陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

15.石原莞爾陸軍中将(5)   「ああ、ねむたくなった」と言って、ごろっと後ろに寝ころんだ

2006年06月30日 | 石原莞爾陸軍中将
 昭和6年10月に「十月事件」が起きた。参謀本部ロシア課の橋本欣五郎中佐を中心とする桜会の一部幕僚がクーデターを計画したが、10月17日午前3時ごろ橋本中佐以下12名が憲兵隊に拘束され、失敗に終わった。

 その十月事件は関東軍と連動していた。十月事件が失敗し、満州事変の解決ができないとみた関東軍は日本国から離脱して独立すると言う情報が流れた。

 「今村均回顧録」(芙蓉書房)によると、この情報をもとに、白川大将と参謀本部作戦課長の今村均大佐が関東軍に出向き調査する事になった。

 奉天の関東軍司令部で白川大将は本庄繁軍司令官と会見した。今村大佐は関東軍参謀から夜に料亭に呼ばれた。

 今村大佐が料亭に着き部屋に入ると、板垣大佐、石原莞爾中佐、竹下少佐、片倉大尉そのほか二人の参謀が酒をくんでいる。

 挨拶して今村大佐が用意された席に腰をおろすと、いきなり石原中佐が今村大佐に向かって発言した。

 「何ということです。中央の腰の抜け方は」

 「抜けているか抜けていないか、冷静な目で見ないことにはわかりますまい」

 「腰抜けの中央にたよっていては、満州問題は解決なんかできない」

 「国家の軍隊を動かすようになった一大事を出先だけの随意のやりかたで成し遂げられるものではありません。全国民一致の力を必要とします」

 すると石原中佐は、いきなり大きな声を出し、

 「ああねむたくなった」

 と言って、ごろっと後ろに寝ころんだという。

 今村大佐は不快の念を押し隠すことが出来ず、今村が士官候補生のときの教官だった板垣大佐に向かい

 「せっかくのお招きでしたが、国家の重大な時、陛下の赤子が戦闘で斃れているとき、このような料亭で機密を語り合う事はできません。大佐殿には礼儀を欠き恐れ入りますが、これでおいとまいたします」

 と言い、席を立って、去った。

 温厚で知られている今村大佐もさすがに顔や口調は興奮の情を示していたという。

 元々今村は石原の先輩で親密だった。同じ仙台の連隊出身。住居も世田谷区の近所同士で、石原の父の依頼でいやがる病気の石原を無理やり病院に入院させたりしたこともあった。

 このままでは済まないので今村大佐は翌日、関東軍司令部の石原の部屋を訪れた。

 石原は今村の顔を見ると立ち上がって

 「や、昨晩は石原式を発揮して失礼しました」「どうしてあんなにおこってしまったのです」

 などと言ったという。

 「虫のいどころがわるかったのだろう」

 「後輩を相手に腹など立てることはいけないことです。そんなことでは重責ははたせませんよ」

 「ほんとにそうだった」

 お互いに大笑いしたという。