陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

262.今村均陸軍大将(2)均は天皇の統治する国家における軍人の忠誠に価値観を見出した

2011年04月01日 | 今村均陸軍大将
 そうしたうちに、十一月三日、青山の練兵場で観兵式が挙行され、天皇陛下の行列が儀仗隊に守られ、臨場してきた。群衆は万歳万歳と叫びながら行列に押寄せた。

 今村均も群衆の中にいた。均は大人の熱狂的な群衆にもみにもまれて、最前列に押し出され、天皇陛下の馬車から二メートルのところに来てしまった。

 均はそのとき、陛下の姿を見た。陛下は馬車の窓を通して両側の民衆におおらかな挨拶をしておられた。群衆の中には狂えるように万歳を連呼したり、感涙している者もいた。

 十九歳の均は、この光景を見て感動した。「ああ、これが日本のお国柄なのだ」。均は思わず両手のこぶしを固く握り締めていた。

 これを契機に、均は天皇の統治する国家における軍人の忠誠に価値観を見出した。均は陸軍士官学校を受験することを決意し、母に「陸士を受験する」と電報を打った。ちなみに均の長兄は銀行員だが、均以下四人の兄弟は、その後みな陸軍士官学校に入校した。

 明治三十八年七月、今村均は陸軍士官学校に第十九期生として入校した。第十九期生は千百八十三名が採用された。日露戦争の火急の場に間に合わせるため、第十八期生の九百六十九人をさらに上回るものだった。

 だが、明治四十年五月、陸士第十九期生の卒業時には百十五人が落伍していた。六月、仙台の第二師団歩兵第四連隊見習士官、十二月、少尉に任官した。

 この頃、営内居住の今村少尉は、日曜日ごとに三期先輩の板垣征四郎中尉(陸士一六)の下宿へ遊びに行った。

 当時、板垣中尉は小隊長としての戦闘指揮ぶりはあざやかで、闊達な気性は誰からも好感を持たれ、そのうえ容姿端麗で“連隊の華”と呼ばれていた。

 今村少尉は板垣中尉の下宿で、机の上の「禅」の本を取り上げ、「私はとかく興奮し、人と争いがちです。この欠点が禅で治るでしょうか」と板垣中尉に尋ねた。

 板垣中尉は「なるほど、君はすぐにムキになる。だが自分の弱点を知っていれば、治す道はあるであろう」と本を貸してくれた。

 今村は何冊かの本を読み、それについて板垣中尉と話し合ってみた。だが、結局、今村少尉の興奮性を治す役には立たなかった。

 「日本人の自伝12・今村均回顧録」(今村均・平凡社)によると、明治四十五年四月上旬、朝鮮羅南の第二師団第四連隊に勤務していた今村均中尉は、第二回目の陸軍大学校受験のため、前回同様、羅南を出発し、船で元山に上陸し、それから汽車行、午後四時頃京城の竜山駅に着いた。

 昨年泊まった駅前の対洋館ホテルに泊まるつもりで、同行の成島中尉と一緒に駅の出口に歩いて行くと、副官懸章を吊った中尉がいそいそとやって来て「今村君ですか」と問いかけてきた。

 副官の中尉は第二師団参謀長・市川堅太郎大佐(陸士一・陸大一四)から次の様に言われたという。

 「昨年の図們江岸旅行の時は、今村中尉にえらい世話になった。自分の官舎に泊めたいのだが、試験委員長のところに、受験者の一人だけを泊めるのは遠慮される。どこか静かに勉強できるところを探してやってくれ」。

 副官の中尉は「そのように言われ、あちこちを探し、結局矢砲兵中隊の将校集会所宿舎が、よいように思われ交渉してみました。田口中隊長も気持ちよく応じてくれましたので、そこに案内いたします」。

 それで二人はそこに連れていかれた。市川参謀長が宿舎のことまでに気をつかってくれた厚意を、今村中尉はしみじみ有難く思った。

 昨年同様、七日間で筆記試験が終わった。第二師団の朝鮮駐屯期間が終わり、師団全員が仙台に引き上げることになったので、今村中尉も仙台に帰ることにした。

 それで、参謀長官舎に市川大佐を訪ね、御礼の言葉を述べた。市川大佐は次の様に言った。

 「やあ去年は世話になった。朝鮮内はあちこち見たが、あの江岸の十日間の印象ぐらい、愉快なものはなかった。試験の結果は去年のようなことがあるので、予言はできないが、昨年に比べよく出来ているように見た。去年は師団から一名も入れず、師団長も残念がっておられる。この上とも勉強し、再審口頭試験の準備に取り掛かり給え」。

 今村中尉が仙台に引き上げてから、約四ヶ月たち、八月なかば、陸軍大学校から師団あて、今村中尉の初審筆記試験の合格と、十二月一日、再審口頭試験のため出頭すべきことが通告された。

 今村中尉が仙台の第四連隊で士官候補生のとき、いろいろ指導してくれた板垣征四郎中尉(陸士一六・陸大二八)は、今は陸軍士官学校の区隊長になっていた。今村中尉が初審試験に合格したことを知らせたら、板垣中尉から次の様な返信が来た。

 「僕も合格者の一人になった。再審の準備は、仙台ではよく出来ない。連隊長に願い出て、年度の定例休暇二週間を、十一月なかば以後にもらい、なるべく早く上京し給え。戦術以外の地形学、兵器学などで、実物なり模型なりで了解しておくべきものは、僕が陸士の教官に頼み、君に説明してもらうように手配してやる」。

 陸軍での試験勉強は、毎日の勤務を欠かさずにしなければならない。それで、試験直前に休暇をもらうことができたら、こんな便宜なことはなかった。

 今村中尉は連隊長に願い出た。したがって、十月下旬から十一月上旬にわたる秋季演習には出場せず、兵営残留勤務に当てられ、十一月中旬から定例の休暇をもらい上京した。