古い道があって長く人々に利用されたようだが、手許にある地図では山道は、上流から見て右側の山頂を経由している。信仰のような特殊な目的以外で、現在のように流れに沿って歩くようになったのはそれほど古いことではないような気がする。昭和、下っても明治まで行くかどうか。
テイ沢の両岸にはかなりの数の石塔や石像が残っているが、入笠山の山腹にも最近それらしい石碑を発見した。岩がごつごつとしていて、冬季以外は雑草に覆われてしまうため気づかなかったが、どうやらこの山域は、人々の祈りの対象でもあったようで、入笠山と古い時代の伊那谷の人々との関わりについてはまだもっと知りたいことがある。