新聞は、昨日27日の雪崩による高校生の死亡事故を大きく扱っている。CNNも「スキー講習」と言っていたが、この事故のことを報じていた。前日の大雪注意報を受けて茶臼岳への登山は中止にしたらしいが、その代わりに行った別の講習中に雪崩が襲うという、思いがけない大事故だったようだ。
「判断は適切だったのか、雪崩はなぜ起きたのか―――。県教育委員会は今後、詳しい状況などを確認する方針で、原因究明に向けた確認作業が求められる」と、新聞は相変わらず。
第一報を聞いた時まず思ったのは、雪崩の予測はつくづく難しいということだった。皮肉にも、雪山講習会を狙うようにして起きた。登山に詳しく、経験のある講師が何人もいただろうし、何かあれば責任を厳しく追及される今のご時世、あくまでも慎重であったことは想像に難くない。安全第一で下された判断であったろう。しかし、こういう悲劇を招いてしまった。
新聞の3面は「注意報さなか訓練」と、大きな見出し。こういう書きぶりで、何かあるとすぐに報道機関は人為的な誤りに事故の原因を求めたがる。例えば、しばらく降雪がなく昼夜の寒暖の差が大きかったため夜間には雪面が氷化していて、その上に新雪がかなり降り積り、その雪の質も気温の変化の影響を受けて重量が嵩み、表層雪崩に繋がった、などと仮に言ってみたとしても、今さらである。スキー場で安心していた、判断が甘かったと言っても、これまた今さらでしかない。
もしこの講師や生徒が予定通り茶臼岳登山を強行していたら、今度は別の事故に巻き込まれた可能性はあるが、この雪崩事故からは、免れることができただろう。しかしそうしなかった判断の方が正しかったと思うし、スキー場を利用したラッセルの訓練を選択したことを責めることは難しい。このスキー場を利用した栃木県の体育連盟による登山講習会は、30年以上も行われていて、その間事故はなかったという。
先日だって、山岳救助に携わる飛行歴の長い操縦士によるヘリコプター事故が起きたばかりだ。冬の山は、こんなふうにいろいろな負の可能性ばかりが溢れている。防げないことはある。
スポーツ庁は原則として高校生の冬山登山をしないよう指導しているという。確かに、冬山登山をもっと厳しく禁じていたなら、こんな事故は起こらなかっただろう。しかし、そういうやりかたで問題決着・解決とするなら、責任逃れで、安易過ぎると思う。東京はいつ地震が起きるか分からないから行くな、と言っても行く人は行くし、その危険な首都に1千万以上の人が暮らし、オリンピックも開かれる。「安全、安心」と声高に言ってみても、どうにもならないことはいくらでもある。