ミソサザイ Photo by Ume氏 (再録)
昨日のことについて、もう少し付け加えておきたい。意を尽くせぬまま書いてはみたが、あれはあくまでも一牧場管理人としての考え、というよりも気持・思いを述べたもので、言ってみればあれもまた〝独り言″のようなものでしかない。地主である伊那市や、使用権を持っている農協がすでにもっと別のことを考えていたとすれば、それに異を唱えてみても残念だが太刀打ちなどできないだろう。
しかし、この広い空の下、光る草原の続く風景、牛がのんびり草を食む長閑な牧場に、人口的な物はあまり似つかわしくない。そればかりか、騒音を省みないオートバイ、車、人の群れにしてもそうだ。地域の活性化というためだけに、短で、急なことをしないようにと、陰で願っている。
穂高の涸沢、あそこを訪れる登山者は年々増えるばかりだ。しかしあそこには山小屋は2軒しかない。営業的にはまだ何軒建ててもやっていけるはずだが、しかしそれで辛うじて、あの美しい圏谷は守られている。
それでいて、さらに集客を望んでか近年、場違いな企画が実行されるようになった。「ナントカフェスタ」も「ナントカコンサート」も、小賢しい商業主義の匂いのする、山では余分な催しではないのかと思う。
実は、あのコンサートに迷いつつも参加した演奏家の手記を読んだことがある。その様子や情景はそれなりに伝わってきたし、そこに居合わせたなら当然、大いに感動しただろうことは想像できる。しかしそれでも、涸沢でのフルオーケストラの演奏が必要だとは思わない。ついでながら、「フェスタ」などという、片仮名の三文字略語は、それだけでも品がない気がする。
あそこにいれば風の音や、煌めく星など、自然が奏でる音楽で充分に満たされはしないのか。色とりどりに張られた目をむく数のテントの群れは、それだけですでに祭りの雰囲気だろうに。
入笠牧場にも、多くの人に来てほしいと願ったことがあった。ここでもそう書いた。今でも、そういう気持ちがある。ないわけではない。しかし、ここで暮らすうちに、少しづつその考えにも変化が出てきた。変わってきた。人の手を付けたものが、本来の自然と融合するまでには、長い時間を必要とすることを学んだのだ。正にこの牧場でさえも、そうだったのだと。
昨日の鳥はシジュウカラです。