入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

        Ume氏の入笠 「夏」 (26)

2015年07月26日 | 牧場その日その時

Photo by Ume氏

 午前中は澄んだ大気の中に中央アルプスや北アルプスの峰々がクッキリと見えていたが、深い空にはすじ雲しか見えず、早くも山は秋色を帯び始めたのかと思うほどだった。午後になって気温も上がり、穂高や槍の頭上に夏雲の積乱雲が現れたのを見て安堵した。それにしてもここの夏は短命である。8月の半ば、旧盆も終われば秋風が立つ。

 「信州山の日」は7月の第4日曜日と聞いた。テイ沢へ向かう人や、そこを下ってきた人はいつになく多かったが、牧場のキャンプ場や山小屋は閑古鳥が鳴いていた。
 ある中学校の生徒は100名近くが、教師に引率されテイ沢に向かった。静岡からは30名ばかりが下ってきて、牧場を通っていった。それ以外にも、今日は富士見パノラマと某メーカーが共催する自転車のイベントがあり、これまた50名、いやそれ以上の若者が、賑やかに牧場内の道を通過していった。
 
 「近い将来、伊那市長谷の『戸台口』を、東駒ヶ岳、仙丈ケ岳、北岳、塩見岳など日本百名山への『南アルプス登山基地』として発展させるのが私の夢です」とは、伊那市の白鳥市長が、今月の市報のコラム「市長のたき火通信」に書いた結び。
 しがない牧場管理人の夢を、市長の夢と併記するのも畏れ多いが敢えて記せば、まず牧場が存続すること、伊那側の二つの古道を中心とした中級山岳の魅力が見直されること、ここの美しい星空に魅せられる人がもう少し増えること、となる。
 そしてそういう日が来れば、この静かな牧場(まきば)をいつでも、若い人たちに委ねよう。

 入笠牧場の宿泊施設及びキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H27年の営業」を、また星空に関心のある方は「入笠牧場からの星空」をご覧ください。

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         Ume氏の入笠 「夏」 (25) 

2015年07月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

  以前にもしたことのある間違いを犯して昨夜、ようやく終えた折角のブログを消去してしまった。「おのれ」というわけで再度書き直していたら、里に帰る時間も気も失せてしまった。

 山行記のようなものを、千字ぐらいで書くのは容易でないとつくずく思う。今回のものを読んでも、一体出発点はどこからか、「半対」を何と読むのか、そもそもその集落や、「栗の木立ち・赤坂口」とはいずこにある地名なのか、コースタイムもないではないか、と思ったに違いない。
 それでいい、と思わぬでもないが、もう少し補足して果たせる責任は果たしたい。
 高遠から杖突峠に至る152号線を行けば、長藤(おさふじ)という集落がある。JAの経営するGSの手前にある入笠や遠照寺の案内板に従い右折、坂道を登り「小豆坂トンネル」を過ぎると、いかにも山村と感ずる「三義(みよし)」の集落に出る。三義は下から「山室(やまむろ)」、「荊口(ばらぐち)」、「芝平(しびら)」の山室川に沿った三つの集落が統合されてできた旧い村名だが、いまでも各集落の名前で使われることが多い。
 古道「石堂越え」は、山室川に沿った道を荊口に入っていくと、右から半対沢が落ちてくるが、今はさらにもう少しだけ進む。「北垣外橋(きたがいとばし)」という橋の100メートルばかり手前に、右手に急な坂が下りてくるが、そこを上っていく。そして集落を過ぎても林道をひたすら進む。目印は道標でなく、埋却された鹿の放つ異臭である。
 北垣外橋を渡りそのまま行けば左手に弘妙寺、さらに進めば山室川に「栗立ち川」が合流する「赤坂狭」が見えてくる。そこで右折して山室川を渡れば、法華道の一つである「栗の木立ち・赤坂口」となる。しかしこのコースは石堂越えと同じように、未整備な箇所、不明な所がまだ残る。T夫妻には、頑張っていただきたい。同夫妻は御所が池に出ず、どこやらから栗立ち川の源流をたどり、御所平峠と高座岩の中間点に出るようだが、地図から見る限りその方が妥当だと思われる。
 右折せずそのまま進めばやがて芝平の集落に出て、集落の中間ほどになるか山室川の対岸に諏訪神社がある。ここが法華道のもう一つ「諏訪神社口」である。現在は初の沢に砂防ダムを建設中で、工事事務所もある。そこからは北原のお師匠が苦労して立てた道標に従って進めば、迷うことなく本家・御所平峠や目的の各所まで行けるだろう。
 石堂越えは稜線までなら3,4時間、法華道は両コースとも4,5時間、といったところか。

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        「夏」 (22)

2015年07月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

御所が池(もっとマシな写真があったはずだが)

 気持ちの良い山稜の道を約1時間で、きっかり正午に高座岩に到着した。ここで昼食を食べ終えて、本家・御所平峠を経て御所が池へ向かう。法華道は池に来る途中の林道で、「諏訪神社口」に下る道と「栗の木立ち・赤坂口」へ下る道とに分かれるが、今回の踏査の目的は後者の古道である。池に行くには道をいったん左に少し外れるが、同行の二人が折角だから見ておきたいということで寄り道をする。
 この池からまた元の道に戻ると、そこからは未知のコースとなる。ただ冬に一度、てっきり諏訪神社口はこの道を下るのだと思い違いをして、雪をいいことに途中から道のない尾根をそのまま構わず山室川まで下ったことがあった。そんなことを思い出していたせいか、この辺りでもたつき再度池に出てしまう。やむなくそこから真っ直ぐに尾根を下れば、古道に出るはずだと予想して行ったら案の定、標識布替わりに黄色いテープが落葉松に巻かれた山道と合流した。これでよしとばかりにその黄色のテープに導かれ先を急ぐ。程なくして旧営林署の打ち捨てられた廃屋に出た。
 この廃屋のことは聞いていた。何とも侘しさの残る廃墟の横を抜け、そのまま下降していこうとすると、それまで頼りにしてきた黄色のテープがこっちへ来いとばかりに左手に目に付いた。ならばと、そのままテープを盲信して行けば、いつの間にか足元の道は古道などとはとても思えない、急峻な山腹を巻く獣道同然へと変わり、加えて何度となく上部から落ちてくる大小の沢の渡渉も余儀なくされ、ついには何と信頼のテープは急な沢を斜上し、一本の木に今にもほどけそうな状態て見え、終わっていた。
 そもそもそんな道を、古(いにしえ)の旅人やT夫妻が行くはずもなかった。そのことは絶えず気になっていたが、誰が何のために付けたのか分からぬテープにいいように引きずり回され、翻弄されてしまった。途中から本格的に降ってきた雨のせいで、地図の確認を怠ってしまったのも一因であったろう。
 ともかく旧営林署の小屋まで引き返し、そこから目指す古道を下ることにした。1時間以上のロスだったが、時計はまだ3時を少し回ったばかりだったから、余裕はあった。道のない森や、はっきりとしない踏み跡を歩きながらも、焦りや不安はなかったし、疲労感もなかった。
 そしてようやく林道に出た。さらに少し行くとT氏の奥さんが書いたであろう木の板で作った標識にも助けられ、法華道へと下ることができた。
 T夫妻とはこの春に山深い赤坂へ越してきた人たちで、法華道のこのコースの整備も兼ねて幾度か入笠に登ってきた際に、管理棟で話しをしたことがあった。夫妻の家の場所は見当が付いていたので、立ち寄って挨拶をした。親切にもスイカを食べていけというのを遠慮して、ためにY、M両君は不満だったようだ。自作しているならだが、遠く町まで行って買ってきた物品は貴重だろうと思ったのだ。もちろん、ご馳走になりたかった。
 それからのんびりとぼとぼと3,40分も歩いただろうか、17時半ごろ、弘妙寺の前でY君の奥方の運転する車に拾ってもらった。いい山の一日だった。

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        「夏」 (21)

2015年07月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

   「石堂越え」の跡か

 今日は「大暑」とか、しかし牧場(ここ)の気温、朝は15度Cしかなかった。梅雨は明けたらしいが鬱陶しい雨の日ばかりが続くようで、それでもそれが小降りになると待ってでもいたかのようにすぐに小鳥の声が聞こえてくる。それがいい。ウグイス、カッコー、それにあのせわしく鳴く鳥は何という鳥だったか・・・。

 昨日は入笠に関連する古道「石堂越え」と、「法華道」の「赤坂・栗の木立口」の踏査を雨の中、Y君、M君と3人で行った。この古道については「Ume氏の入笠 『夏』(21)、(22)」でも触れておいたが、特に前者の「石堂越え」は、話題にする人も少なく、詳しい資料にも乏しい。ただそれだけに以前から関心があり、一度はぜひ歩いてみたかった。
 少なくともいつの時代にかこの古道は、甲斐の国から信濃の国を通り、遠く京の都まで通じる道の一部であったと古来から伝えられ、信じられてれてきた。長野県教育委員会編の「歴史の道調査報告書」の「46」によれば、「延喜式」に941年、甲斐から朝廷に献上された馬の駒牽きが武徳殿において行われた旨の記述があるとした上で、その馬の経路の一部がこの「石堂越え」で「あったろうとの説もある」と、何ともいい加減な書き方で逃げている。



 「石堂越え」へは、今では廃村となってしまった半対(はんずい)沢沿いの集落を抜けてから、なおも急な林道を行く。行く手が二分する辺りまで来ると、以前に鹿を埋却した場所が近くにあり、異臭がしてくる。左手に進み、川を渡ってから車を捨て、そこからは歩いて林道が尽きるまで行けば、右手に落ちてくる山道に誘われ、登行開始となる。
 法華道ともよく似た雰囲気のある山道で、かつては馬を使って木材を曳き降ろしたのであろう、馬搬(ばはん)の跡が深く道の中央をえぐっている。倒木が道を塞いでる場面に何度も出くわしたが、それらをくぐり抜け、かわし、2時間40分ほどで稜線上を走る入笠から鹿嶺高原へと続く山道(「入笠トレッキングコース」と呼ばれてる)に出た。それまできた道は、そのまま小黒川へと落ちていってるようだったが、それ以上は諦めた。
 稜線に出るまでの約500メートル位は登路が判然とせず、また林道が横切っていたりと苦労したが、ともかくも、かすかな踏み跡をできるだけ忠実にたどるようにした。終了点は現在「半対峠」と呼ばれている最低鞍部ではなく、それよりも入笠よりに出たのだと分かるまでには、しばらく時間が要った。
 この石堂越えの通る山域も、戦後の植林で落葉松が大勢を占めていたが、それでもその他の照葉樹林も残っていて、森の雰囲気を和らげていた。海外のいろいろな国を旅をしてきた同行の二人も、どうしてこんな気分の良い山道が見捨てられたままになっているのかと、惜しんだ。少し整備すれば入笠から、あるいは鹿嶺からのエスケイプルートとしても、使えるだろう。(つづく)

 本格的な夏山シーズン。宿泊施設及びキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H27年の営業」を、また星空に興味のある方は「入笠牧場からの星空」をご覧ください。

 


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         「夏」 (20)

2015年07月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

アンタレス周辺                                  Photo by かんと氏

  星の夜が始まった。1800メートルの高地から眺める天の川、さそり座、白鳥座、夏の大三角形、かんと氏が来て、Ume氏が来て、出発のベルが鳴る。「無窮の遠(おち)」へと旅立つ星の旅人たちは、心躍らせ足早に、目指す星の航路に向け、それぞれの宇宙船へと乗船していく。
 仰ぎ見る宇宙の広大さ、銀河の輝き、宇宙を眺めることは、何か人間であることの根源的な問いに迫られ、たじろぎ、また、暗い闇の中に吸い込まれていくような不安と畏怖には、抗わず、身を任せるしかない。
 100年すら生きれない者が億年を案じ、語らい、永遠の深さを測りかねている。

 
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