放牧地の牧草が日に日に緑の色を広げ、落葉松やダケカンバが芽吹きだす。まだ日陰には雪が残っていたりもするが日は暖かく、風は角を落としてそよいでる。遠くに見えるアルプスの山並みは冬の名残りを光らせていても、深い真っ青な空の下では新しい季節の引き立役でしかない。
薄っすらと緑の靄をまとったような白樺の林の中を抜ける。そのまま渓へ降りていけば、水の流れがいい音を立てていた。幾つもの牧場にある大小の渓の中で、なぜかここの渓の水音が最も心地よく聞こえる。流れをよどませ、そして流すその絶妙な緩急を、まるでこの渓の岩はどれも知っているかのようだ。
渓を渡り、草地に出た。そこはゆるやかな勾配がつくる広い陽だまりである。背後の森から出てきた1頭のクマが、監視カメラに写っていた場所でもある。このごろのクマは越冬しないと、ある猟師から聞いたことがある。どうであれ、腹を空かしたヤツらはもう、忙しく森や谷を動き回っているころだろう。
クマよりもやはり鹿の動静が気になる。人に対する警戒心が強い最近の鹿のことを、「スレ鹿」などと新聞は書いていたが、いつからそんな呼び方をするようになったのだろう。鹿対策事業ばかりかそれについての報道もまた、2メートルの柵を飛び越える鹿を、押っ取り刀で追いかけていく老人のようなもので、少々心許ない。
霧ヶ峰、そしてその向こうに美ヶ原が見えている。約半世紀も前、二つの高原を結ぶ「ビーナスライン」という、草原にはあまり似合わない名前の道路ができた。以来そこを車で颯爽と走り抜ける観光客はたくさんいるようだが、和田峠の鷲ヶ峰から一日をかけ、風に吹かれながら草原を歩く人が今も、まだいるのだろうか。視界の半分を占める胸がすく大空と、あとは緑一色の草原を歩く爽快・快感を、この道路が奪い、忘れさせてしまったのだとしたら、観光開発の名のこの事業は、本当に必要だったのかという疑問が残る。入笠からも霧ヶ峰と同じように、山小屋の灯が幾つも消えた。